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動機と目的

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 奥の方で、第一発見者の山口が、事情聴取を受けているのが見え、その手前では何も知らずに出社してきた研究所員たちが一様に固まって不安そうにしているのが見えた。きっと捜査上の問題から、ほとんど何も聞かされていないのではないかと思ったが、それ以前にまだ現場検証もできない状況と訊いたので、何も分かっていないということは明白だった。
「所長」
 と、清武の姿を見つけたもう一人の課長である市岡課長が、不安そうな目に、救いの神を見たかのように安心が宿った、実に分かりやすいリアクションを示していた。
 他の部員も反射的に清武の方を向いて、同じように、
「助かった」
 というような表情をしていた。
「皆、おはよう。大変だったね」
 とねぎらいの言葉を掛けたが、それでも、捜査の主導権は警察にある以上、所長が来たからと言って、手放しには喜べない。
 しかし、所長が来てくれたことで、安心したのは間違いない。警察と自分たちの間に立ってくれるのっは間違いにないことだからである。
「一体、どうしたんだい?」
 と、ねぎらいの言葉の舌の根の乾かぬうちに、所長は質問してきた。
「それが、我々にもよくわからないんです。警察からは、事務所内に死体があって、そこに異臭が漂っているので、危険がないか、科学班に調査をしてもらうまで、誰も入れない状態になっているそうです。それで、まずは第一発見者の山口さんが聴取に応じているということで、私たちは今のところ待機させられているということです」
 と、市岡課長は言った。
「殺されていたのは二人だと聞いたが?」
「ええ、波多野千晶さんと、もう一人は阿佐ヶ谷家長だということです」
 というのを言いながら、市岡課長は、頭を傾げていた。
「そうか、そのまわりに何か強烈な臭いを発するものがばらまかれていたということだね?」
「ええ、山口君は、白い牛乳のような液体だと言っていました」
「うん、分かった。あくまでも今はまだ何も分かっていない状態なので、これから捜査が進んで行くことで皆にも何か聞かれることがあると思うけど、できる限り警察に協力をお願いしたいですね。それが亡くなった二人への供養となり一日も早く、通常業務に戻れるようにしないといけないと思っているよ」
 と清武は言ったが、自分の言っていることは所長としての言葉であることは重々承知していた。
 何しろ殺されたのは、自分が一番目を掛けている秘書であり助手を務めてくれていた相手だ。署長としても、研究者としても、ショックは計り知れないものであったが、その思いを隠して建前としてみんなの前で話した。それが教科書のような演説であったのは正直なところで、所長としてお、研究員としても、実はまだ頭の中が整理できていないというのが本音だった。
 グループ会社の上司には話をしたが、何しろまた聞きによる情報だけである。向こうも何とも指示を与えるわけにもいかず、とりあえず、今日は普通に出社してもらうということだけを伝えただけだった。
「状況は、刻々と知らせてくれたまえ」
 と言われただけで、実際にはそれしかする術はなかった。
 刑事は遠くの方で二人がかりで、山口を事情調巣している。こうやって中途半端に遠いところで見ると、本当に責められているように見えて仕方がない。
「まだ取調室の方が楽だったりするのではないだろうか?」
 と受けたこともなく、入ったこともない取調室を想像していた。
 辰巳刑事は山崎刑事が山口に事情聴取を行っている時、ふと顔を挙げると、その先に見えた開発部員がタムロして不安そうにこちらを見ているのと目が遭った。相手は当然のごとく気になってこちらを見ているので、目が遭ったのは、偶然とは言えないかも知れない。
 辰巳刑事はそんな中で一人、さっきまでいなか とった人がいるのに気が付いた。一番端にいて、少し離れているので、印象深かったのだ。
 山崎刑事が一旦の事情聴取の合間に、
「ところで、山口さん、あそこにおられるのは、所長さんでしょうか?」
 と聞いてみると、
「ええ、所長の清武さんです」
 と答えた。
「山崎君、どうだろう? ここは社長を交えて話を訊いてみようじゃないか?」
 と辰巳刑事は言い出した。
「そうですか?」
 と半分、ハッキリしない山崎刑事はそう言った。
「いえね。会社の内情に関することで、表立ったことは一緒に聞いた方がいいだろう」
 と言い出した。
 本当であれば、別々に事情聴取する方がいいのだろうが、辰巳刑事は何か思惑でもあるのだろうか。
「じゃあ、所長さんとこちらにお呼びください」
 と山崎刑事は山口に命じると、清武所長は、そそくさと、それでいて堂々とした佇まいと見せながら、こっちに向かってきた。
 呼ばれた清武は、半分緊張はしていたが、他の所員よりは堂々としている、さすがだと辰巳は思った。
「すみません。一つ、お伺いしたいことがございましたので、お呼びしました。皆さんは研究者であると思うので、会社の秘密に関することは話されたくないとは存じますが、正直に言っていただかないと、疑いを深めることになりますので、そのおつもりでお願いします」
 と一種の脅しだった。
 だが、テレビドラマで刑事ものや裁判ものを今までにも何度も見たことがあった清武は、その表現が、裁判前に裁判長が被告に宣告する、
「あなたは都合の悪いことは申さなくても結構です。ただ、あなたがここで証言したことは、すべて証言として採用されますので、気を付けてください」
 という黙秘権に関しての宣言を思い出していた。
――確かに私には黙秘権があるが、どこまで認められるかだよな。会社の機密に関しては、いくら相手が警察でもいえないだろう。それこそ、令状のようなものがあり、書類として残っているものを押収でもされない限り、自分の口からいうことはありえない――
 と思うのだった。
 刑事たちの前に出た時、清武は変な汗を掻いていたのが分かっていた。今までに感じたことのない汗であったが、相手は刑事捜査のプロであることは分かっている。今までにプロと呼ばれる相手をたくさん相手にしてきただけに、プロというものがどれほど恐ろしいものかということは、他の誰よりも分かっているつもりだった。
「今、第一発見者の山口さんから台地発見時の話を訊いていたところなんですが、何やらそこに強烈な匂いを放つ液体がぶち撒かれていたようなんですよ。見た目は真っ白い液体で、ドロドロしたようなものに見えました。私の小さかった頃のことで恐縮ですが、農薬か何かで、真っ白いコロイド状の液体があったのを覚えているんですが、最初はあんな感じのやつかなと思いました。でも、臭いが甘くて、そして酸っぱいんです。白いコロイド状というと一番思い出すのが牛乳ですよね。牛乳は甘い匂いもしますが、発酵すると、酸っぱい臭いがします。それで、私どもは一種の牛乳のようなものだと思うようにしています」
 と、辰巳刑事がいった。
作品名:動機と目的 作家名:森本晃次