短編集121(過去作品)
営業本部というところ、いればいるほど嫌になるのではないかと感じたが、その思いは当たらずとも遠からじであった。
最初は、現場から集まってくる数字を纏めて、それを営業計画としてマニュアル化する計画のプロジェクトに参加するようになり、やりがいを感じていた。プロジェクトといっても、最初はおのおのが数字を作って、それをすり合わせる作業を行うからであった。
一人でコツコツするのは嫌いではない。仕事においても同じである。
営業と言っても経理や総務のような仕事まであるためか、本業をこなしきれないのが本部の仕事である。
経理、総務の管理部的な考え方は、どうしても営業とはそぐわない。
「時と場合によって、損をしても、後で得を取ればいいと言う時もある。損して得取れというだろう。だけど、本部の仕事はどうしても総括的なものが大きいので、現場のようなわけにはいかない。現場にばかり任せておくと、会社的に困ることになるので、それを戒めるのも我々の仕事だ」
と言われた。
本部と現場の橋渡しになれればいいが、下手をすると、自分の首を絞めかねない。かといって、自分可愛さに身を任せると、
「あいつは本部に行って人間が変わった」
といわれるのも癪である。佐竹さんからだけは、そんな風に思われたくなかった。
佐竹さんは実に自由奔放な人だった。
先輩風を吹かせて、「人の道」なるものを説こうとする人もいるが、佐竹さんはそんなことはない。あくまでも、「我が道」なのだ。それも押し付けではない。
「あくまでも俺の経験からなんだけどな」
と一言断わってからの話だった。
佐竹さんを懐かしいと感じるようになってから、仕事に対する自分の考え方が分からなくなり、会社での自分の立場に疑問を持つようになった。
そういえば佐竹さんが言っていた。
「仕事ばかりしていても、どこかで行き詰った時にきついだけだぞ。何か趣味を持つようにしないとな」
佐竹さんにはゴルフの趣味があった。腕前の程は分からないが、休みの日には出かけることも多かったようだ。
「結構金が掛かるからな。女房にいつも嫌味を言われているよ」
と苦笑いをしていた。
小沢には、真剣に趣味を持とうという気持ちはなかった。それだけ仕事に燃えていた。「仕事が趣味のようなものですよ」
趣味と実益を兼ねているといわんばかりで、それが自分を奮い立たせることにもなった。
「仕事が楽しいのは結構なことだ」
とまわりは思ってくれているだろう。なかなかそこまで考えられる人もいないだろう。
仕事を趣味のように楽しく考えられない人に限って、趣味を持っていないだろう。仕事をこなすだけである程度満足している人もいるだろうし、
「これが俺の人生なんだ」
と半ば諦めに近い人もいるだろう。
趣味を持っている人は、その人を見ているだけで、分かってくる。無趣味の人は、話をしていても、相手の話を聞いているだけで、何も反応がないからだ。趣味を持っている人は相手の話を聞きながらそれを理解して必ず返事を返してくれる。それが自分の趣味とはまったく関係のない話であってもである。
仕事は仕事で疑問を持ちながらでもこなしていくであろう。だが、このままでは次第に鬱積してくるストレスを、どうにかしないと、そのうちに自分を抑えられなくなりそうだった。
自尊心が強い小沢だったが、それも将来自分を抑えられないような事態を考えたことがないから自尊心を持てるのだ。考えたことがなかったからで、まだまだ未熟だったからかも知れないが、実際にその時になってしまうと、自尊心が傷つくのは目に見えている。
趣味といって、いきなり思いつくものではなかったが、とりあえず考えたのが、旅行だった。
歴史が好きだという思いと、とりあえず環境を変えてみれば何かが変わると思ったからだ。
いろいろなところに行く予定を立てていて、そのうちの一つが熊本だった。今までに行った中で一番印象に残りそうなのも熊本なのだ。
どうしても、最初に行った土地の印象を基準に考えるものだ。最初に行った土地の思い出は、今まででは最高だった。だが、自分のイメージしている最高という気分には少し遠かったように思う。
どこが遠いのかは、分からないが、印象としては、
「やっぱり、どこに行っても、自分の居場所は居住しているところなんだ」
という思いを強くするだけだった。
しかし、熊本という土地は違った。以前から知っている土地に雰囲気が似ていて、子供の頃から旅行が好きで、その土地に行くと楽しい気分になっていたので、熊本にはどうしても子供の頃のイメージをダブらせてしまう。
熊本の夜は、街の中心街に宿を取った。近くを流れる川の近くを散歩しながら、商店街に戻ってくると、そこからライトアップされた熊本城を望むことができる。熊本城のライトアップはどこからでも望むことができるようで、城の近くまでやってくると、一人の女性が城を見ながら佇んでいた。
「こんばんは」
思わず声を掛けてしまった。
「こんばんは」
相手も臆することなく笑顔で返事を返してくれる。
「ここからの城の眺めが一番綺麗なんですよ」
と、視線を城に向けながら、風に靡いている髪を手で掻き分けながら話している。ライトアップされた青白い明かりで、表情が白く感じられるように見えていたが、雰囲気からも本当に色白のようだ。
「だいぶお呑みになられたのですか?」
「そうですね。季節的にはまだ寒いので、あまり人がいませんけど、時期になると増えるのかも知れませんわ」
「地元の方なんですか?」
「ええ、元々熊本で育ったんですのよ」
どこか垢抜けた雰囲気はあるが、顔の表情には田舎の雰囲気が感じられた。一番素朴さを感じる女性と言ってもいいだろう。話しかけたのは、そんな素朴さを感じたからだった。ライトアップされた城をバックに佇む女性は、妖艶さをイメージする。妖艶さは垢抜けただけの綺麗な女性というよりも、素朴さが残った女性に感じるのは小沢だけだろうか。
女性の年齢的には三十歳半ばくらいに見える。主婦にも見えるが、独身であってほしいと思うのは男としての気持ちだった。
「私は熊本に来るのは初めてではないのですが、こうやって夜の街を歩くのは初めてなんですよ。以前に来たのは学生の頃でしたからね」
「熊本の夜は、他の街と少し趣きが違っているように感じます。それは熊本を離れて感じましたね」
「どのように違うのですか? 差し支えなければ教えていただけますでしょうか?」
彼女は城を眺めながらゆっくりと話し始めた。
「初めて他の土地に住むようになって最初に感じたのは、夜の街の明かりが明るいことにビックリしたんですよね。熊本の明かりが当たり前だと思っていましたから。同じように明かりがついていても、どこかが違う。それに気付くまで、少し時間が掛かりましたね」
「どこが違ったんですか?」
「影なんですよ。他の街を歩いていると、足元から伸びる影がくっきりと見えているんです。それが明るく感じる正体だったんですね」
「どうして違うんでしょうね?」
作品名:短編集121(過去作品) 作家名:森本晃次