短編集121(過去作品)
熊本市内を歩いていると、想像していた以上に大きなビルが立ち並んでいる。路面電車で移動中には、昔ながらの佇まいを見せているところも若干あったが、さすが九州でも有数の大都市を思わせた。
ビル群を覗いていると、確かに大きなビルが乱立しているように見えるが、一つ一つのビルは小さく感じる。
「俺もあの中の小さな一室に篭って仕事をしているんだな」
と思うと、旅行に出かけたくなった理由を思い出した。
血気盛んな若かりし頃、入社から二年間くらいは、営業所の現場を転々とさせられた。営業で入ったのだから、それも当然のことだったのだが、せっかく慣れたばかりの時の移動には、さすがに虚をつかれた気がしていた。
それでも短い期間だったが、自分の実力をいかんなく発揮できるのはありがたかった。事実、自分のやり方で飛躍的に営業成績が伸びたエリアもあり、実際にその功績が認められて、三年目から本部への「栄転」となった。
営業所は、小さかったがちゃんと敷地内に自社家屋を持っていたが、本部は雑居ビルの中にあった。まわりはエリートサラリーマンばかりに見えて、最初は少し萎縮したものだった。
だが、本当はそういうサラリーマンに憧れていた。入社後転属が発表され、営業所勤務と言われた時には少しショックがあった。都会の大学を卒業し、都会暮らしが身についていたのに、今さら地方というのも戸惑いがある。
さらに営業所の皆は、会社から支給されたジャンパーを着ていた。ネクタイもしている人間もいればしていない普段着のような人もいた。
確かに営業所は現場と呼ばれるだけに物流機能も含んでいたので、どうしてもいろいろな人がいる。それでも拍子抜けしたのは話をした時に若干の訛りがあったからである。大学にいる時に聞いた地方出身者の訛りとは意味あいが違う。
そんな中、一人の先輩と知り合ったのは自分にとってラッキーだった。その人は小沢の五年先輩で、同じ大学出身だった。名前を佐竹さんと言った。
佐竹さんは、小沢に優しかった。後輩が入ってくるのがよほど嬉しかったのかも知れない。営業のイロハから、事務所の人間関係までいろいろと教えてくれた。しかも見習いとして営業についたのも、佐竹さんだった。
佐竹さんは一言で言って、要領のいい人だった。
あまり熱心に営業活動しているわけではなく、時々時間調整に休憩を交えたりするある意味「不良社員」であった。しかし、営業成績はトップクラス、営業に出回った先では、結構女性から人気があった。
「女性の人気を保っておくというのは大切なことだぞ」
どこまで本気で信じればいいのか分からなかったが、先輩の言葉には説得力があった。営業先のバイヤーとの話もさほど仕事の話をしているとは思えないが、最後にしっかりと決めているところがあるようだ。
「これが営業の秘訣さ。俺も先輩に教えてもらったんだけど、誰でもできるというわけではないので、自分なりのやり方を考えないとダメだぞ」
その通りであった。自分の性格に合うように相手と仲良くなることが営業の秘訣である。現場に出て、自分の企画したものを喜んでもらえるのが一番嬉しい。そのためにはいつも仕事の話だけでは相手が納得してくれない。
「こいつ、自分のことしか考えてないんだ」
と思われるのがオチである。
仕事が終わってから、佐竹さんに誘われて呑みに行ったことは何度もあった。あまり呑めない佐竹さんは、一口呑んでは、十くらいの話をしている。
佐竹さんは話し始めると止まらない。そこは賛否両論あるだろうが、話を聞いてくれない人なら鬱陶しいだけだろう。だがいくら佐竹さんでも、話を聞いてくれない人にしつこくすることもない。それも自分で身につけた才能に違いない。
「俺は営業をするために生まれてきた男だというくらいに自惚れることもあるが、俺はそれでいいと思う、営業の人は、自惚れるくらいがちょうどいい」
それも佐竹さんの持論だった。
「はい、それは僕もそう思います」
ウソでもいいから自信を持たないと、相手は百戦錬磨のバイヤー。戦いだと思うと、萎縮してしまわないとも限らない。だからこそ、相手を最初に安心させたり、観察する目を持つことが大切なのだ。
小沢も佐竹さんの意見に大賛成で、呑みに行くとついつい呑みすぎることもあった。おいしい酒なら、それはそれでいいことだった。営業所での営業はそれなりに楽しいものになっていったのだった。
佐竹さんのいうように営業活動を重ねていくと、営業成績は上がっていった。もちろん自分のやり方にアレンジしてだが、そのおかげで、三年目には本部に呼んでもらえるようになった。
憧れの本部である。意気揚々とネクタイにスーツ、春の新入社員の時期に重なったこともあってか、新鮮な気持ちだった。本部には入社式の時以外では、営業会議に向かうくらいで、知らない人ばかりというイメージからか、同じ会社でありながら営業の時のように気軽に話しかけるというわけには行かなかった。
桜が咲いている道を歩きながら、憧れの本社勤務を考えていた。だが、現場に染まってしまったこともあって、ビルに入った途端、どこか寂しさが溢れてくるのだった。
営業所では本部に対していいイメージは持っていない。
「現場も知らずに、言いたいことを好き勝手に言いやがって」
という声があちらこちらから聞こえる。どうしても本部の人間は机上の空論を押し付けているというイメージが強いのだ。
確かに営業所にいると、本部へ要望を出しても、なかなか聞き入れてもらえず、必要なものの購入手続きにもいちいち本部許可がいるものもある。稟議がなかなか降りずに、営業活動に支障を来たし、せっかくの信用を失墜させることにもなりかねなかった。
本部の入り口に鎮座している二人の事務員の女の子は、実に気さくだった。
――これなら大丈夫だ。俺の思い過ごしかな――
と感じたが、実際に営業本部に行くと、空気が違っていた。
本部長に呼ばれ、
「がんばってくれたまえ」
訓示のようなものを言われるのかと思いきや、ほとんど詳しい話はなかった。すぐに営業課長の下に連れて行かれ、
「小沢君をよろしく頼むよ」
「はい」
これだけの言葉で引き継がれてしまった。
「ここは君がいた営業所と違い、規律正しい仕事をしているところだ。一人が勝手に動くと、仕事がうまくまわらないばかりか、規律が守れない。君もそのあたりをキチンと頭に入れて仕事をしてくれたまえ」
形式的なセリフだが、言い方にはどこか棘があった。さすがに、
「はい」
と二つ返事で答えられない小沢を、営業課長は睨みつける。即答がなかったことが腹立たしかったのだろう。
自分でスケジュールして、営業活動をしていた自分が管理される立場になってしまうことを憂いた。最初から嫌な予感があったのは、営業所で本部の悪口を聞いていたからだろう。
――そんなことはないだろう――
と思いながらもどこか本部の人たちのイメージに違いを感じていた。電話での会話でも素振りがあった。
営業本部の机は、思ったよりも綺麗ではなかった。現場の机の方がまだマシではないかと思えたのは、どうしても、本社というレッテルを貼ってしまう自分がいるからであろうか。
作品名:短編集121(過去作品) 作家名:森本晃次