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短編集121(過去作品)

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 部屋に入ると、気分が最高潮に達した利久だったが、今度は佳代子が焦らし始める。
 息が荒くなっている利久を尻目に、ソファーに腰掛けると、佳代子は
「どうぞ、そこにお座りになって」
 と利久に促す。誘われて座るが、身体中がむずむずしていて、とても話どころではないかと思っていたが、次第に身体の興奮もトーンダウンしてくるのを感じた。
「実は、あなたに相談したいことがあるの」
「何だい?」
「うちの人、どこかで浮気しているような気がするんだけど、それをあなたにできれば探ってほしいの」
「俺に探偵のような真似を?」
「ええ、あなたにしか頼めないの。それにあなたならあの人の性格も分かるでしょうからね」
「それって、完全な貧乏くじだよな。俺に何のメリットもないし」
 急に気分が冷めてきた。こんな話をするために、ここに来たというのか。早くここから逃げ出したい気分に陥り、何も知らずにのこのこついてきた自分が情けなくなってしまった。
「私が彼の素行調査をしたいのは、あなたが現れたからなの。以前から彼に不審なところは分かっていたんだけど、それならそれでもいいと思った。でも、そこにあなたが現れた」
「どういうことだい?」
「あなたなら彼にも怪しまれないからなの。あなたと再会した時、すぐにそのことに気付いたわ」
 なるほど、あの時に不可解な表情をしたのは、そういうことだったのだ。だが、それならば、あまりのことで呆れ果ててしまう。ホテルに誘ったのは、お礼のつもりなのだろうか。まだ何もしていないのに先に報酬を貰うのは利久の性格からすれば容認できないことだ。絡み付いてくる佳代子をその手で払いのけようとした。
 しかし、利久の身体は十分に相手を欲しがっている。その隙を佳代子は逃さない。
「逃がしてなるものか」
 そんな気合いを感じ、次第に身体の力が抜けていく。
――もう、どうにでもなれ――
 そんな気持ちになったのも事実だ。想定外のことが起こると、人間は本能に身を任せようとする心理、分からなくもない。
 佳代子の身体は、本能に身を任せるに余りあるほど魅力的だった。元々好きだった女性である。自分をごまかすことはできなかった。
 夢にまで見た身体を抱きしめると、押し殺すような声で悶える。押し殺すような声の方がリアルな反応である。利久の胸は高鳴った。
 しかし、すべてが終わると、今度は自己嫌悪に陥ってくる。自分が何をしてしまったのか、そしてしてしまったことで逃げられなくなった自分の運命を思うと、次第に冷めていく。横でぐったりとしている佳代子の身体は火鉢のように熱い。
「これが夢にまで見た佳代子の身体なんだ」
 そう思うと、後へは引けない気持ちに少なからずの興奮を感じていた。
 彼女の頼みは意外と簡単にこなすことができた。
 結果からいうと、確かに田坂は不倫をしていた。だが、どうにも彼の表情が楽しそうでないことが気がかりだった。
「俺は一体何をやっているんだろう」
 相手がどんな女かは分からないが、自分には関係ない。むしろ不倫をするような女に興味もない。そう考えると、次第に佳代子も普通の女に思えてきた。
 佳代子には、このことは話さなかった。田坂に対しての同情があったわけではない。むしろ田坂には再会した時よりもさらなる憎しみが湧いてきた。
 その時の利久の気持ち、それは後から考えると、どれほど複雑な思いだったか、その度合いを測り知ることは難しい。
 佳代子の誘惑に負けてしまって、曲がりなりにも親友の素行調査をしてしまったこと。
 素行調査の結果、何もなければそれでよかったのに、佳代子の思い通りになってしまって、
「それ見たことか」
 と佳代子に報告すれば、どんな手を使うか分からない事実を掴んでしまったこと。
 それを佳代子には伝えず、自分の胸の中に閉まってしまったこと。どうして伝えなかったのか今となっては自分でも分からないが、そのせいで、自分の中に大きな荷物を背負い込むことになった。後になればなるほど打ち明けにくくなるのは当たり前のことで、その時はそこまで考えなかった。
「いずれ話せばいいんだ」
 とたかとくくったのが、命取りになってしまった。
 しばらくして、次第に田坂のことが頭から離れかけていた時のことである。
 何気なく道を歩いていると、田坂を見かけた。その隣にいるのは佳代子ではない。明らかに不倫の相手だったが、その顔を見た時、ビックリしてしまった。彼女は、以前利久の会社にアルバイトに来ていた女の子だった。
 それまで忘れようとしてわざと忘れていたが、一度だけ彼女に誘われて呑みに行ったことがあった。
 あまり酒が強くない利久に対し、彼女はどんどん勧めてくる。
「黒田さん、女の私が呑んでるんだから、しっかり呑んでくださいよ。ほら、もう一杯」
 顔が赤くなることもなく、陽気な顔で勧めてくる。呑まないわけには行かず、泥酔するまで呑んでしまったようだ。
 あっけらかんとしている表情を見つめていると、次第に意識が遠くなり、そのまま酔い潰れてしまったようだ。気がつけば、ホテルのベッドの中にいた。
 隣にいるのは彼女で、可愛く寝息を立てている。あまりのことにビックリして飛び起きると、
「あら、酔いは覚めましたか?」
 何ごともなかったように言うが、その状況で何もなかったわけもなかった。
 肌が白かった。透き通るような声に、上目遣いで見られると、たいていの男はそのままでいることはできないだろう。
――俺だけにこんな微笑を――
 その時はそれ以外に考えられない。男と女が二人きりになると、相手しか見えていないはずなのに、自分にいいようにしか思えないのは、自己防衛と、はしたない自分を戒める思いとが同居しているからかも知れない。
 匂いも大きな要因であることに違いない。バラの香りが優しく鼻をつく。優しいと思って嗅いでみると、頭が痛くなってしまう。嗅覚に優しさを求めると、過ぎたるは及ばざるがごとしである。
 気がつけば身体が一点に集中していて、自分が小さくなって入り込んでいく感覚だった。一人の自分ではなく、たくさんの自分がいる。蠢くようなとはまさしくこのことをいうのだろう。
「魔性の女」
 というのがドラマなどで出てくるが、本当の魔性の女とは、普段とあまり変わらないような女性のことをいうのではないだろうか。気がつけばあり地獄に落ちてしまっているような恐ろしさ、ゾッとするのはそんな時である。
 男にとっての甘い蜜、一度味わってしまうとなかなか抜けられない。途中でいくら突き放されたとしても、
「今度はまたあの時の彼女に戻っているはずだ。今度こそ」
 と思うのだ。
 それはパチンコの感覚に似ていた。他のギャンブルはやらない利久だったが、パチンコだけはやる。仕事の帰り、電車の待ち時間にフラッと寄ってみると、最初は音の煩さにたまらなくなったが、実際にやってみると、すぐに大当たりを引いたのだ。
 すぐにやめるつもりだったのに、画面に広がる幾パターンかの発展に、知らず知らずに興奮していた。
 画面が真っ白になってから大当たりの雄たけびが聞こえるまで、何が起こったのか最初は分からないくらいだった。
作品名:短編集121(過去作品) 作家名:森本晃次