短編集121(過去作品)
気がつけば、足元に玉がいっぱい入った箱が並んでいく。その頃には耳の感覚もおかしくなっていて、溜まっていく玉に心躍らせていた。
その日は相当な勝ちだったようだ。いわゆる「ビギナーズラック」というやつである。
最初に払ったお金は半分返って来ないものだと思っていたので、諦めていたが、ここまで来ると感覚も麻痺してしまう。
次からはパチンコ屋に来るのが楽しくて仕方がない。軍資金は前の時の勝利があるので、たんまりとある。
しかし、出る時よりも減っていく時の方が早いものだ。
最初の勝利の時は、初めてだったこともあり、かなりの時間が掛かったかのように思えた。だが、次の時はあっという間である。画面を色とりどりの脚色が通り過ぎていき、カラフルに感じるが、実際にはなかなか当たらない。
「いつかは当たるさ。それも早いうちに」
と思っているが、なかなか当たらない。
何回かは、大負けをする。
「そろそろ潮時かな?」
と思うと、小さな当たりがやっと来て、
「今こそ運が向いてきたんじゃないだろうか?」
と思い始めると、気がつけば沈んでしまっている。
そのうちいつかという思いは、人間の心理の奥底に潜む魔性のものであろう。欲というものを感じ始めると、人間は深みに嵌っても分からない。パチンコでそれを思い知らされた。
開発メーカーも考えるものである。
当たりが近いようなフレーズのモードを作って、客に金を弾きださせる。当たる時はいいのだが、当たらないと、意地になってしまっている時は、抑えることができない。
パチンコに対しての欲というのは何であろうか? 確かに換金が出費よりも大きければ「勝利」という気持ちに浸れるだろう。だが、それだけではないような気がする。大当たりの時の快感を味わいたくて皆台に向っているのだ。
女性に対してはどうだろう?
最終目的は、やはり女性の身体。いくら虚勢を張ったとしても、女性に好きになってもらい、相手を抱けることが至高の悦びといえるのではないだろうか。だが、それまでの過程の中で、お互いに感じる空気がとても癒しになったりする。風俗でお金を使ってストレス解消も一つだろうが、女性に対しての気持ちというのはまた少し違っている。それだけに誘惑を受けると男は弱いものである。彼女に対しての利久はまさにそんな感じだった。
彼女はどうだったのだろう? 利久と再会して、かなり驚いていたように思えたが、自分がふしだらな女だというのを悟られたことに羞恥を感じているかも知れない。
田坂に以前自分が彼女と関係があったことを話さずに、不倫について問いただしてみた。
彼女のことを話してしまえば、説得力など何もなくなり、話にならないはずだからである。利久には田坂に対して負い目があった。佳代子を抱いてしまったという負い目である。そういう意味で状況のほとんどは利久が握っていることで、優位に立てるかも知れないと思ったからだ。だが、一歩間違えればボロも出やすく、気をつけなければならないはずである。
田坂はあまり悪びれた様子はなかった。実際は、
「もうそろそろ潮時だと思っているんだ」
と切り出した。
「潮時とは?」
「彼女の中に誰か他の男性がいるみたいなんだ。それも今ということではなく、過去に関係のあった男性らしいのだが、その人のことが忘れられないらしい。ずっと一緒にいないと分からないけどね」
思わずドキっとしてしまった。自分のことのように思えたからだ。
「いつからそれに気付いたんだい?」
「ちょうど、この間君とばったり出くわしたことがあっただろう? あの後くらいからだね」
ますます自分のことのように思えてきた。だが、これで田坂が潮時だというのなら、佳代子には何も言わないでいてやろうと思った。次第に自分が抜けられない泥沼に入っていくように思えてならなかったからで、予感があったのは拭えない事実だった。
田坂は佳代子のところに戻っていったが、決して安息の地ではなかったようだ。
「これでよかったんだ」
と思っていた中に、
「佳代子と田坂が仲直りするのも複雑な気持ちだ」
と思ったのも事実。そんな時、田坂の彼女から誘われた。
昔と変わらず、いや昔よりも妖艶になった彼女を見て、抱きたくなるのは男としての性だった。吸い込まれるように彼女の中に入っていく自分に恍惚の表情が頭を巡る。
そのことを彼女は、何と田坂に話したらしい。田坂は半分逆上し、家庭では佳代子も田坂に逆上していたということで、泥仕合になってしまっていた。
何か一つの歯車が狂うと、音を立てて崩れていく。元々危険な橋の上に建っていたものが瓦解すると、ひとたまりもないものだ。
しばらく一人でいると、彼女が訪ねてきた。
「あの二人離婚したらしいわよ」
「君が招いたことじゃないか」
「だって、あの二人はいずれ離婚することになっていたんですもの。私は最初に彼に抱かれた時に分かったわ」
「あれからどれくらい経ったのかな?」
「さあ、一年くらいじゃないかしら」
お互いにまた身体を求め合う。それはまるで昨日のことのように……。抱き心地はまったく変わっていない。ただ、どこか皺がよっているように感じるだけで、彼女の声は知っている彼女の声よりもさらに低く呻いていた。
久しぶりに田坂に会った。何といっていいのか分からなかったが、
「あれから復縁したんだ」
「いつごろだい?」
「三年前かな?」
「えっ?」
「あれから五年も経っているんだ。時間というのは早いよな」
それを聞いたとたん、自分がなぜ浦島太郎の研究をするために大学教授の助手になったのか、分かったような気がした。
「泥沼への入り口がどこかワームホールに見えてくる」
タイムトンネルとはよく言ったもの、限られた世界、限られた環境でしか味わえることではないのだろう。二人の復縁が必然なら、利久が悪夢のトンネルを抜けるのも近いに違いない……。
( 完 )
作品名:短編集121(過去作品) 作家名:森本晃次