短編集121(過去作品)
と思っていても、自分からアクションを起こさないとなかなかできるものではない。同僚や先輩で彼女のいる人が羨ましく思え、
「どこで知り合うんだろう?」
という疑問だけが脳裏をよぎる。知り合っただけでなく仲良くなるには、それなりに自己アピールが必要なはずだ。そういう意味では利久自身のどこに自己アピールがあるというのだろう。自分で分かるものでもない。
それにしても、目の前にいる田坂と佳代子、どういう関係なんだろう。ただならぬ関係であることは想像がつくが、佳代子のバツの悪そうな表情が気になるところだ。
「今日は、どうしたんだい?」
思い切って利久が訊ねてみた。他の従業員は、客が主任の知り合いということで、話をしていても、購入意欲のありそうな客なので何も言わない。売り場の整理をおもむろに初めていた。
「佳代子の服を見に来たんだけどね。実は俺たち去年結婚したんだ」
まさしく青天の霹靂、雰囲気から想像がつかなくもなかったが、利久にしてみれば、想定していた中では最悪の返答だった。
一瞬眩暈のようなものを感じてしまった。
まず、女性が自分の気になっていた人であるということ。しかも、一度も告白できなかった相手として、自分の中に未練と後悔が残っていたのは否めない。もし、一度でも告白していれば、未練は残ったとしても、後悔が残ることはなかったはずだ。未練だけならそれほど痛手ではないのだが、後悔を残してしまったことは自分にとって不覚であった。未練は比較的早く解消できるが。後悔はそうも行かない。下手をすると、トラウマとなって残ってしまうこともあるだろう。
実際に、目の前にして未練と後悔が同時によみがえった。しかし、二人が結婚してしまったと聞いた時、ショックではあったが、それで未練は完全に吹っ切れるはずである。だが、そこに後悔が絡んでいるので、なかなか払拭するのが難しい。これから以降、どのように二人に接すればいいか分からなくなっていた。
眩暈を起こしそうなもう一つの理由は、佳代子の表情である。楽しそうな表情をしてくれればまだしも、どこか戸惑いと悲しそうな表情は合点が行かない。まさか、好きでもない人相手に結婚を決めたわけでもないだろうし。一年も経たない間に相手が嫌になったとも思えない。
他の人はどうか分からないが、佳代子に限って、浅はかな行動に走る人ではないと思っているので、結婚相手や結婚ということにそれなりに考えもしただろうし、悩みもしたに違いない。結婚前に考えれば考えるほど、良識ある結婚ができるだろうと、利久は思っていた。
しかし、
「結婚と恋愛は別だぜ」
という話もよく聞くし、恋愛対象の相手と、結婚を前提に付き合う相手とは違う人であって不思議はない。利久が佳代子に対して学生時代に描いていたイメージは恋愛対象だったように思う。
そう考えると少し気が楽になった。
学生時代に告白できなかったことは、今さらながらに後悔している。しかし、目の前の二人が結婚したということは、考えようによっては、お似合いのカップルで、二人ともこれからまだまだ友達でいられそうに思うと、頭の中が冷静になってくる。
「黒田には、今彼女はいないのかい?」
自分の服を見に行っている佳代子から少し遠ざかって、利久に耳打ちした。
「俺には今は仕事が楽しくてな」
この言葉を田坂はどう感じただろう? 言い訳に聞こえただろうか。
「まあ、そういうなよ。仕事だけというのは人生寂しいものだぞ」
まさか田坂から人生論を語られるとは思ってもみなかった。学生時代将来のことの話しになると、真っ先に黙り込んでしまっていた田坂がである。
「将来のことを考えるのもいいけど、まずは今が大切さ」
と学生時代に言っていたが、それも間違ってはいない。ある意味、目の前にいる田坂が変わったのではなく、利久の人を見る目が若干ながら変わってきたのかも知れない。もっとも、それも仕方のないことだろう。
「私、これにします」
比較的早く服は決まった。佳代子はある程度全体を見渡せば、買うという気持ちが固まっている時に選ぶことに関しては決断力は早かった。
会計も済ませ、
「ありがとうございました」
と店の者一同で挨拶したあと、
「ここに今度連絡してくれ」
と一枚の名刺を渡された。それは田坂の名刺で、彼は今、貿易会社で営業をしているようだ。オフの日でラフな服装をしているが、それでもどこか迫力を感じるのは、営業畑で揉まれているからではないだろうか。表情にもどこか自信が漲っている。学生時代あまり目立たなかったので分からなかったが、社会に出ることで彼の才能が開花したのではないかと思えてくる。
自分が取り残された気分がしてきた。自分は自分なりに頑張って成長していると思い、学生時代の頃の友達に出会っても、遜色ないほどだと思っていたが、考えてみれば皆それぞれの場所で頑張っているのだ。自分だけが成長しているわけではない。
二人が人ごみの雑踏に消えていく後姿を眺めながら、しばらくじっとしていた。かなりの時間が経っていたように思ったが、実際には十五分ほどのものだった。
「今日一日、長いかも知れないな」
と感じたが、決して間違っていなかった。その日が終わってみると、いつもよりもかなり疲れていて、腰や背中に痛みすら感じていた。
仕事が終わって部屋に帰りつくと、急に寒気を感じ、頭痛もしてきたので、体温を測ってみると、熱は三十八度を超えていた。食欲もあまりなく、額からは汗が出ていた。風邪を引いてしまったのかも知れない。
食事も摂らずに布団の中にもぐりこむと一気に睡魔が襲ってきた。眠りに就くのを感じていると、それまでの頭痛が次第に治まってきて、心地よい眠りに誘われていた。
――いつの間に眠ってしまったのだろう――
夢の中にいる自分に気がついた。普通だと夢の中にいる自分に気がつくなどありえないことなのだが、その時はハッキリと夢を見ていると信じられたのだ。
夢の内容はハッキリと覚えていないが、学生時代に戻った自分が、学校にいても知っている人が誰もおらず、意識の中では、皆社会人になってしまっていることに気づいていた。自分だけが乗り遅れた気分なのだ。
焦りが頭を襲う。自分も一緒に卒業したはずなのに、自分だけがまだ学生なのだ。学生時代の楽しかった思い出は、一気に焦りに変わってしまう。楽しかった思い出がまさか自分を苦しめることになるなど、想像もしていなかった。その時に見た夢は、まさしくそんな内容だったのだ。
夢から飛び出したような感覚で眠りから覚めた。
「夢だったんだ」
ホッとした気持ちがあり、身体から噴出したような汗が気持ち悪かった。あれだけ心地よい眠りにつけたのに、目覚めがこれほど気持ちの悪いものだとは思わなかった。だが、それも完全に目が覚めるまでで、意識がハッキリしていく中で、身体にまとわりつぃ手いた汗も次第に乾いてきた。普段であれば裸になって、タオルで汗を拭くのだが、その時はなぜか自然乾燥に身を任せた。無意識に自然乾燥の時間と、意識がハッキリしてくる時間に変わりがないことを分かっていたのかも知れない。
作品名:短編集121(過去作品) 作家名:森本晃次