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短編集121(過去作品)

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 どちらかというと疎遠になっていたので、挨拶にも戸惑ってしまう。どちらかというと、母の方が避けていたと思っていたが、祖母のオドオドとした態度を見ていると、お互いに疎遠になる要因はあったのかも知れない。
 近くの喫茶店に入ることにした。
「本当にお久しぶりですね。お元気でしたか?」
 と正二郎が切り出すと、
「ええ、おかげさまで。でも、娘のことを思うと、たまにこうしてお墓参りに来ていますのよ」
 月命日であることを思い出すと、たまに来ているという単位を、月命日だと思うのは自然であろう。軽くお話をして済ませようと思っていたが、話は思わぬ方向に進んでしまった。
「あの子には、本当にすまないことをしたと思っています。あの子の話をもう少し一生懸命に聞いてあげればよかったんですが、私の夫が厳格なために、ほとんど勘当状態になってしまいました。あの子が産みたいと行った時、必死で反対したんですが、あの子も頑固ですので、産んだのを機会に、勘当してしまったんですよ。でも、女手ひとつはさすがに厳しく、しかも、あの子が産むまで悩んでいたと思うので、その中途半端に揺れる気持ちが災いしてか。生まれた子供はすぐに亡くなってしまったのよ」
「何のことでしょう?」
「ああ、やっぱりあの子から聞かされていないのね。実はあの子、あなたのお父さんと結婚する前に誰かの子を身ごもってしまったの。誰の子なのか分からないということで、かなり大変だったのよ。でもあなたのお父さんは何もかも承知であの子と結婚してくれたの。本当に頼りがいのある人よ、あなたのお父さんは」
 まるで青天の霹靂、雷が落ちてきたようだ。
「でも、あなたにはあの子が死ぬまで隠し続けてきたのだから、このまま黙っていようと思ったんだけど、今日本当に偶然あなたを墓前で見かけた時、本当は話してあげないといけないと思ったのよ。あの子が引き合わせてくれたと思っているの」
「そうなんですか」
 母がどうして誰の子供か分からない人の子供を身ごもったのか、この際どうでもよかった。自分で産んで、自分で育てようと思ったのは、正二郎の知っている母親のイメージにかぶっている。
 祖母の顔はとても真剣である。いくら運命を感じたとは言え、母親がずっと黙り続けて、秘密を墓の中にまで封印したことを、敢えて話そうと思うのだ。並々ならぬ決意があったに違いない。
「母はずっと一人で育てていたんですか?」
「ええ、私たちは勘当したとは言え、さすがに心配で、一人暮らしをしているアパートを何度か覗きに行ったこともありました。健気に、それでいて前向きな娘の姿を見て、本当は許してあげようかと思っていた矢先に、子供から目を離した隙に、そのまま走ってきた車に……」
 そこまで言うと、目頭が熱くなったのか。ハンカチで顔全体を覆っていた。
「あの子の落胆は尋常ではなく、親は放っておくしかなかったくらいですね。しばらくは何も手につかない感じで、自殺だけはしないようにと目を光らせているのがやっとでしたね」
 そんなことがあったなどまったく知らなかった。そういえば、正二郎は自分の中で危険を察知することに長けていたように思う。道路には決して飛び出さなかったし、子供心に、道に飛び出すと車に轢かれてしまうという意識があったように思う。自分がませているからではないかと思ったが、失意と後悔の念を抱いている母親から生まれたことで、自然と身についていたものだったのだ。
「この娘なんだけどね」
 と言って、おばあさんは小物入れから、一枚の写真を取り出した。スナップ写真のような小さな写真に写っているのは、髪の毛をおかっぱにした目がくりっとした可愛らしい女の子だった。まさしく、かなしばりに遭った時に感じていた女の子ではないか。
 かなしばりのイメージから似ていると感じたのか、写真を見た瞬間に、かなしばりのイメージを確定してしまったのか分からないが、イメージどおりの雰囲気である。
 それを感じると、最近物忘れが激しくなっているということをさらに意識し始めた。自分の身体に何か違うものが宿っていて、記憶を妨げているように思えてくるのだ。
――死ぬことを意識していたんだろうか――
 女の子が交通事故で死んだと教えられた瞬間に感じたことだ。死というものがどのようなものか分からないが、少なくとも即死であれば、苦しまなかった分、不幸中の幸いだと思う。不謹慎なのかも知れないが、死を目の前にした気分になると、まず一番楽な死に方を考えるのではないかと思うのだ。
 だが、どんなに楽な死に方でも、一瞬にしてその時に考えていたことがすべて消えてしまう。それを考えると、やはり死というものは恐ろしいものだ。
――すべて考えが消えてしまう――
 それは時々頭の中で感じていたことだった。特に覚えていなければならないことを忘れてしまった時に感じる。
 最初は、
――いろいろなことを考えてしまうから、最初に考えていたことを忘れてしまっても無理のないことだ――
 と思っていた。
 母親は、知っていたのだろうか。時々正二郎に話をしながら、その後ろを見ていたように思う。急に怒ってみたり、泣いてみたり、理由も分からずに急変してしまうことがあった。正二郎はキョトンとしているしかなく、そんな正二郎に対して母親が怒りを見せたことはなかった。
――僕の中に、死んだ娘を見ていたのかも知れない――
 娘に対しての意識はない。意識しようとしてもできるものでもない。同じ肉体の中に共存していて、お互いに、表に出る時は相手の意識を封印している。
――ひょっとしてその娘は、自分が死んだという意識もなく、自分が女の子だという気持ちもないのかも知れない――
 他の人から見て、正二郎が途中で違う人格を持っていることに気付いた人は誰もいない。正二郎の身体に宿ったもう一つの魂は、正二郎になりきっているのだろう。
 それだけでは我慢できずに、時々身体の中から出てきてしまう。それはかなしばりの最中に感じる「走り回る女の子」ではないだろうか。
 しかも、その中に母の魂が宿っているように思えてならないのは、正二郎の身体の中にいる女の子を感じ始めてからだった。
 その女の子の墓がどこにあるのか分からない。誰もタブーとして教えてくれないだろう。何しろその女の子は正二郎の中で生き続けているのだから……。

                (  完  )


作品名:短編集121(過去作品) 作家名:森本晃次