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短編集121(過去作品)

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 その娘に遭うのはその時が最初で最後だったはずなのに、イメージだけが残ってしまっている。
 だが、夢の中で何度かその女の子に出会った気がした。それも、旅行先でである。
 旅行に出る夢は何度も見ている。今まで見た夢で一番多かった夢が、旅行に出る夢だった。それだけ旅行に対して楽しみだったイメージがあるのか。見ている夢で旅行の夢が一番多いのか、それとも、夢はいろいろ見ているのだが、実際に覚えている夢で一番多いのが旅行の夢なのか分からない。どちらも本当のように思うのは、夢を思い出す時の精神状態に違いがあるからではないだろうか。
 楽しい夢をよく見ていると思う時は、見たと思っている夢がそのまま夢の数だと思うし、あまり楽しくない夢を見た時は、いつも夢を見ているのに、目が覚めるにしたがって忘れてしまうものだと思う方がしっくりくる。
 旅行の夢に出てくる正二郎は、いつも小学生である。小学三年生か四年生くらいの時が多く。三年生の頃はまだまだ子供だという意識が強く。四年生くらいから、次第に大人を意識するようになってきたのを思い出していた。
 旅行に出かけると、時々小さなハプニングがあった。何かを亡くす夢をいつも見ていた。一番大きなハプニングは切符を失くした時だった。
「あんた、切符どうしたの?」
 普段は優しい母親がパニックになってしまって、ほとんど使ったことのない
「あんた」
 という言葉を発したりする。冷静になってみると、そんな言葉を発したなどという記憶がないくらいに熱くなっていた。
「お母さん、あんたって言ったんだよ」
 などと野暮なことを言うつもりもない。もし、言ったとしても、冷静になった母親は怒ったりはしないだろう。
 そういえば、時々急にキレることがあった。何に対してなのか分からないが、理不尽に思えた。
 たとえば、学校にノート一冊忘れてきたとしよう。
「学校まで取りに行ってらっしゃい」
 と言われることがあった。そういう物忘れは子供の頃からあったのだ。だが、母親は物忘れだとは信じてくれない。まるで正二郎がわざとやっているかのように思うから、怒るのだった。
 理不尽なことや、わざとらしいことには断固とした態度を取るのが母親の特徴だった。そういう意味で、
「まさか子供が物忘れなどするはずなどない」
 という気持ちだったのだろう。それよりも、
「自分の子供に限って」
 という気持ちの方が強かったのかも知れない。記憶力には子供の頃から定評があったと母親は自分で話していた。
 しかし、物忘れをするのだから仕方がない。今から思えば悪循環だったのではないだろうか。人に怒られたりすると必要以上の反発心が芽生えてくる正二郎であった。しかも、人と比較されることが一番嫌で、ついつい逆らいたくもなってしまう。
 反抗期というのは、そんなところから生まれてくるものだ。
 だが、基本的には母親が嫌いではなかった。一番の思い出はやはり旅行の思い出だろう。楽しかった思い出が多い中で、切符を失くした時のパニックも印象的だった。
 すぐに見つかったので何もなかったのだが、そのことは誰にも言えない雰囲気になっていた。母親の表情が、
「お父さんには言わないで」
 と訴えていた。
 きっと父親の前で取り乱すことなどなかった母親だったのだろう。だからこそ、子供のことは母親に任せていたのだ。母親もそれが分かっているから旅行の時でも自分から率先して計画を立てたりしていた。元々計画を立てて行動するのが好きなタイプだったのだろう。
 そこは遺伝しなかった。
 大学になって一人旅をよくするようになった正二郎だが、いつも気ままな旅だった。現地で知り合った人に、
「明日はどこに行くの?」
 と聞いて、まだ寄っていないところであれば、引き返すことになっても一緒に行ったものだった。同じ場所の時もあり、
「実は昨日も来たんだ」
 と言って、苦笑いをしたものだった。
 気まぐれな性格も、傍から見ていると、自由奔放に見えるが、実際に母親から見ればどうだったのだろう?
「落ち着きのない人ね」
 と写ったかも知れない。子供の頃にノートを取りに行かされたのも同じ理屈である。
「俺だけじゃない」
 という言葉を一番嫌っていた。完全に言い訳に聞こえるようだった。
「他の人はどうでもいいの。あなたがしっかりしていないとどうするの」
 理不尽にしか聞こえなかったが、よく考えてみれば正二郎も、
「他の人と同じでは気が済まない」
 という性格だったはずだ。それが都合のいい時だけ、他の人を引き合いに出すのは明らかにルール違反に見えたのだろう。特に自分の子供だけに怒り心頭ではなかったろうか。
 ちょうど、おかっぱの女の子が走り回っていた時が、切符を失くした時だった。同じ日だったのかどうかまでは覚えていないが、同じ旅行の時だったのは間違いない。
「おかっぱの女の子に気を取られて切符を失くしちゃったんだ」
 と勝手に思い込んだ。
 ひょっとしたら、言い訳がましいことを正二郎が言ったのかも知れない。それで母親が常軌を逸した行動に出たのかも知れない。
 都合の悪いことは忘れてしまうくせのある正二郎なのだが、さすがに忘れることはできなかった。そんな意識の中なので、女の子のイメージも強く残ってしまったのだろう。
 電車の中はあまり人も多くなかった。女の子が走り回っていた電車は、新幹線ではなかった。新幹線から乗り換えた在来線で、
――同じ目的地に行くのではないか――
 と感じるほどだった。
 しかし、目的地は違ったようで、それ以外の場所でその娘に遭うことはなかった。正二郎が母親と降りたのが先だったのだ。
 在来線でそれ以上先というと、観光地はなかったように思う。海岸線沿いに電車が走り、完全な支線となっていたので、本線に繋がることもない。終点は観光地ではなく、美咲が広がっているだけだ。
「確か自殺の名所としても有名じゃなかったかな」
 高校生の頃に急にその時のことを思い出したが、その頃にはその支線の先がどういうところかというのは分かっていた。地理の時間で先生が自殺の名所という風に教えてくれた。教科書には載っていないので、授業の脱線だった。
 かなしばりに遭うようになってから、母のお墓に参ることが多くなった。それまでは、近いにも関わらず墓参りを疎かにしていた。盆には墓参りに行くが、それ以外では仕事の忙しさにかまけて、彼岸でも墓参りを怠っていた。
 近すぎるというのも足を遠のける原因になっている。
「いつでも行けるさ」
 という気持ちが強く、ただ、そんな考え方は生前の母親が一番嫌っていた考え方だった。露骨に言い訳がましいことに対しては厳しい母らしいではないか。
 その日はちょうど月命日であった。知らないわけではなかったが、墓前に手を合わせた時には忘れていた。すると、後ろから声を掛けてくる人がいるのに気がついた。
「正二郎さん?」
 そこには一人の老女が立っていて、見覚えがあると思ったら母の母親、つまり正二郎の祖母が立っているではないか。
「ご無沙汰しております」
作品名:短編集121(過去作品) 作家名:森本晃次