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十死零生の空へ

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 本部の建物を出ると、外はもうだいぶ薄暗くなっていた。
 関は地につかない足取りで兵舎への道をたどった。うまく気持ちの整理がつけられなかった。戦局の悪化はもちろん承知している。特攻の是非がさかんに論じられていることもよく知っていた。しかし自分はついこのあいだフィリピンへ赴任したばかりである。まだ実戦を行っていないどころか、右も左もよくわからない。
 それに自分は艦爆乗りだ。これまで急降下爆撃の訓練を、繰り返し何度も行ってきた。それがなぜ今さら体当たりなのだ? そんなことをせずとも、自分なら五百キロ爆弾を積んだ爆撃機でじゅうぶん敵を沈められる自信がある。何度だって、何度だって沈めてみせるものを……。
 自分の部屋へ戻ったが、なにもする気が起きない。しかたなく関はまた便箋に向かった。
 この心境でなにを書けばいい?
 が、不思議なことに今度は文章がすらすらと出てきた。

 満里子どのへ――
 突然ですが、本日、私は帝国のために、一命をもって君恩に報いる覚悟を決めたところです。
 おまえには夫らしいことを何もしてやれず、本当に済まないと思っています。
 この先は鎌倉のご両親に尽くし、武人の妻として恥ずかしくないよう生きてもらえればと思います。
 明日には散りゆくこの身ですが、せめて御国から武運を祈っていてください。
 追伸、恵美ちゃんにもしっかりやるように。
                     ――行男

 便箋を二つ折りにしたところで、ドアがノックされた。
「あの、関さん、ぼくです」
 入ってきたのは、いつも親しくしている整備兵の永井一朗だった。
「本部へ呼ばれたそうですけど、なにかあったんですか?」
「うん、ちょっとな」
 関はつとめて明るい声を出した。
「特攻の隊長に指名されてしまったよ。明日にでも飛び立たねばならん。もうこうなったらしようがないな、俺もとうとう年貢の納めどきさ」
「……そんな」
 永井は表情を曇らせ、自分のつま先へ視線を落とした。
「あなたのような優秀なパイロットをそんなふうに使うなんて……この戦争も、いよいよどうなるかわかりませんね」
「おいおい、だれかに聞かれたらどうする」
 関は苦笑して言った。
「このさきどうなるかなんて、だれにもわかりゃしないよ。いつの間にか始まって、気づいたときにはもう後へ引けない泥沼にはまり込んでいる。戦争ってのはそういうもんさ。勝つと信じてるやつもいれば、とっくに覚悟を決めちまったやつもいる。勝とうが負けようが、一度おっ始めちまったらもう行き着くところまで行くしかないんだ」
 窓を開き、暗い空をぼんやり見あげる。
 めずらしく雲の切れ間に夕星が瞬いていた。
「教官として、たくさんの教え子を空へ送り出してきた。飛び立ったまま戻らなかったやつも一人や二人じゃない。俺はもう疲れたよ。早く自分の番がまわってこないかって、じつはそればかり考えてたんだ」
 鎌倉の空は晴れているかな?
 一瞬、満里子の顔が夕星と重なり、しだいに闇のなかへ薄れていった。
 ――息災でな。
 心のなかでそうつぶやいて、関は振り返った。
「輜重のトラックから酒を失敬してあるんだが、永井くん、悪いけど少し付き合ってくれないか」
 永井は顔をあげてうなずいた。
「はい、とことんお付き合いします」
作品名:十死零生の空へ 作家名:Joe le 卓司