十死零生の空へ
関の零戦が、米護衛空母セント・ローの甲板へ突っ込んだとき、妻の満里子は、鎌倉にある実家の庭でコマツナの茎を折っていた。よく晴れた水曜日の、昼少しまえだった。
「……あら?」
恵美は、急にしゃがみ込んだ姉を見て首をかしげた。
「お姉さま、どうかしたの?」
のぞき込んだ姉の目から涙がこぼれているのを見て、彼女は息を飲んだ。
「まあ、泣いているのねっ」
満里子は頬を濡らしたまま顔をあげて、不思議そうにつぶやいた。
「あれ、おかしいな……。どうしてかしら、後から後から涙があふれて止まらない」
「目を怪我したのかも。お母さまを呼んでくるわ」
「あ、待って、大丈夫――」
あわてて腰をあげた。
「ほら、もう泣いてなんかいないわ」
手の甲で涙を拭い、赤い目で微笑んでみせる。
「泣き止んだから、ね、大丈夫でしょう?」
「……本当に?」
「恵美さんは、私の言うことが信じられないのね。本当よ」
恵美はまだ怪訝な顔をしていたが、頭のうえをカモメが猛スピードで横切ったので、つられて視線をあげた。
秋の長雨も終わり、鎌倉の空は高く澄んでいた。
潮の香りに混じって、畑を焼く香ばしいにおいがする。
大きく息を吸い込んで、恵美がぽつりと言った。
「お義兄さまは、お元気でいらっしゃるかしら」
海のある方角へ向かって目を細める。
満里子は妹の肩にそっと手を置いて、一緒に空を見あげた。
「元気でやってるわ。台湾はまだそんなに危険じゃないって、お父さまもおっしゃっていらしたし」
彼女はまだ関がフィリピンへ転属となったことを知らない。台湾行きの艇を見送ってから、まだ二ヶ月と経っていないのだ。恵美が明るい声で言った。
「あの仏頂づらの怖いお顔だもの、敵に狙われても弾のほうで避けていってしまうでしょうね」
「まあ、この子ったら」
「でも、お正月には帰ってくるのでしょう?」
「そうね、たぶん帰ると思うわ」
「お土産と汚れものの山を抱えて?」
「うふふ、きっとそうね。行男さんから知らせがきたら、まっ先に恵美さんに教えてあげるから、それまで待っていて」
満里子のもとに関からの手紙が届いたのは、それから三日後のことである。
翌年の八月十四日、日本がポツダム宣言を受諾して――戦争は終わった。