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悪魔のオンナ

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 と、言いながら、辰巳刑事は、サーモンを一切れ箸で救って、さしみ醤油につけていた。それを見ながら、女将さんと清水警部補は実に満足そうな表情をしたのだが、意外なことに奥の席に座っていた、例のやたら存在感が気になってしまう男も、ニンマリと微笑んでいた。
――どうも悪いやつではなさそうだな――
 と辰巳刑事は感じたことで、それまで少し狭く感じられた店内が、実際の店内の視界と感覚が変わらないくらいに回復した気がした。
「こじんまりとした」
 という印象に変わりはないが、その広さは、自分が知っている居酒屋を感じさせ、懐かしさからか、安心感が生まれたのだった。
 日本酒の味も最初は、この店独特のオリジナルなのかと思うような、少し異種の感覚を帯びた味だったが、次第に慣れてくると、いつも飲んでいる日本酒と同じ感覚になってくると、味覚の上でも、視覚同様の安心感が伴ってきたのだ。
「何か、初めてお邪魔したお店という感じがしませんね」
 と清水警部補にいうと、
「そうだろう? 辰巳君なら、そういうだろうと思っていたよ」
 と言われたので、
「どうしてですか?」
 と聞くと、
「私も初めてこの店に来た時、同じ感覚があったからさ。あの時も、そういえば、お刺身はサーモンだったような気がするな」
 と清水警部補が言った。
「ええ、そうですよ。私も覚えています。だからと言って、いつもサーモンばかりがおすすめであるというわけではないんですよ。そういう意味では、やはりお二人には切っても切れないような関係が結ばれているような気がしますね」
 と女将が言った。
「そうそう、それとね、私が最初に来た時も、奥にお客さんがいたと思うんだ。そういう意味では、何もかも似たシチュエーションな気がするな」
 と清水警部補は思い出しながら話した。
 それを聞いた奥にいる男は一瞬ビクッとしたが、清水警部補の雰囲気からは、その時の男性と今奥で一人で?んでいる男性は、どうやら別人のようだ。
「このお店の常連さんは奥で呑んでいることが多いんだよ。私も一人で来た時、他に誰もいなければ、奥に座ることが多いんだよ。もし、今日も奥が空いていたら、きっと奥に座っていたことだろうね」
 と清水警部補は言った。
――ということは、やはり、この店は清水警部補にとって、完全に馴染みの店のようだ――
 と辰巳刑事は思った。
 そんなことを考えていると、奥から一人の女性が入ってきた。エプロンを腰から絞めていて、女将のように和服ではなく、セーター姿という、まるでお手伝いと言った雰囲気の女の子だった。年齢は、まだ二十代くらいであろうか。
「いらっしゃいませ」
 という、その雰囲気は元気というよりも、天然な雰囲気を醸し出しているかのようだった。
「こんばんは、美紀ちゃん」
 と清水警部補は彼女にそう言った。
「あら、清水さんが誰かを連れてこられるなんて珍しいわね。いいえ、私は初めて見るような気がするくらいよ」
 と美紀ちゃんがいうと、
「ああ、その通りさ、僕が誰かをこの店に連れてくるの、初めてだからね」
 と言ってニッコリしていた。
 女将さんは、最初から敢えて聞かなかったのは、分かり切っているという意識からだったのか、きっと清水警部補に気を遣ったのだろう。
 辰巳刑事は久しぶりに清水警部補と一緒に呑めたこともそうだが、気を遣わずに呑める場所ということで教えてくれたこの店が気に入ってしまった。
 美紀ちゃんという女の子の印象が深く感じられ、嬉しかった。
 辰巳刑事はこの日、赤身さんや美紀ちゃんと出会えたことをほっこりとした気分になれた最高の理由だと思っているが、大体いつも清水警部補と一緒にお酒を呑みにいった時、時間的に午後十時くらいまでという暗黙の了解に基づいて考えれば、そろそろ時間的にはタイムリミットを迎えていた。
――やはり楽しいお酒というのは、いつもの時間でも、結構長く感じさせることになるんだな――
 と、辰巳刑事に思わせた。
 ほろ酔い気分に、ほっこりしたプラスアルファを感じながら店を出ると、
「これを本当の千鳥足というんだな」
 と思わず口走った。
 それを清水警部補は気付いていないのか、自分のペースで歩いていく。それを目で追うように歩いていくと、いまさらながらに、店が本当に寂しいところにあったのだということを感じさせるほどに、街灯もまばらだったのだった。

               ガード下の死体

 とりあえず、署の近くまで戻らないと、タクシーも捕まらない、今日はいつもの大きな駅の近くというわけでもなく、時間的にもH電車の方も電車の本数は終電に近いこともあって、ほとんどないことは予想される。それを思うと、タクシーもやむなしと思っていた二人だった。
 そう思いながら店を出てから数分歩いたところに、H電車のガード下があった。
 前述のように、車が何とか離合できるほどの狭い場所であり、人通りもラッシュ時間であっても、ほとんどいないと言われている閑散とした場所に二人が差し掛かろうとした時のことだった。
「何やら、パトランプが見えるようですね」
 と最初に異変を口にしたのは辰巳刑事であったが、先を歩いている清水警部補が気付いていないはずもなく、やはり警部補の視線は、そのパトランプが映っている影のようなところを凝視しているようだった。
 その部分は、ちょうどカーブになっているところで、真っ暗な中に、赤みを帯びた暗い光が、一定の時間ごとに、闇の中に浮かび上がっているかのようだった。それが救急車の点灯なのか、それとも、文字通りのパトカーによるものなのか分からなかったが、静寂にしかも、真っ暗な中に浮かび上がって見えるのは、いくらいつも見ているものだとはいえ、一度緩めた緊張感の中で感じるものがどれほど不気味であるか、辰巳刑事は身に染みて感じていた。
 普段なら、これくらいの切り替えは、すぐにできるのだろうか、まださっきの店でのほっこりとしたイメージが残っているのか、何があったのか分からないことで、どうしても他人事にしか見えなかった辰巳刑事だった。
 だが、清水警部補はさすがにそのあたりの切り替えは早く、今までほろ酔い気分の千鳥足だったものが、我に返ることで、酔いも覚めたのたのではないかと思うほどにキリッとした状態で、パトランプの光っている方位向かって、磯子足になっていた。
 角を曲がってその場所を見ると、ひとりの刑事と、警官が今まさに現場検証を行おうとしているところだった。そこに座り込んで、状況を確認しているのは、部下である山崎刑事だった。
 山崎刑事も、こちらを見ている清水警部補と辰巳刑事に気が付いて、
「ああ、これはご苦労様です」
 と言って、敬礼をしたが、二人がすでにその日の業務を終えて、帰宅したのは分かっていた。
「どうしたんだい?」
 と清水警部補が聞くと、
「はい、こちらで一人の男が刺されているという通報を受けて、今こちらに来たところです。状況によっては、お二人にもお知らせしようかと思っていたところだったんですが、ちょうど見えられたので……」
 と言って、二人に現場へと案内した。
作品名:悪魔のオンナ 作家名:森本晃次