悪魔のオンナ
「そうでもないと思いますよ。やつには、そんな組織に関わっているという雰囲気はなさそうだが、斎藤はまさにチンピラ風と言っていいかも知れないからな。三橋がどんなにすごんで他の客に因縁を吹っ掛けたとしても、返り討ちにあうのが関の山ではないかと思うほど、華奢だし、根性もないというウワサですね。やつができることといえば、奥さんにバレないようにしながら、浮気を継続させていくという程度のことなんだろうな。ということは、あの女は。浮気相手をたくさん持っているのは、半分は悪事の手先として利用するために隠れ蓑として、他の男性に手を出しているとも考えられなくないんじゃないかと思うんだ。その隠れ蓑が、三橋だったんじゃないかな?」
と清水警部補は言った。
「そういうことdったんですね」
と言って、調べてきたはずの山崎刑事が感心したように言ったが、まさか山崎刑事も、そんな怪しい風俗が絡んでいるなど思いもしなかった。
しかも、
「そんな子供だましのような手に大の大人が引っかかるなどありえない」
と言わんばかりに感じているのは、山崎刑事だった。
辰巳刑事が、
「勧善懲悪の熱血漢」
なら、山崎刑事は、
「絶えず仮想敵を持って、ライバル意識を持つことで、お互いに切磋琢磨していくことで向上する」
という考えを持っているだけに、辰巳刑事と共通点はあるのだ。
だが、絶えず仮想敵を持っているということは裏を返せば、いつも自分が孤独であるということを意識している証拠であり、どうかすると、孤独に押しつぶされそうになる自分を、たまに、
「鬱病ではないか?」
と思うこともあるくらいだった、
さすがに健忘症を伴っているわけではないので、あくまでも気のせいだと感じることですぐに元に戻るのであるが、山崎刑事の将来性を一番買っているのは、清水警部補であった。
彼には、人に負けたくないという闘争心があり、そのためには、人よりもたくさんの努力という感情が表に出ることで、時として予期せぬ手柄に繋がる時がある。
彼はそれを決して驕ったりはしない。
「欲がない」
といえば、それまでで、人との闘争心があるわりには、欲がないので、その闘争心を見抜く人はあまりいない。
ライバル視されている辰巳刑事はさすがに分かっていて、却って自分にライバル意識のないことが気になるほどであった。
二人が共同して事件解決につながったことも結構あり、それを山崎刑事に手柄を渡そうとまで思ったくらいだったが、よくよく考えると、ある意味プライドの塊りのような山崎刑事が喜ぶはずもない。逆に鬱病にでも叩きこんでしまいそうで、考えを改めたことがあった。
そんないかがわしい風俗がこの世に存在していることに人一倍の憤慨があった。
そもそも、彼が警察官を目指したのは、友達のお兄さんが、悪徳金融に引っかかって、借金を作ってしまい、家族を残して自殺してしまった。その友達の一家はそれをきっかけに生活能力を失ってしまい、父親は病死、母親は気が触れてしまったということで、病院へ入院、友達は非行に走り、そのまま組事務所に入ってしまった。
そんな悲惨な家族を中学時代に見てしまったことで、
「この世から、人を食い物にするような団体を撲滅することを目的に警察官になりたいんだ」
と言って、それから勉強をして、警察官にやっとなれたという次第である。
もちろん、キャリアというわけにはいかず、普通に警察学校から、巡査を経ての、刑事拝命であったが、今までの自分を振り返って、後悔などどこにもなかった。
これからも、後悔などしたくないと思うのは、自分が後悔してしまうと、友達の家族のような家庭が増えてしまうというのを感じるからだ。
中学時代に見てしまった悲惨な家庭、思い出すと活力が湧いてくる。負の遺産を背負っての今の職業であったが、それだけに絶えず気のゆるみは許されないと思っている。その感情が、ライバル視であり、仮想敵の創造であった。
とりあえず、今度の事件がどのように推移するかまだ分からないが、ここに怪しい風俗のようなものが絡んでいると思っただけで、かなりきつい憤りを感じている。この思いは自分が警察官になろうと思った家族が見舞われた悲劇に似てはいないか。
「この俺の手で、そんな組織は叩き潰してやる」
とばかりに、山崎刑事はいきり立っていた。
本当はあまり興奮してはいけない場面ではあるが、山崎刑事の場合は仕方のないところがある。
うまくそのあたりのコントロールができるとすれば、清水警部補くらいであろう。
この事件の肩をつけるのが誰になるかは別にして、そのカギを山崎刑事が握っているのは確かなのかも知れない。
すると、そこに一人の警官がやってきて、門倉本部長に耳打ちをした。
それを聞いた門倉本部長は顔色を変え、意表を突かれたように一瞬ポカンとなって、虚空を見つめたが、次には、まるで苦虫を噛み潰した科のように、歯を食いしばった表情になった。
その言葉は二言ほどであったが、その様子を見ていた捜査員たちは一様に長い時間を感じていた。それだけ、門倉本部長の表情が不思議な感じだったのだろう。
「そうか、分かったお通ししてくれ」
と、門倉本部長は伝言を持ってきた警官に次げると、警官は、
「はっ」
と言って敬礼すると、まるで軍隊更新をしているような踵を返すと、部屋から出ていった。
一瞬にして、捜査本部に緊張が走ったが。
「本部長、何があったんです? 通せということは誰かが訪ねてきたということでしょうか? まさか、犯人が自首でもしてきたわけではないですよね?」
と辰巳刑事が聞くと、
「いや、そういうわけではないが、私にとっては、意外な訪問者なので、少しビックリしたんだが、一緒にその人を伴ってくるという人物に対して、何か挑戦を受けているかのように思えたんだ。もっとも、これは私の感情なので、皆はまた違ったイメージを持っているかも知れないがね」
と門倉本部長は言った。
そう言っているうちに、一人の女性が部屋に向かって一礼をしている。実に質素で目立たない服装なので、一瞬、高校生の女の子かと思ったくらいだった。だがその後ろに控えているのが、自分たちにとって馴染みのある人だったことが、
――なるほど、門倉本部長の「挑戦」という言葉はここから来ているのかも知れないな――
と思った。
その人物は制服警官であり、いつもの馴染みのその人は、昨夜も会っている長谷川巡査だった。
そう思って、長谷川巡査が伴って現れたその少女、明らかに見覚えがあったので、よく見ると、その娘は、居酒屋「露風」のお美紀ちゃんであった。
この中では山崎刑事だけが馴染みがないだけで、他の三人には昨夜も会っているだけに馴染みがあった。
この状況、何から攻めていいのか分からずに、まずは清水警部補が、
「まあ、こちらにおいでください」
と言って、二人を部屋に招き入れた。
二人はもう一度一礼し、恐縮しながら、お美紀ちゃんは一度長谷川巡査を見つめたが、長谷川巡査が頭を一度下げると、意を決したかのように覚悟を決めて、部屋の中に入ってきた。