悪魔のオンナ
犯行現場もほとんどが、あのガード下がほとんどで、長谷川巡査も、あのあたりの見回りには毎日気を遣っている、K署の方からも捜査員が日に何度か見回っているが、最近、その数が激減していたことで、見回りの数も減らしたところだった。
それなのに、まさかあの場所から死体が発見されるというのは、ある意味一番驚いているのは、長谷川巡査だったのかも知れない。
ただ、長谷川巡査は、あの時、死体が発見された時、このあたりに最近暴行事件が多いという話はしたが、詳しいことは何も話していない。
これでは、皆話をすべて聞いた気になって、わざわざ暴行、窃盗専門部署に聞きに行くことはないだろう。
まさかそれを見越しての報告であれば、長谷川巡査は何を考えているというのだろう?
もし、この時、居酒屋「露風」で、長谷川巡査を見かけなければ、そんな発想になることもないだろう。
――長谷川巡査は何かを隠しているのかも知れないな――
と辰巳刑事は感じたが、そんなことを感じたのは辰巳刑事だけに違いない。
さっきまでの表情とは明らかに変わった長谷川巡査はいつもの表情に戻っていた。
しかし、辰巳刑事や清水警部補が目の前にいても、自分から話しかけようとは決してしなかった。
長谷川巡査は、店に入ってきたお美紀ちゃんとずっと話をしているようだった。
そんな時、ふと聞こえてきた話に辰巳刑事は耳を傾けていたが、それは、辰巳刑事が最近、どこかで聞いた話だったので、興味をそそったのだ。
最初は、ありきたりの挨拶のような話だったが、
「面白い話をしてあげようか?」
と言ったのを耳にした時、辰巳刑事は何かにピンときた。
「刑事の勘」
というものなのかどうか分からないが、気が付けば聞き耳を立てていた。
「お美紀ちゃんは、『卑怯なコウモリ』という話を訊いたとこがあるかい?」
「いいえ、どんな話なんですか?」
「それはイソップ物語の中にある話なんだけどね。これが僕は結構好きな話なんだよ」
と、言って長谷川巡査は一口、目の前にあった日本酒の入ったコップを口に運び、ゴクリと一口飲み込んだ。
辰巳刑事はいよいよその話に聞き耳を立てた。
――イソップ物語の卑怯なコウモリの話だったら、知っているぞ――
と思ったのだ。
大学の時に聞いた話だったので、半分忘れかけていたが、長谷川巡査がどういう話し方をするのかに興味があった。それによって、お美紀ちゃんという女の子の解釈能力も図れるというものであるからだ。
最初に聴いた時は、結構面白い話だと思ったので、しばらく忘れなったのと、自分も物知りだということを人に知らしめたくて、自分でもネットで調べて、より正確な内容を理解したうえで人に話をしていたのだが。あれから何年も経っていて、この話をする人もいなかったので、どれだけ自分の頭の中で把握して覚えて居られるか、実際には甚だ疑問だった。
だが、目の前にいるお美紀ちゃんと見ていると、その好奇な目がまるで最初にその話を訊いた時の自分の目と同じだったのではないかと思うと、きっと彼女なら、自分よりも、解釈能力のすごさを発揮してくれるのではないかと思うのだった。
「このお話はね。まぜ獣の一族と、鳥の一族のどちらが強いかということで戦争をしていたというところから始まるんだけどね、その様子を見ていた一羽のずる賢いコウモリがね、獣の一族が有利になると、獣の前に姿を現して『自分は全身に毛が生えているから、獣の仲間です』というんだ。でも、鳥の一族が有利になると、鳥たちの前に姿を現して、『自分は羽があるので、鳥の仲間です」 というんだよ」
というと、お美紀ちゃんは興味深げに頷いて
、「うんうん」
と、長谷川巡査を凝視していた。
その話を訊いていた、他の四人も、いつの間にか話をやめて、長谷川巡査の話に耳を傾けていた。
そのことを長谷川巡査が気付いていたのかどうか分からないが、長谷川巡査はお美紀ちゃんだけを見て、得意げに話を続けた。
「その後なんだけどね。鳥と獣が和解したことで、戦争は終わったんだけど、幾度もの寝返りを繰り返し、双方にいい顔をし続けたコウモリは、鳥からも獣からも嫌われて、仲間外れにされてしまうんだ。『お前のような卑怯者は二度と出てくるな』と双方から追いやられて居場所がなくなったことで、やがてコウモリは暗い洞窟の中に身を潜め、夜だけ飛んでくるようになったというお話なんだ」
というと、お美紀ちゃんは、その話をすぐに理解したようで、
「そうやって、何度も人を欺いていると、やがて誰からも信用されなくなるというお話のようね。まるで『オオカミ少年』のお話に似ているような気がするわね」
と、お美紀ちゃんは言った。
「そう、その通りなんだよ。でもこうやって話を訊くと、なるほど確かにコウモリって、暗い洞窟にいて、夜の誰もいなくなったところでしか出てこなくなったよね。その理屈もうまく説明されているという意味では、すごいお話なんだなって、僕は思うんだ」
「うんうん、本当におとぎ話ってすごいわね」
とお美紀ちゃんがいうのを聞くと、
「じゃあ、お美紀ちゃんね。同じコウモリの話でも、もう一つ違う話がイソップ物語の中にあるんだよ」
という長谷川巡査の話に、
「へえ、そうなんだ。それも聞いてみたいな」
と、興味はさらに沸き上がったようで、すでに頂点に達しているのかも知れない。
「そのお話は、『コウモリとイタチ』というお話なんだけど。千綿に落ちたコウモリはイタチに捕まって命乞いをすると、イタチは、「すべて羽のあるものと戦争をしているので、逃がすわけにはいかない」というんだけど、自分は鳥ではなく、ネズミだと言って、放免してもらうんだ。しばらくして今度は別のイタチに捕まるんだけど、今度はネズミが皆仇だっていうんだ。そこでコウモリは自分はネズミではなく、コウモリだと言って、またも危機から逃れるんだよね」
とH瀬川巡査がいうと、
「うんうん、さっきのお話と似ている感じなのね?」
とお美紀ちゃんがいうと、
「そうなんだよ、でもね、ここからが少し違うんだけど、解釈する人によっては、『状況に合わせて豹変する人は、しばしば絶体絶命の危機から逃れることができる』という教訓だということで、同じところにいつまでもとどまっていてはならないという教訓にもなるんはないかという話でもあるんだ」
と長谷川巡査が諭すように言った。
それを聞いていた四人は、
「うんうん」
と頷きながら答えていたが、きっと理解したというよりも、自分たちの経験に照らし合わせて、感じたと言った方が正解なのかも知れない。
お美紀ちゃんも、
「なるほど、確かにそうかも知れない。同じ内容のようでも、どちらで解釈するかによって、その時々の考え方が違っているということでもあるし、別の人が考えただけでも、どちらを考えたとしても、どっちが正解ともいえないことなのかも知れない。それこそ、臨機応変に考える必要があるということになるのかしらね?」
という話をしたことで、
――分かってくれたんだ――
と思った長谷川巡査は、感無量に感じたのか、有頂天になった表情をしていた。
「悦に入った表情」