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悪魔のオンナ

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「ひょっとして、門倉本部長も同じことを感じているのかも知れない」
 と思った。
 それは、急に門倉本部長の視線を感じたからである。それまでは、まったく感じなかった視線を感じるようになると、次第に今日の女将がいつもの女将ではないように思えてきた。
 今の女将は清水警部補お方を見ようとはしない。敢えて無視しているようだ。
――いや、無視しているわけではなく、本当に見えていないのではないだろうか?
 と感じると、そのとたん、門倉本部長の視線を感じるようになっていた。
――門倉本部長に、私の気持ちを看破されてしまったのか?
 と感じたが、決して、糾弾するような目ではなかった。
 どちらかというと、もう一人の自分を見ているかのように感じたのは、以前に清水警部補にも似たような経験があったのかも知れない。
 だが、それがいつのことで、どのようなシチュエーションだったのか分からない。
――あれって、何だったんだろう?
 いつも何があっても、自分を見失わないようにすることが一番だと思っている清水警部補には分からないことであった。
 そんな緊張感を断ち切ったのは、裏から一人の女の子が入ってきた時だった。
 それはアルバイトで入っているお美紀ちゃんだったが、彼女が入ってくるのを見て、一番表情が変わったのが、長谷川巡査だった。
「いらっしゃいませ」
 と、お美紀ちゃんは、他の誰よりも先に、長谷川巡査を見つけ、挨拶をした。
「こんばんは」
 という長谷川巡査の表情は、明らかにさっきまでのすかしたような表情ではなく、
「優しいお巡りさん」
 という顔のいつもの長谷川巡査になっていた。
 その時に一緒に、もう一度、三人の上司に頭を下げた。
 今度はニッコリと笑って、いつもの人懐っこい長谷川巡査になっていた。
 ここは敢えて、
「戻っていた」
 と言わずに、
「なっていた」
 という表現を使った。
 その気持ちを一番感じていたのが、辰巳刑事だったのだ。
 辰巳刑事は、清水警部補、門倉本部長、そして女将の三人三洋の表情を見ようとは思わなかった。思って見たとしても、一度見て次の瞬間には、
「別人ではないか?」
 と感じるのではないかと思うことで、何を信じていいのかと思うと、下手に気にしない方がいいと思ったのだろう。
 それくらいであれば、相手はまったくこちらを無視はしているが、普段はあれだけの人懐っこさを醸し出している長谷川巡査に気を配る方が、よほどよかったのだ。
 辰巳刑事は、
――おや?
 と感じた、
 最初にお美紀ちゃんが入ってきた時、まず気が付いたのは長谷川巡査だった、二人の様子を見ていると、この二人がただならぬ関係であることは一瞬で分かったが、今日ここに長谷川巡査が来ることは分かっていなかったのではないだろうか。
 お美紀ちゃんが入ってきて、反射的に長谷川巡査の方を見た時、その表情は緊張があったのだ。
 それは長谷川巡査に対しての好意的な緊張ではなく、怯えに近い緊張だった。最初からそこに長谷川巡査がいるということを分かっていたとするのであれば、あんな緊張した面持ちにはならないだろう。
――ということは、お美紀ちゃんは誰かそこにいるであろうと思っていた人に怯えを感じていた?
 と思えた。
 だが、そこにいたのが長谷川巡査であると分かってから、緊張は一気に解れ、
「助かった」
 という安堵の表情に変わったのだろう。
 最初に長谷川巡査を見た時の表情は、懐かしい人に遭ったかのような表情であった。そんなに久しぶりであったら、
「あら、お久しぶり」
 という表現になるだろう。
 そうでなかったということは、やはり、二人は示し合わせていたわけではないが、久しぶりというわけでもない。
 お美紀ちゃんは誰か違う人を想像していたが、そうではなかったことで安堵と嬉しさがこみあげてきて、却って、ありきたりな返事しかできなかったのではないかと、辰巳刑事は考えていた。
 この思いは、
「当たらずとも遠からじ」
 いわゆる、ニアピンと言ってもいいだろう。
 二人の間の微妙な距離は、この重苦しい部屋の空気に別の風を吹き込んでいるようだった。
 辰巳刑事は、長谷川巡査よりも、お美紀ちゃんの様子を見ていると、その不可思議な状況が分かってくるような気がした。
 昨日、今長谷川巡査が座っているその席にいた人を、お美紀ちゃんは、どうも苦手な雰囲気を感じた。今から思えば、あの男の視線はお美紀ちゃんの足元から頭までを舐めまわすかのように見つめているのが分かり、気持ち悪く感じたほどだった。
 よほど、注意してやろうと思ったほどだが、その男の目がすでに座っているのが分かったので、下手に何かを言って暴れ出さないとも限らない。親切のつもりでいって、それが災いの元にでもなれば、本末転倒もいいところだ。
 それを考えると、辰巳刑事は、
――余計なことを言わなくてよかった――
 と感じた。
 つまり、お美紀ちゃんは、昨日の男を恐れていたのだ。その男がいたらどうしようという気持ちでさりげなく端の席を見た時、そこにいたのが長谷川巡査だったので、安心したのだった。
 長谷川巡査がいつになく真剣な表情だったのは、その男がやってきて、お美紀ちゃんや女将さんの迷惑にならないように、どのようにして撃退するばいいかを考察していたからだろう。
 ここで、この三人が来たということはある意味強い味方であることに違いはないが、今日は何とかなったとしても、また別の日にやってきた場合にそう対処すればいいかということまで考えなければいけないだろう。
 長谷川巡査は、結構頭の回転は早い方だった。
 本当は刑事になってもいいくらいの頭の回転を持っていて、実は刑事志望を出してはいるが、
「今は警官の数が少ないので、申し訳ないが、もう少し我慢してくれ」
 と言われていた。
 だが、
「決して君が刑事の器ではないというわけではないんだ」
 という巡査部長の話もあったが、その言葉に嘘がないことは、長谷川巡査本人が一番分かっているようだった。
 長谷川巡査の意識はお美紀ちゃんにばかり行っていて。門倉本部長と清水警部補、さらには女将も、変則ともいえる、
「三角関係」
 には、一切の興味を示していなかった、
 女将に対しては気をつけていたが、女将が門倉本部長に気を取られてしまうと、自分だけの世界に入り込んでいた。
 それを辰巳刑事は見ているうちに、長谷川巡査が、何かを妄想していて、
「心ここにあらず」
 の状況であることが分かっていた。
 お美紀ちゃんが気にしている昨日の男、あの男はあの時誰を気にしていたのか、もう少し気にして見ておけばよかったと辰巳刑事は感じた。
 明らかに長谷川巡査は、お美紀ちゃんを守ろうとして、正義感に燃えていることは、勧善懲悪の辰巳刑事だから分かるのであった。
 もし、辰巳刑事が、三角関係の方に集中して意識していたとしても、すぐに勧善懲悪である長谷川巡査が気になってしまい、こちらに意識が動いているだろうことを分かっていたのかどうか、甚だ疑問である。
 辰巳刑事は、ここにそもそも何をしに来たのか、
「それを皆忘れてしまっているのではないか?」
 と感じたほどだった。
作品名:悪魔のオンナ 作家名:森本晃次