悪魔のオンナ
それを聞いて、辰巳刑事だけではなく、その場にいた人は皆頷いていた。
「じゃあ、私も一緒に行こう」
と横から口を出したのは、門倉本部長だった。
「本部長自らですか?」
と、門倉本部長をよく知る辰巳刑事がそういった。
茶化したつもりはないのだが、辰巳刑事にとって、露風というお店、いや、お節さんという女将さんが特別な存在であることを、辰巳刑事は知らなかった。
お節さんを巻き込んだ事件が発生した時はまだ辰巳刑事は新人で、先輩刑事から顎で使われる立場だった。
――今に見てろ、俺だって、後輩ができたら、顎で使えるくらいの刑事になってやる――
という思いで、上ばかりを見ていた頃だった。
どうしても勧善懲悪な性格がすぐに出てしまう辰巳刑事は、誰が見ても熱血漢で、先輩刑事などからは、頼もしく思われるかも知れないが、下手をすると同僚からは疎まれる場合もあったりする。
「自分だけ目立とうとしたって、そうは問屋が卸すものか」
という感情の矢面に立たされることだってあるだろう。
ただ、そんな辰巳刑事をコントロールできるのが清水警部補であった。
当時はまだ刑事だった清水警部補は、自分が叩き上げの刑事であるということから、交番あがりの辰巳刑事を見ていると、頼もしさとは別に、かわいらしさのようなものがあったのだ。それはまるで自分の息子を見ているかのような気分であり、さらに、自分にはどうしても一線を引いてしまってできないことでも、辰巳刑事は、やってのける。それは彼の役得とでもいうべきか、
「辰巳なら許される」
という雰囲気があったからだ。
逆にそんな雰囲気があるから、まわりから何でも許されるという特権を有しているようで、癪に障る人も多いのだ。
「味方も多いが、敵も多い」
というのが辰巳刑事で、逆を言えば、
「まわりには敵か味方しかいない」
というわけでもあり、却ってそんな状況を、
「潔くていいんじゃないか?」
と開き直りにも似た感情を持っているのが、辰巳刑事本人だったのだ。
そんな辰巳刑事のような面を持ってはいるのだが、表に出すことをしない清水警部補はずっと辰巳刑事を羨ましく思っていたのだ。
居酒屋「露風」には、昨日赴いた辰巳刑事、清水警部補に、門倉本部長の三人で行ってみることにした。
昨日とほぼ同じくらいの時間に行ってみることにした。
店は、まだ開店すぐくらいの時間なので、三人がカウンターに座れるのは間違いないことだろう。今までもそうだったが、なるべく門倉本部長は、なるべく事件に関しては口出しをしないようにしようと思っていた。
――私はあくまでも、女将の元気そうな顔が見れれば、それでいいんだ――
と思っていたのである。
前の旦那が殺されてから、憔悴しきってしまい、入院まで余儀なくされてしまった気の毒な奥さん。正直あの時のお節さんを見ている限り、ここまで回復するとは正直思っていなかっただけに、門倉本部長は、それだけで、何か自分が救われた気がしていた。
別に何か悪いことをしたわけではない。むしろ、犯人を捕まえて、お節さんと旦那の無念を晴らすことができたのだから、よかったと表もいいはずであった。しかし、そう思えなかったのは、それだけ当時の門倉刑事が、お節さんに思いを寄せていたからなのかも知れない。
まわりにもそんな雰囲気を醸しだすなど、警察官生活の中で、後にも先にもあれだけだったのだ。
あの頃のK市では、結構借金苦によって、殺人事件が起こったり、自殺が多発したりと、金銭的なことが原因による事件が多かった。
「これもご時世なのか?」
と当時の上司がやり切れないとばかりに呟いていたが、門倉刑事も力強く頷いていた。
事件が起こったあの時も、同じ「露風」という名前の店をやっていた。警察は、犯人を逮捕して、検察に送ってしまうと、その事件が終わってしまったということになる。もちろん、裁判の証人として法廷に立たなければいけないこともあるが、捜査員としての仕事はそこで終わりだからだ、
実際に犯人が起訴されて、刑が確定し服役することになる頃にはお節さんは退院していて、借金の大部分は、旦那の生命保険からだいぶ充当できたが、、生活をしていくために、旦那が残してくれたこの店を、自分でやっていくと心に決めたお節さんの最後の表情を見た時、
――もうこの人は大丈夫だ。俺も店に行くことはないだろうな――
と、自分の想いを断ち切るという意味でも、門倉刑事は、それ以降、居酒屋「露風」に顔を出すことはなかったが、絶えず、心の奥底に、お節さんのことを思い続けてはいたのだった。
「あの人が幸せになってくれれば、それだけでいいんだ」
という思いだった。
実際にその思いは破ることはなかった。一度、こうと決めたことを、自分から破ることのない揺るぎない強い気持ちを持つことのできる門倉刑事は、K署で数々の事件を解決に導き、
「K署に、門倉刑事あり」
とまで言われるようになると、まるで図ったかのようなタイミングで、県警本部に呼ばれたのだ。
さすが、県警本部というと、所轄で名声をほしいままにしてきた捜査員の集まりである。上官にはエリート集団がいて、捜査員として、所轄からの叩き上げという、
「警察組織のピラミッド構造」
を絵に描いたようなところであった。
本来なら、あまりそういう組織は好きではないが、警察官としての自分を向上させるためには避けて通ることのできないものであり、自分が警察に入った目的である、
「勧善懲悪」
と実現するためには、好都合であった。
「勧善懲悪」
というと、辰巳刑事の代名詞のように聞こえるが、それは彼が感情を押し殺すことなく、表に出すからであり、熱血漢としての心意気がそうさせるのだった。
だが、他の刑事も大なり小なり、
「勧善懲悪」
を持っている。
そうでなければ、警察官という仕事を責任感を持ってできるはずもなく、自分を律することもできないだろう。
特に、
「静かに燃えるタイプ」
と言ってもいい門倉刑事のような人こそ、下部の一般捜査員にとって、県警本部で指揮を執るにふさわしい人だと思えるからだった。
長谷川巡査
三人が居酒屋「露風」の前に来た時は、昨夜同様すでに日は落ちていて、店の前の赤提灯が目立っていた。
目立ってはいたが、いかんせん、寂しいところなので、その色は濃いものであり、影を帯びた赤い色は、とても影を作れるほどの明るさではなかった。
「満天の光り輝く星々というのは、そのほとんどは、自分から光を発する恒星か、あるいは、恒星の光を浴び、反射することで光っている惑星、衛星である。しかし、その星々の中には、自ら光を発することのない星があり、すべての光を吸収すると言われている。それは邪悪な星であり。その星が近づいてきても、誰も分からない。そんな星も無数にあると言われているのだ。それを『暗黒星』と名付けた学者がいたという」
その時の赤提灯を見た時、門倉本部長はその言葉を思い出した。