短編集120(過去作品)
真っ白な脳内
真っ白な脳内
窓の外を流れる風景は、懐かしさだけが、昔と変わらず迎えてくれる自分を感じさせる唯一の手段であろうか。就職してから六年が経った。長いか短いかと言われれば長かったように感じる。だが、懐かしさは、その思いを一瞬に変える魔力があるようだ。
大学を卒業するまでは、故郷などという感覚はなかった。田舎と言うには中途半端な都会に住んでいたので、東京へ出ても、さほどのギャップは感じなかった。だが、方言だけはどうしようもなく、どうしても地方出身者として見られたものだ。
仕事をしている時に意識することはない。営業に出かけて、出先の担当には地方出身者は多い。だが、会社内では地方出身者と、東京生まれの人との違いを感じさせられることは何度もあった。特に事務の女の子を相手にしている時にである。
事務の女の子は、よく合コンをしているという話であるが、彼女たちはほとんどが短大出身である。学生時代にも適当に楽しんでいたのだろうが、まだまだ遊び足りないと見える。社会に出てからのストレスを発散する術を合コンに求めるのが、都会で働くOLだと思っている人も多いようだ。
数年前にテレビドラマであった内容を、いまだに実行しているというのは、時代の移り変わりの激しいと思っている都会に逆行しているようで、見ていると滑稽だ。そういう意味でも、社内恋愛をしようとは思わない。実際に興味をそそる女性がいるわけでもないし、自分の好みというのもある。彼女たちは、その好みにはそぐわなかった。
田坂四郎が今回田舎に帰る理由は、先日住んでいるマンションに届いた一通の手紙によるものだった。
それは訃報で、学生時代の友人である宮本から送られたものだった。亡くなったのは、同じゼミに所属していた柏田で、週末に葬儀をやるので、その招待状であった。
柏田とは、ゼミ以外でも、同じ文芸サークルに所属していた。文芸サークルには初めて付き合っていた女性もいたことを思い出したが、今となっては淡い思い出だった。手紙を貰ったことで、久しぶりに宮本に電話で連絡してみたが、
「今週の土曜日なんだが、来れるか?」
「ああ、今度の土曜日と日曜日は休みなので、ちょうど行けると思う。じゃあ、その時にな」
と、詳しい話は電話でしても仕方がないだろうということで、手短に済ませて、電話を切った。
それが水曜日だったのだが、土曜日まではあっという間だった。
仕事はそれほど忙しい時期ではなかったのが幸いだった。営業先がスーパーなので、季節の変わり目の店内改装の時期、あるいは、年末年始や年度末などの繁忙期には土日であっても、なかなか休みが取れなくなる。
休みの日に何をしているというわけではないが、最近はパチンコに少し嵌っていた。パチプロのようにデータを研究したりはしないが、確率の甘い台で、時間を使って遊ぶようにしていた。
別に儲けようという意志が強いわけではない。余った時間をどう使うかというだけなので、楽しめればそれだけの出費も計算のうちである。
そんな風に余裕の考えを持っているからであろうか。大きく儲かることもないが、それほど損をしている感覚もない。むしろ、普段の自分が味わえないような時間を味わうことで、あっという間に過ぎてしまうのも一興であった。それだけ普段と違う時間を楽しめたということで、時間の感覚がないことも悪いことではない。
仕事中でも同じである。営業から帰ってきて、デスクワークをしている時間は、別の時間を過ごしているようだ。特に午後五時を過ぎてからは、時間が経つのが早く感じられる。それも、休みの日の時間の使い方が影響しているのかも知れない。
休みになると、逆だった。
会社での夕方以降の時間の感覚が、休みの日の感覚に似ている。仕事をしていても最近はあまりストレスがたまらなくなったのは、休みの日の過ごし方でリフレッシュできているからかも知れない。
これはあくまでも自分流で、他の人にはお勧めできない。特にすぐに頭に血が上ってしまうような血の気の多い人がパチンコにのめりこめば、間違いなくストレスをそのまま仕事に持ち込むに違いない。仕事でのストレスと混同してしまって、解消するどころか、何から手をつけていいか分からなくなる。自覚だけは忘れないようにしないといけない。
営業をしていると、自分の会社の事務の女の子よりも、営業先の女の子の方が眩しく感じられる。
実際に先輩営業マンの人の中には、営業先の事務員の女の子と結婚したり、付き合ったりしている人もいる。付き合い方を見ていると、結構純情な付き合いができているようで、やはり仕事から離れると新鮮なのだろう。
届いた訃報と聞き、金曜日の夜から移動することを考えた。
仕事場から東京駅は近い。家に帰る手間を考えれば、そのまま新幹線に乗り込む方が手っ取り早いと考えた。新幹線で名古屋まで行き、そこから少し戻ればうちに帰ることができる。
名古屋市内から少し離れているが、都会というには夜は寂しい。田舎というには、学校や住宅が立ち並んでいるので、昼間は賑やかだ。
夜になると、寂しさを打ち消すかのようにバイクを走らせている輩がまだこの当たりにはいるようだ。学生時代にはいい加減鬱陶しかったが、一度離れると懐かしさを感じる。
家に帰り着く前に名古屋駅で学生時代の友達と少し呑んだ。東京から名古屋など、新幹線ではあっという間、さっきまで東京にいたのが、不思議なくらいだ。
東京に染まってしまうと、名古屋の風習が田舎臭く感じられる。東京と大阪とに挟まれて、独自の文化を育むことが名古屋人のプライドのように思っていたが、実際に東京の人間になってみると、「お山の大将」だったかのように思えてならない。それでも何とか東京に染まらないようにしたいと思っていることはいくつかあり、どうしてもジャイアンツのファンにはなれなかった。
どうしても、ドラゴンズである。東京のひ弱さをずっと感じて育ってきた子供の頃、ドラゴンズこそが野武士軍団の象徴のように思っていた。もちろん、今でも同じで、大人の野球よりも、がつがつしていてもいいから、野武士的な野球が魅力的である。
ただ、今から思えば、ナゴヤ球場が懐かしい。
ドーム球場になってから、野球がまるで室内競技のように思える。神宮球場や横浜スタジアムでは表で見れるが、会社の連中と一緒に行くのであれば、どうしても東京ドームになってしまう。
「どうしても、距離感がつかめないんだよな。モーム球場だと」
「確かにそれは言えるな。屋根のない球場でも距離感がつかめないけど、それなりに大きな打球が闇の中に飛んでいくと、それなりにドキドキするものだよ。ドームだと、バックが金属の骨だから、どうにもドキドキすることもないんだ」
「でも、その分、声援で分かるでしょう?」
「それもそうなんだけど、表には表の音の響きがある。それに暗いところと明るいところが別れているだろう? それがまた野球を見る醍醐味なんだよ」
作品名:短編集120(過去作品) 作家名:森本晃次