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短編集120(過去作品)

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 見晴らしがいいせいか、天気の変化も綺麗に分かる。綺麗に晴れ上がって雲ひとつない天気の時はいいのだが、曇天迫るグレーで染まった空を見る時、どす黒い雲が風に流されていくさまがハッキリと見て取れるのである。
 晴天から急に真っ暗になり、雲が太陽を遮断してしまうことも何度かあった。特に山が近いせいもあって、天候には一番敏感なようだ。
 雨が降る時は一番強く降り、平地で雪がちらつく程度であっても、このあたりは、あたり一面真っ白に彩られることも稀ではなかった。
 冬になるとバスはチェーンを巻き、下界とは一線を画しているような雰囲気が見て取れる。
 短い春が終わりに近づいてくると、このあたりは、一気に雨の心配をしなければならなくなる。その年はゴールデンウイークに雨が降らなかったかわりに、五月中旬から雨が続いた。まるで一足先に梅雨に入ったかのようだった。
 だが、気温は上がらなかった。同じ雨でも梅雨の雨とは違う。風も強く、まるで木枯らしが吹いているかのような冷たい風であった。
 雨が降る時はいつも突然だった。
 最初に、一粒二粒と顔に水滴を感じる。すると、後はバケツをひっくり返したような豪雨が襲ってくるのだ。あまり慌てないで済んだのは、雨が落ちてくる前に空には曇天が広がる。太陽はそこにはすでになく、雲の切れ間が見る見るうちに消えていく。
 最初の頃は、雲が広がってくることに気付かなかった。気がつけば完全に太陽が隠れている状態である。
――どうして気付かなかったのだろう――
 自分でも不思議だった。最初の数回はまったく気付かない。それはどうやら私だけではなかったようだ。
 その話を友達にすると、
「お前もか。俺もなんだよ。おかしな現象だな」
 お互いに顔を見合わせて不思議がっていたものだ。季節の変わり目にもなかなか気付かなかった。
「山間に位置しているということだろう」
 という結論に至るに過ぎなかった。
 私がその奥さんと初めて話をしたのは、夫婦が引っ越してきてから一月ほど経ってからのことだった。新しい人が引っ越してきたというのは珍しいわけではないが、それが新婚ともなれば別である。ほとんどの世帯が子供がいて、子供同士の付き合いから親も仲良くなったという人も多いようだ。
 PTAの関係もあるらしく、子供の件に関しては親密になっている。
 しかし、新婚夫婦には、子供がいるわけではないので、なかなか馴染めない。しかし、まわりからの意識は強かったようで、毎日のように井戸端の噂になっていた。
 それでも、人の噂も七十五日と言われるが、実際には一月もすれば噂されることもなくなっていた。
「こんにちは」
 これが最初の言葉だった。
 庭にはいくつもの植物が植えられていて、花の種類を知らない私は、ただ、
――綺麗だな――
 としか感じなかったが、奥さんの顔を見ているから、花も綺麗に見えるのかも知れない。
 奥さんが気さくに声を掛けてくれた。
 それまでまともに顔を正面から見たことがなく、どこか暗い雰囲気のする奥さんだと思っていたが、実際には明るい人だった。今まで近所のおばさんしか見ていなかったので、新鮮にも感じる。
 おばさんたちの話し方はさすがにうまい。小学生の頃までは正直に聞いていたが、中学くらいになると、どこかわざとらしさが感じられ、半分聞いて、半分聞き流すようにしていた。
 奥さんは、どこか明るすぎるところがあるくらいだったが、それは年上の魅力ある女性という贔屓目があるからだろう。自分にかまってくれるまわりの女性というと、母親と同じくらいのおばさんか、同級生くらいで、年上の魅力的な女性はいない。学校の先生も、なぜか男の先生ばかりで、女性への興味はあるのだが、どこか冷めた目で見ていた自分に気付いた。
 それを気付かせてくれたのは奥さんだったが、後から思えば、最初から意識していたようにしか思えなかった。
「お紅茶入れたので、寄って行きませんか?」
 どうやら、家に招待してくれるようだ。
「あ、はい。喜んで」
 こんな時に、答える言葉であるかどうか分からなかった。頭は真っ白になっていて、奥さんが来ている服も真っ白だったこともあって、顔が光って見えたので、表情までハッキリと分からなかった。
 笑顔であることは間違いない。目が輝いているように思う。さらに唇がテカテカしていて、リップクリームでも塗っているのか、真っ赤な口紅よりも妖艶に感じた。
 紅茶には花びらが浮いていて、中にはシナモンが入っていた。
「おいしいですね」
「そうでしょう。独身時代から紅茶にはうるさい方だったのよ」
 紅茶を飲み始めると、だいぶリラックスしてきた。コーヒーもそうであるが、紅茶には精神を安定させるものが入っているのだろう。それがカフェインであるということは、高校になって習うことになる。
「あのね、変なことを聞くようで気が引けるんだけどね」
 完全に話し方では馴染んでくれているようだ。まるで弟にでも話すような口調は、どこか安心できるが、なぜか残念な気もする。せっかく年上の女性と話をするのだから、もう少しドキドキしながら話せると嬉しかったが、どうやら、奥さんは弟のように見ているようだ。
「何でしょう?」
「君は、よく晴れた昼間、お部屋にいる時、急にお部屋が暗くなって、意識が薄れてくるような経験をしたことがある?」
 本当に変な話だ。何が言いたいのだろう?
「どういうことですか? 僕は今までにそんなことはないですよ」
 と答えたが、実際には似たようなことはあった。
 私の部屋には西日が差し込む。昼下がり晴れていれば、これ以上ないというくらいに明るいものだ。明るすぎるせいで、瞼に光の残像が残ってしまうこともあった。そのために、少しでも影が差すと、暗くなってしまうことがあった。
 だが、意識が薄くなることは稀だった。一年に一度くらいは、そんなこともあるかも知れないが、それが気になって意識として残ることはなかったのだ。奥さんは何を気にしているのだろう?
「私は、いつも夫の帰りを待ちわびているんですが、気がつくと、まわりが暗くなって、夜になってしまっているんです。夫が夜にならないと帰ってこないので、寂しいからなるのだと思っていました」
「夢なんじゃないですか?」
「はい、夢なんですよ。いつも気がつくと寝てしまっていたようで、それもキチンとパジャマに着替えて布団の中に入っているのよね」
 おかしな話をする奥さんだ。見ず知らずの、しかもまだ中学生の私にそんな話をして、何か答えが出るとでも思っているのだろうか。
「何か、不安なことでもあるんですか?」
「私は幸せな時でも、いつも何かに怯えていることが多いんですよ。特に今のような幸せが今までに続いたことがなかったので、それで自分に疑心暗鬼になっているのかも知れませんね」
「きっとそうですよ」
 と答えたが、私にも彼女の気持ちが分かるような気がする。
 私も幸せな時ほど不安に感じるものだ。
 こうやって奥さんと話をしているのがとても心地よいのに、
――もし、旦那さんが帰ってきたらどうしよう――
 と思ってみたり、こんなところを母親に見られたら、何と言い訳していいのかを考えてしまう。
作品名:短編集120(過去作品) 作家名:森本晃次