短編集120(過去作品)
追いかける時間
追いかける時間
あれは十年くらい前のことだっただろうか。一組の夫婦のお話である。
このことを知っている人はもういないだろう。何よりもそんな夫婦がいたことも、今は語られることもない。彼らは新婚夫婦だった。男も女の普通の夫婦で、お互いにまわりに気を遣う優しい性格だった。
それは二人がこの街にやってきてから始まるのだが、このことは誰から聞いたというわけでもなく、ひょっとしたら夢だったのかも知れない。今、こうしてこの話を書いている私が誰かということも、この際、あまり触れないでいただきたい。
人が夢を見るとしよう。そのことを知っている人はまず誰もいない。夢を見た本人でさえ、目が覚めてくるにしたがってその内容を忘れていくものである。
実際に私はその夫婦と仲がよかったわけでもなく、話すらしたことのない関係であった。たまにすれ違うと、
「こんにちは」
と挨拶をする程度、それも、相手は決まって奥さんだった。話し掛けるまでに時間も掛かった。男の人と会った記憶すらないく、よほど仕事が忙しいのだろうと思っていた。
普通の会社員だと言っていたのは、奥さんである。それも、他の奥さんとの立ち話が漏れ聞こえた時の話である。奥さんの声は明るく、少々遠くても聞こえてきた。
声も高い方で、一生懸命に話していたので、話をする相手も引き込まれていたに違いない。
顔はあどけなさが残っていたが、明らかに美人である。私からすれば好みのタイプで、ただ、気取って見えるところがあってか、男性を寄せ付けない雰囲気もたまに漂わせていた。
たまに出会って、少し話をする程度の人には分からないだろう。いつも気さくな雰囲気を漂わせているからだ。気取っていて、男性を寄せ付けない雰囲気に感じるようになるまでには、かなり時間が掛かるかも知れない。それだけ、稀にしか見せない雰囲気だった。
私が彼女のすべてを知っているのだと思い込んでしまったのは、そんな性格が見えてきてからだった。
だが、彼女を見つめれば見つめるほど、知らなかった部分が現れてくる。それは彼女のすべてを知っていると思い込むようになってからも同じだった。
「どこか、底が見えない性格をしているんだ」
と感じるようになっていた。
こうやって書くと、まるで彼女が捉えどころのない、不可思議な女性のように思われがちだが、実際にはそうでもない。人と話している時、そして一人でいる時も実に行動パターンは単純で、分かりやすい性格をしている。
「私の見る目が歪なのかな?」
とさえ思うほどだった。
実は、新婚夫婦が私の前に現れた時、私はまだ中学生だった。まだまだ子供という意識も抜けない中、いつも大人への憧れを持っていた。学校では同級生に囲まれながら、学校の外の大人を見ていたのだが、夫婦が引っ越してくるまでは、
「大人を感じることができる人」
つまり、憧れに値するような人はいなかった。
どうしても大人というと、子供を子供扱いして、
「子供の本分は勉強すること」
と判で押したような目で見ていて、そのくせ、何かあると、
「あの人が悪いんだ」
と、状況判断をせずに、一人を悪者にしてしまって、それですべてを終わらせようとしてるように見える。本来であれば、何がどう悪いからその人が悪いという結論に達するはずなのに、過程なくして結論だけが先行してしまっているようで、中学生の私には理解ができなかった。
学校から帰る時、路地端で井戸端会議をしている主婦たちを見るのも嫌だった。聞きたくもない話を大声で喋っているので、聞きたくもないのに、耳に入ってくる。これほど嫌なものはない。思わず歯を食いしばって睨み倒してやったことが何度あったことだろう。
私がこの街に住み始めたのは、三年くらい前だった。つまり、今から十三年前である。
もう、都会ではすでにマンションが建ち並び、人が集中していた頃だったが、まだまだ都会から少し離れたところでは、一戸建てを分譲できるだけの土地は余っていた。
都会のマンションも、分譲になると高価で、少し通勤通学には不便だが、一時間以上通勤に掛ける覚悟さえあれば、一戸建ても不可能ではなかった。
私もそうなのだが、父も思い立てばすぐに行動する方だ。しかも、安いものを買うよりも高いものを買う方がなぜか即断できる。さすがに家ともなれば、即断とはいかなかったが、両親に後悔は躊躇いはないようだ。
都会から通勤に一時間半程度、駅を降りてからバスに乗り換える必要があるので、一時間半と言っても、結構辛いものがある。
東京に住んでいる人からすれば、
「一時間半くらい、大したことはない」
と言われるだろう。だが、東京ほどではなくともそれなりにラッシュもあり、通勤通学には体力を使う。それを考えると、一軒家を手に入れるのも大変なことであった。
子供にとってそれがどれほどのことかは分からなかったが、少なくとも、新婚夫婦がいきなり一軒家を持てるようになるなど、少し贅沢な気がした。親が金持ちか何かで、かなりの援助があったに違いないが、それにしても、まわりからすれば羨ましいのではないだろうか。
新婚ということで、ご主人さんもそれほど通勤も辛くはないだろう。奥さんも留守の間は楽しそうに掃除をしたり、買い物に出かけたりしていた。子供の頃からそんな姿を見せつけられると目に毒だと思ったほどである。
季節も春で、私も新学期を迎えていた。私の方が新婚夫婦よりも一年先にこのあたりに住んでいたので、先輩だという思いを抱いていた。
一年前を思い出していた。自分が手に入れた家というわけではないのに、ウキウキしていた。元々、自分のものであっても、自分の力で手に入れたものでなければ、喜びはあまり感じない方だったが、新しい家で何に感動したのかというと、一番は、環境が変わったことだった。
学校も転校になり、知らないクラスメートと新しく一から友達になれることを喜んだ。
だが、実際には後から来たものを毛嫌いする集団があったようで、思ったよりも歓迎されなかった。今までの学校では自分が迎える方で、転校生が入ってくれば興味津々のせいか、気になって仕方がなかったもので、決してよそ者扱いになどしたことはなかった。
まわりの友達もそうだった。よほど変なやつでもなければ、暖かく迎えていたものだ。
――何が違うのだろう――
いろいろと考えてみたが、一番は都心部と、そうでないところの違いである。
決して田舎というわけではないが、新しく生まれる街で、学校もすべてが発展途上である。創立三年目の学校で、卒業生を送り出したことも、新入生を迎えたことも、まだ二回しかないのだ。
新興住宅街というのは、大体丘の上にあったりする。ここもけやきが丘と呼ばれる地名で、夜になると見晴らしがいいところである。ちょうどけやき山と言われる小高い山の麓にあり、ここからは、遠くに海も見渡せる。環境的にはいいところであるのは間違いない。
作品名:短編集120(過去作品) 作家名:森本晃次