短編集120(過去作品)
そのために、中央にはかなりの席が空いている。教授の目線から見れば、きっとガラガラにしか見えないだろう。だが、講義の相手は田坂たちだけに視線を向けているので、やりがいはあるに違いない。田坂たちはそれなりに教授の講義へのリアクションを取っていたからだ。
田坂にとって友達は、きっとまわりも同じように思っている仲間だと思っている。
「自分の考えはまわりの考え、まわりの考えは自分の考え」
と思っているのである。
それが親友の定義ではないだろうか。
就職した連中に同じことが言えるかどうか分からないが、気持ちは通じていると思っている。きっとそのうちに彼らから連絡があると信じていた。
その日はあまり呑みすぎないようにしていた。
元々アルコールは強くなく、仕事が終わってからの移動であったため、翌日の葬儀に差し支えてもいけない。
確かに久しぶりに集まった仲間と呑む酒だった。本当は酔っ払ってみたかった気もするが、下手に呑むと悪酔いしそうな気もした。
普段からアルコールはセーブして呑むようにしていた。自分にとっての伝ジャーゾーンがどれだけか分かってのことで、体調を考えてどれほどまで呑めるかということも大体分かるようになっていた。
最初、その日は実家に帰ろうかと最初には考えていたのだが、帰っても自分の部屋があるわけではない。名古屋市内のビジネスホテルに一泊することにした。
だが、名古屋市内にはあいにくとホテルがいっぱいで、家の近くまで行けば、何とか確保できた。
「なぜ実家に帰らないのか?」
と聞かれるだろうが、家に近くなるにつれて、実家が疎ましく感じられるようになった。本当なら親に顔の一つも見せればいいんだろうが、それは明日、葬儀が終わってからでも見せるつもりだ。実家に行くのが疎ましいのではなく、実家に泊まるのが疎ましい。
考えてみれば、自分の道具はすべて引っ越してしまって、何もない。床の間に布団を敷いてそこで寝るだけである。
父親とはちょっとした確執があった。
医者を開業している父は、本当は田坂に稼業を継いでほしかったようだ。
「医者の息子は医者」
稼業を継ぐのは当たり前という時代に生まれて、そのままの人生を歩んできた父は、少々理不尽なことでも、耐えるべきだと思っている。実際に田坂が小さい頃から、そんな教育を受けてきた。
しかし、理不尽なことには子供の頃から敏感だった田坂は、父親に対して、小さかった頃から疑問を抱いていた。疑問を抱けば、自然と逆らいたくなるもの。そんな性格を分かっているのか、たとえ子供でも父の教育という名の仕打ちは厳しかった。
今では体罰と言われても仕方がないことだが、何しろ理屈に合わないことや、釈然としないことに対しては、身体が動かなかった。相手が父親であってもそれは同じで、嫌、肉親だからこそ、逆らったのかも知れない。
他の家庭環境がどんなものか分からなかった。友達の家に遊びに行っても、泊まることはもちろん、少々遅くなって帰ることも許さなかった父である。
今でも感じている理不尽なところは、いくら大人の理屈があるとは言え、子供には子供の世界があるということを理解していないと感じた時だった。
「今日は皆遊びに来てくれているので、泊まっていらっしゃい」
友達の母親が、そう言ってくれた。友達の家には時々遊びに行っていて、いつも夕方には帰っていた。一度、遅くなった時、
「泊まって行きなさい」
と言われた時、家に電話してその旨を伝えると、
「相手様のご迷惑になるので、帰ってきなさい」
と、あっけなく希望は覆された。一人だったから仕方がなかったのかも知れない。だが、その日は皆が一緒で、皆泊まるというのだから、自分一人帰る帰らないは、相手の迷惑とは関係のないものだ。
そして、以前一人で泊まっていくと言った時の光景がフラッシュバックしてくる。
皆は、家に電話を掛ける。泊まっていっていいと言われたとは言え、当然、
「親御さんがいいと言えばね」
という但し書きがついてくる。
皆が泊まるというのだから、普通であれば、
「相手のご家庭にご迷惑が掛からないようにするのよ」
という会話が想像できる。相手の迷惑だけを考えるのであれば、当然のことである。子供たちにとってはまたとない機会であり、それが教育上いい方に繋がる可能性は非常に高いだろう。
いよいよ田坂の順番が巡ってきた。緊張の元、家に電話を掛ける。繋がるまでの時間がどれほど長く感じられたか、呼び出し音にドキドキするようになったのは、その時からだったように思う。
電話のまわりには、友達や相手の親がいる。電話口でよもやヒステリックな話をするはずなどないと思っていた。
電話に出た母親に事情を説明すると、またしても、返ってくる答えは同じだった。
だが、今回は皆が一緒だという気持ちもあり、
「おばさんが代わってあげる」
と言ってくれたので代わってみるが、電話の内容に進展はなかった。また田坂に代わると、さらにヒステリックになる。
「お父さんが何て言うか」
最後はすべて父親に任せる考え方が一番嫌だった。
結局、期待はしていなかったが、おばさんにも説得できず、
「ごめんなさいね。力になれなくて」
「いえ、いいんです。あんな親ですから」
そう言って、精一杯の虚勢を張って、友達の家を後にしたが、帰り道では惨めさや情けなさで、涙が止まらなかった。その頃から大人というものが信用できなくなってしまっていたのだ。
それから、早く家を出たくて仕方がなかった。今の友達にそんな田坂の気持ちを知っている連中はいないので、家に帰らない理由は説明したくないのだ。
いよいよ葬儀の日、柏田の実家の近くまでくると、さすがに線香の匂いがしてきた。彼が死んだという事実は理解しているつもりでも、それは頭の中だけで、実際に葬儀に参加するまで、ピンとは来なかった。
お経が聞こえてくる。門の前では恐縮しながら受付の人がテキパキとこなしている姿を見ていると、こちらも頭を下げながら、小さな声で、
「本日はご愁傷様です」
と挨拶をしながら、受付を済まし、中に入った。
すでに厳かに葬儀は始まっていた。遅刻したわけではなかったので、始まったばかりなのだろう。皆頭を下げ、お経に聞き入っている。
最前列で親族の人が控えているのが見えた。
――美恵子――
よく見ると、そこには学生時代に付き合っていた女性が鎮座していた。学生時代からハッキリした性格で、嫌なものは嫌だと言うタイプだった。
「美恵子は分かりやすいからいいよね」
「嫌だわ。皮肉かしら?」
「お互いにそうなんだろう?」
「そうね」
田坂はあまり自分の考えを表に出すタイプではなかったが、美恵子の前でだけはハッキリと表現できた。付き合い始めたきっかけはそもそもそのあたりにあったのかも知れない。
普段、自分のことをあまりハッキリと言わなかった理由は両親にあった。
友達の家から帰らされてことをきっかけにして、少々のことでもすぐに口出しするようになった。
作品名:短編集120(過去作品) 作家名:森本晃次