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周波数研究の果てに

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「こんなことってなかなか難しいよな」
 と言われることの発表であった。
 今までの科学や物理学の発表は、近未来に関して、ロボットやAIであったり、もっといえば、
「空飛ぶ車」
 などと言った、昭和三十年代から四十年代にかけての、初期のマンガや特撮ブームの発明が、まったくと言っていいほど実用化されていないではないか。
 特に空飛ぶ車や、タイムマシンや、ロボット開発などというものは、もう半世紀以上も前から叫ばれている、
「近未来」
 だったはずである。
 だが、実際はどうだというのだ? タイムマシンはおろか、ロボットと言ってもやっと最近になってから、二足歩行で、人の声を認識できるごく単調な動きしかできないものしか完成していない。インフラに至っては、新幹線開通の今から五十年以上も前に言われていた、
「リニアモーターカー」
 ですら、やっと、試験的に運用されるという話が政府から出てきたくらいではないか。
 それに比べて、コンピューターであったり、通信機器などの発展はすさまじいものがある。
 ただ、このあたりは、最初に基本形が開発されると、そこから先は、エーカー各社が、そのノウハウを生かして、どんどん新しいものを開発していくことで、急速な発展を見ることができる。だからある意味、扉を開けさえすれば、そこから先は、ドミノ倒しのごとく、大きな発展が見込めるのではないかとも言えるのではないか。
 ただ、専門家になればなるほど、その意見に一定の評価を示しながら、本当のところは違う理由が存在し、そこには、
「開発を進めるには超えてはいけない結界があり、その結界が倫理的な不可能を形成しているのだ」
 という考え方があった。
 タイムマシンや、ロボット開発に関してはその発想が大きく影響している。
 タイムマシンの研究というと、まず何と言っても、倫理的に、SF小説などで言われてきた問題が大きいのではないだろうか。
 例えば、
「タイムマシンを使って、過去に行くとする。そこで、自分の親にあったりして、自分の存在に関係のある人の歴史を変えてしまうとどうなるだろう? 自分が生まれてこない可能性があるではないか。しかも、ここからが難しいところなのだが、自分が生まれてこないのだから、自分がタイムマシンで過去に行くということもない。そうなると、歴史が変えられることはなく、自分が生まれてくることになる」
 といういわゆる、
「タイムパラドックス」
 と呼ばれるものである。
 タイムパラドックスは、
「変えてはいけない歴史を変えてしまうと、それが未来に影響を及ぼす」
 というものであり、SF小説などでは、王道と呼ばれるジャンルだと言ってもいいだろう。
 だが、これも、
「歴史はすべてが繋がっている」
 ということから成り立っている考えであって、
「いったん狂ってしまった歴史は、絶対に元に戻らない」
 という考えから来ているものだった。
 だが、果たしてそうなのだろうか? 
「少々歴史が歪んでしまったとしても、ほんのちょっとした無意識のことであっても、歴史を変えられるのであるから、元に戻すことも、さほど難しくはないのではないか?」
 そう考えることも可能なのではないかと思えるのだった。
 だが、あまりにもそれを証明することはリスクの大きなっことである。実際に過去に行って歴史を変えてみなければ結果は分からない。変えてしまうことで戻ってくる世界がなくなってしまったら、それこそ、浦島太郎の話のようではないか。
 と、そこまで考えた時にふと、川北氏は思った。
「浦島太郎という話は、実はタイムパラドックスの話を描いているのではないだろうか? 何しろ、二、三日の間に生みの仲の世界に行っている間に、世の中は七百五十年が経過しているという設定だった。それは、アインシュタインの相対性理論によって、照明されることであって、浦島太郎が書かれた時代に、そんな発想があったとは思えない」
 つまりは、この時代における話としては、超人的な想像もつかないような力が働いていたという考え方である、
 それが未来人に対しての教訓のようなものなのか、それとも、未来への挑戦なのか、少なくともそのどちらかであり、ただの童話や民話ではないことは確かな気がしたのだ。
 こんな話は世界の仲にも存在しない物語であろう。それだけに日本人という人種は、たまに全世界でも、全時代を通しても、トップクラスの人が登場する民族だと言えるのではないだろうか。
 ある雑誌の評論で、科学者についての評論を書いている人がいたが、これとまったく同じ発想をしていた。そういう意味で、今の日本の科学者の中でランキングがあった。
 今、科学者として成功していて、世界に名を馳せている人を始めとして、これからの世の中にて、科学者界をしょって立つ若手として。川北氏の名前も書かれていたのだ。
 そういう意味で、この記事を書いた記者の鼻は高いことだろう。自分の記事で話題にした人が、前代未聞呼ばれる発明をしたのだ。
 彼の発明は、ある一定の周波数に関わるものであり、その研究は、それまで行っていた研究とは少し違っていた。
 目的が違っていたというだけで、彼はただ視点を変えただけのことだったのだが、そのおかげで発見できたこの研究。視点の転換を思いついたのは、ちょうど博士が殺されてから、彼に疑いが掛かりかかった時だったという。
 川北が自分の将来を考えた時、ふと思いついたのかも知れないが、だからこそ、すぐに自供して、早くこんな事件を終わらせたかったということであろう。
 彼が元々研究をしていたのはロボット開発であり、当然のごとく、皆が行き詰まるであろう結界を目の前にして立往生をしていたのだった……。

           謎の新聞記者

 川北氏にとってのロボット開発は、まさしく、
「人間型になるべく近づくロボットの開発」
 であった。
 もちろん、種々の問題から、不可能と言われるものであるのは、
「タイムマシン開発」
 と同じようなものだった。
 タイムマシンというと、パラドックスの問題から、ずっと昔からありえないことのように思われていたのは、浦島太郎の話でも分かることだった。
 だが、それは理論的な考えであり。ロボット開発においては、もっとリアルな考え方によるものではないだろうか。
 ロボット開発にはタイムパラドックスのようなものhない。過去に行って歴史を変えると、戻る場所がなくなるという、理論上は説得力はあるが、その証明をすることができないというあまりにも漠然とした、限りなくリアルに近い妄想だと言えるのではないだろうか。
 ロボットの場合は、ロボットを作ったとして、コンピュータができる計算くらいは簡単にこなせるはずで、頭の回転の素早さは人間の比ではないに違いない。
 しかし、ロボット開発には、これも開けてはいけない
「パンドラの匣」
 とでもいうような、結界が存在する。
「一番の問題が、開発したロボットが狂ってしまったらどうすればいいんだ?」
 ということである。
作品名:周波数研究の果てに 作家名:森本晃次