周波数研究の果てに
その日は、友人と一緒にいたことになっていたが、川北氏はそのアリバイを強要していたことが後で分かったのだ。
というよりも、彼を怪しいと考え、捜査をやり直すと、アリバイの脆弱性が浮き彫りになり、アリバイを証言した人を責めれば、あっさりと強要されたことを白状した。
彼を怪しいと思った理由は、教授がなくなった時の遺産が自分に入るような遺書があったということが大きかった。
その遺言は佐久間弁護士が持っていたのだが、さすがに殺人事件で、自分を顧問弁護士として雇ってくれた雇い主が殺された事件なのだから、警察に全面揚力するのは当たり前だった。
そのため、やむ負えず、川北氏の不利になる遺言書を警察に証拠として提出したのだが、それを弁護士として悔やんでいた。
佐久間弁護士は、個人的に川北氏と仲が良かったのだった。
そのことと、妻のつかさが借金をしていたという事実迄出てきたことで、川北氏の犯行は決定的だと思われた。
完璧な証拠はないが、アリバイを偽証させたり、遺言の問題。そして奥さんの借金などを考えあわせれば、消去法で考えて、川北氏以外には考えられなかった。
そこで逮捕しての取り調べとなったわけだが、川北氏は諦めが早かったのだろうが、自白に追い込まれることになった。そのため、前述のような状況になったわけだが、つかさが一番責任を感じているのは間違いないことだが、佐久間弁護士も自責の念に捉われてしまっている。
川北氏の自白は本人の心境もさることながら、それ以上に彼の身辺の人間に、多大なる後遺症を残したのはいうまでもない。
だが、それでも川北氏は、出所してからその不屈の精神力で、博士の残した研究を受け継ぐ形で、博士の遺産でもある研究を完成させた功労者であった。
博士側の方は、奥さんがいるだけで、博士にも息子が一人いたのだが、子供が成人する前に、病気で亡くなっていた。
博士も大きなショックを受けたが、奥さんの方がショックは大きく、
「もう、子供はいらない」
という思いに駆られてしまったことで、その精神的なショックが元なのか、博士の方では、
「養子をもらい受けるということも視野に入れて考えたい」
という気持ちもあったということだが、奥さんの憔悴がハンパではないことで断念した。
「博士の気持ちも分からなくもないが、ここは、奥さんの気持ちを一番に考えてあげる方がいいのではないか?」
という佐久間弁護士の意見もあって、博士は養子縁組を断念したという経緯があった。
そのことを博士は佐久間弁護士に対して、恩義を感じていたようなのだが、博士は性格的に本心をなかなか口にしない人なので、佐久間弁護士は、
「博士に恨まれているのではないか?」
という疑念がずっと燻っていたようだった。
ただ、遺産w譲というのは、自分が死んだ時に、自分の遺産の全部ではなく、一部であるが、一部とはいえ、かなりの財産が川北に行くことになる。しかも、妻の借金を帳消しいした上で、さらにお金が十分に残っているというだけの条件には、気持ちが動いても無理もないだろう。
そして問題になったのは、
「川北は博士の病気のことをどこまで知っていたか?」
ということと、病気を知っていたとして、
「遺言書のことを知っていたのか?」
ということが、動機の面で大きく左右するのは分かっていた。
警察が逮捕状を請求できたのは、そのどちらも分かっているという理由からだった。
ただ、一つ気になったのは、
「教授が博士の余命を知らずに、遺言だけを知っていた場合」
である。
何と言っても妻のつかさによる借金も待ったなしではあったし、遺言が確かでなければ、殺害に至るだけの根拠もない、
ただ、いろいろな人の証言で、
「博士が川北に絶大な信頼を置いていた」
というのは、間違いのないことのようで、それだけに博士にとって、自分の死がリアルに迫ってくると、余計に誰を頼りにすればいいのかが明確になってきたことで、あの遺言になったのではないだろうか。
それを実際に口にしたわけではないが、一番分かっていたとすれば、他ならぬ佐久間弁護士ではなかっただろうか、
彼は遺言書を作成しながら、ひしひしとその思いが分かっていた。ただ、そのことで川北に嫉妬していたのかも知れない。
しかし、佐久間弁護士は最後まで何も言わなかった。
佐久間弁護士の博士殺害事件の時の事情聴取では、彼はあくまでも、
「他人」
であった。
顧問弁護士という立場以外で、博士と関係があったことはなかったという。博士殺害の捜査で、当然、弁護士も差tsy買いの容疑者の一人に数えられたが、一番犯人としては、遠いところにいたようだ。
理由の一つに、結構早い段階で、川北の犯行を裏付けるような証拠が見つかり、しかも奥さんの借金というのが、決定的な決め手となった。
実際に川北が観念したのは、妻の借金という話を警察が突き止めた時だった。
だが、それくらいのことは遅かれ早かれ分かるというもので、分からない方がおかしいくらいだ。そうなると最初から川北が自供するのは、計算されていたことではなかったかという疑念が浮かぶ。
川北一人に果たして、どこまで考えられたか。もしここに少しでも計算が含まれているとすれば、その知恵は弁護士によるものであろう。
ただ、川北が犯行を自供し始めてから、素直にどんどん話し始めはしたが、最後まで素直だったわけではない。
彼が途中で、
「俺がやったんじゃない」
と犯行を覆したことがあった。
それは、
「被害者の遺言書というものを知らされた時」
というよりも、
「被害者の余命が分かっていた」
という話を訊かされた時であった。
その時川北は、取調室で愕然となり、その表情には、
「取り返しのつかないことをした」
と言わんばかりに、焦りの色が明らかに浮かんでいて、取り調べをしている刑事としては、それくらいのことは当然知っていたであろうと思っていたことだっただけに、川北の焦った表情には、正直取り調べに当たった刑事もビックリさせられた。
「お前、まさか博士の病気を知らなかったというわけではあるまいな?」
と訊かれて、
「いいえ、病気が重いのは分かっていましたが。まさか余命宣告を受けていたというのは、驚きでした」
と川北がいうと、
「じゃあ、博士が癌だということを知っていたのは知っていたが、そこまでせっぱつ会っていたわけではないと思っていたということか?」
「ええ、そうです」
「だけど、癌だと分かっていれば、普通なら長くはないということも分かるだろうよ。そこまで驚くことではないと思うが」
という捜査員に対して、さっきの驚きとは違う形の表情で、また驚いていた。
最初の驚きは単純に知らなかったことを知ったのに対して、素直な驚愕だったのだが、次の驚きは、刑事が、自分の心境を分かってくれなさそうな雰囲気に見えたことへの驚きだった。驚きの度合いを相手が感じる場合、よりインパクトがあったのは、むしろ後者だったのかも知れない。
発表された研究内容
「君は一体何に、そんなに驚いているんだい?? 余命を宣告されたことが、何か自白に支障をきたすとでもいうのか?」