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周波数研究の果てに

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「え、ええ、大丈夫ですわ。佐久間さんの方はいかがです? 司会というのは慣れていないのではありませんか?」
 と却ってつかさから気を遣われると、照れ臭そうに、
「いいえ、大丈夫ですよ、私はこれでも法廷を仕事場にしている弁護士ですからね。司会くらいなら何とかなりますよ」
 と言ったが、実はこれは強がりで、実際には緊張していたのは、顔色が冴えないことから、つかさにも分かっていることだった。
 つかさは、結構人の顔色を見たり。その様子で、その人の体調が分かったりする方だった。だが、人に気を遣うのが苦手だということもあり、その力を知らない人が多かった。苦手なことの方が、どうしても自分を制御することに影響してしまい、引っ込み思案に見られがちだった。
 だから、この日も、まわりから浮いていても、誰も彼女を気にすることはなかった。むしろ浮いているのを見る方が、彼女らしくて、誰もその様子に疑問を感じる人がいなかったくらいだ。
 それでも佐久間弁護士が声を掛けたのは、司会者という立場から、全体を見なければいけないという責任感に押されての声掛けだったのではないかと、誰もが思ったことだろう。当の本人である。つかさの方がそう思ってしまったことで、佐久間弁護士に対しての言葉がどこか他人事になってしまっていたのはそのせいだった。
 そこがつかさのまわりに対しての損な性格の一つであり、それを、
「彼女の中では当たり前の行動なんだ」
 と思われることが、あるからではないだろうか。
 つかさと川北助教授の交際は、元々勝沼博士の紹介であった。
 同じゼミ生ではあったが、五年も差があると、つかさが大学に入学してきた頃、すでに大学院に進んで研究に没頭していた川北に、彼女と一緒にいるだけの存在感などなかったはずだ。
 大学院の研究生として、つかさはゼミに入った頃から、川北のことを意識はしていた。彼女の先見の明は、すでに川北が優秀な研究者であることを見抜いていたのだ。
 川北は川北で、
「僕は、研究に邁進しているので、結婚はおろか、女性と付き合うなどということを考えたこともない」
 とばかりの、朴念仁のような素振りだったが、実際には女性を嫌いというわけではなかった。
 心の中では、
「自分のことを助けてくれる妻がいれば、もっと研究に没頭できるかも知れない」
 という思いがあったのも事実だ。
 しかし、すぐにその思いは打ち消され。また研究に没頭した。ただ少しでもその思いがあるのか、
「奥さんにするなら、彼女のような人以外には考えられないな」
 と思っていたのが、つかさだったのだ。
 つかさの自分を見る目にもちゃんと気付いていて、ただ照れ臭さと、今まで皆に見られてきた朴念仁としてのイメージを崩すことを、なぜか嫌った。
 それだけ自分が作り上げたまわりへのイメージが自分にとって大切なことであるということを、川北は感じていたのだろう。
 博士が勧めてくれなければ、そのまま交際をすることもなかったかも知れない二人にとって、博士はまさに、
「愛のキューピット」
 だったのだ。
 博士に対して、並々ならぬ思いが強いのは、川北よりも、むしろ、つかさの方ではなかったかと、佐久間弁護士は感じていた。
 つかさは、今日来ている来賓客と、腹を割って話せるどころか、普通の会話もできる人はいないと思っていた。
 実際に人見知りが激しいと自他ともに認めるつかさは、一人でいることには慣れてオタのだが、それも、他の人のように、奥さんの挙動をいちいち気にすることのない川北だからよかったとも言えるだろう。まわりの目をあまり気にしない、それがいいのか悪いのか、一種の天真爛漫的なところのある川北は、妻としてはありがたかったのかも知れない。
 だが、勝沼博士が亡くなった時、その時にはそうも言っていられなかった。そのせいもあってか、川北が人生の中でいかに自分がその後苦労することになったのか思い知ったはずであるが、今でも天真爛漫さは変わらなかった。
「何があっても、これが僕の性格なのでしょうがない。僕に関わっているすべての人間には悪いと思っているのだが、どうしようもないことなんだよ」
 と言っていたが、
「その通りだった」
 と、つかさは思わないではいられない。
 そういう意味で、
「彼が研究をしていなかったら、どんな人生だったのだろう?」
 と思わないでもない。
 下手をすると、人からの信頼などまったくなく、誰からも相手にされず、仕事をクビになったりして、他の仕事を探しても長続きしないような、
「社会のはみ出し者」
 だったのかも知れない。
 そういう意味では、
「捨てる神あれば拾う神あり」
 とでもいうべきか、彼にとっては、
「拾う神に恵まれた」
 というしかないような人生であることに間違いはないようだった。
 川北にとって、今までに何人かの、
「拾う神」
 がいたであろう。
 勝沼博士もその一人、そして佐久間弁護士も当然、その一人であるのは間違いない。さらには、奥さんであるつかさもそうだと言えばそうに違いないが、川北にその意識がないばかりか、妻であるつかさにもその意識がない。
「じゃあ、一体、この夫婦は何で繋がっているんだろう?」
 と、まわりの人は思っていることだろう。
 夫婦仲の悪さを耳にしたこともなければ、ウワサになることもない。どちらかというと、この夫婦は、
「取るに足らない関係」
 とでもいえばいいのか、二人の関係についてどれだけの人が理解しているというのであろうか。
 つかさは、呆然としながら時間を無為に過ごしていただけだったのを、佐久間弁護士に話しかけてもらえたことで、少しは気がまぎれたかも知れない。
 旦那は、相変わらずいろいろな人に取り囲まれていて、会話は垣間見ることができないが、その顔には、何か煩わしいものが感じられ、
「僕は、こういう場は本当は苦手ないんだ」
 という口には出せない気持ちが醸し出されているように思えてならなかった。
 その表情は誰かに助けを求めるような表情ではあるが、決して妻のつかさの方を見つめようとはしない。むしろつかさを避けyテイルようだ。それはつかさという女に、自分の気持ちを悟られたくないという思いからなのか、それとも、妻でなくてもいいが、誰かに悟られるのを嫌ったいるという思いからなのか、どちらにしても、妻が人の心を読むのが得意だということを理解してのことのようだった。
 夫婦仲は決して悪くはないのだろうが、夫婦としての仲がどうだったのかということとは若干意味が違っている。仲が良くないといけない夫婦という関係と、夫婦仲と呼ばれる外見的な感情とでは、根本的に目線が違っているので、そのあたりが、二人の価値観の違いとも影響していて。お互いにすれ違うことに繋がっているのではないだろうか。
 しかし、それはこの二人に限ったことではなく、誰にでも言えることであり、その考えがつかさを不安がらせることになるのだろう。
作品名:周波数研究の果てに 作家名:森本晃次