周波数研究の果てに
その理由が分からないと、どう解釈していいのかもわからず、この内容を理解するには、まわりも解き明かさなければならないように思えたのだ。
そのまわりに何が書かれているのかというと、何やらモノが捨てられないという性格について書かれていた。
最初それを見た時、
「何だって、僕の性格をこんなところに書いておいたんだろう? 僕が自覚してないとでも思ったのかな? そもそも、ここで出てくる話題なのか? それもよく分からないではないか」
と言いたいくらいであった。
さらに先輩は、
「ものを捨てると、イヌがそれを咥えて戻ってくるのだ」
ということも書いている。
これも意味深ではあるが、これはモノを捨てることに対しての言及なのか、それともイヌが咥えて戻ってくるということへの言及なのかが分からない。それが分からないと、まったく意味不明な事案であり、まるでなぞかけか、禅問答でもやっているかのようだ。
「一休さんでも呼んでくるか?」
という笑い話が出そうなくらいであった。
しかし、一休さんという発想は、なまじ冗談でもなかった。先輩記者の残した「遺産」にはそれなりの答えが用意されているのだ。先輩も、
「上杉君なら、それくらいのことは思いつくだろう」
という思いがあって残したものだったに違いない。
そもそも、なぞなぞやとんちに掛けては、上杉記者は結構長けていた。本人としては、
「なぞなぞやとんちが解けても、新聞記者としての実力には関係ないので、別に自慢にもなりませんよ」
と言っていたが、
「そんなことはない。それだけ柔軟な頭を持っていることであり、それが足で稼いできたネタを、うまく積み木のように組み立てる柔軟な頭がなければ、新聞記者としては、半人前なんだって私は思うんだ。だから、私は君のその柔軟な発想に期待しているんだよ。君はきっと、その武器を使って、将来一流の新聞記者になれるんだってね」
と言って、先輩は言った。
「そんなおだてないでくださいよ。積み木なんて、子供の頃にしかやったことがなかったな」
と、照れ臭さからごまかしていたが、その後に先輩は少しおかしなことを言った。
「そういえば、昭和の頃のことなんだけど、『積み木くずし』という言葉が流行ったのを知らないだろう?」
と言われて、頭を傾げた。
「積み木くずし? それって何か子供の遊びか何かですか?」
「やっぱり、知らないようだな。今でこそ社会問題として定借してきたけど、家庭崩壊だったり、家庭内暴力などがなかった時代から、家庭内暴力が増え始めた路、ドラマであったんだよ」
と先輩が言った。
「それを罪季くずしっていうんですか?」
「ああ、家族が崩れていく様子を描いたんだが、俺の考えでは、子供が非行に走るということで、子供の玩具である積み木を崩すというイメージに当て嵌めたんじゃないかな? 俺の小さい頃、学校の先生が、成績の良くない生徒の回答を、まるで積み木遊びのようだと言っていたのを思い出して、急にその積み木という場が気になったものだよ」
と先輩は言っていた。
さらに先輩は続ける。
「積み木くずしってさ、俺は実際にテレビを見ていたわけではないんだけど、見ていた人に訊けば、やっぱり見なくて正解だったっていうんだ。それだけ、内容がすごいというか、本当に積み木が簡単に崩れていくようなものだったんだろうな、今の時代は、苛めも家庭内暴力も当たり前のようになっているから、感覚がマヒしているかも知れないが、どっちがいいのか、俺にもよくわからないんだ。とにかく、いいことでも悪いことでも、先駆者というのは、注目を集めるもので、本人は自分たちが始めたことがここまで社会現象になって、そのまま日常茶飯事になるなど思ってもいなかったと思うんだ。要するに。あの頃暴力をふるっていた連中は、世間で他の人も騒がれる中で、本当の苛めは自分だけなんじゃないかって思っていたと思うんだ」
と、先輩は話していた。
「確かにそうなのかも知れませんね。昭和の頃の学園ドラマなんかを、学生の頃にビデオを借りて見たことがありましたけど、気持ち悪くなって、最後まで見れなかったのを覚えています。それが今では新聞記者なんだから、笑っちゃいますけどね」
と言って、笑って見せたが、どこか引きつっているかのように感じ、先輩の言っていた「積み木くずし」
というビデオも置いていたような気がした。
その頃の苛めや家庭内暴力などをテーマにしたドラマもいくつか製作されているようで、上杉記者は、気持ち悪いというよりも、憎悪と嫌悪に満ちた複雑な思いが、気持ち悪さを印象付けたのだと思っていた。
あの頃からどんどん、先生や親の力が無力であるということが分かってきたようで、それまでは、父親に家族が逆らうなどありえないという時代が、そこから遠くない過去には存在していたということを聞かされて、ビックリしたものだった。
「時代がまったく違ったんだよ。高度成長の時代で働き盛りが偉い時代であり、さらに、昔からの家というところでは家長である大黒柱の父親が一番権威があって、一番風呂も父親が最初であり、夕食も父親が帰ってくるまで誰も食すことなく、帰ってきたら、全員で食卓を囲むという、それが昭和という時代だったのだよ」
と説明してくれた。
「本当に今からでは信じられない時代だったんですね?」
というと、
「ああ、昭和というと、戦後という言葉が、経済成長に関係なく、家族構成を象徴していたんだろうな」
と、先輩が話してくれた。
先輩の残してくれた「遺産」とも言えるメモの中に、
「積み木くずし」
という文字を見つけた時、昔。先輩と話した内容のことを思い出していた。
結構、難しい話を深堀して話していたはずなのに、いまさらのように思い出すということは、本当に忘れていたのだろうか?
忘れていたわけではないことは間違いないはずなのだが、上杉にとっても、なぜ忘れていたのか、理由がまったく見つからなかった。それほど、話の内容が深かったのを覚えている。
積み木くずしと組み立て
「そんな時代がまだ名残理を残した中で、苛めや家庭内暴力などが生まれた。親と同じように権力があったのも学校の先生で、昔は子供を叩いても、教育と言われた時代もあったくらいだったものが、今はPTAが強かったりして、先生が自己防衛のためとはいえ、手を挙げると、暴力教師として、糾弾されるのが当たり前の時代になった。そのせいもあってか、教育が教育ではなくなってきた。最初が家庭崩壊だったのか、それとも学校崩壊だったのか、何とも言えないが、それはまるで、タマゴが先かニワトリが先かというような話であって、いたちごっこのような問題なんだ。その走りがここでいう、『積み木くずし』という話だったんだよな」
と先輩は話していた。
「じゃあ、先輩は、どうすればいいとお考えなんですか?」
と上杉記者が訊いた。
こういう難しい問題に直面している場合、先輩の性格から言えば、何かの意見を自分でしっかりと持っていないと、話題にもしないはずである。それを敢えて話題にしたということは、
「自分なりに何かの意見を持っている」
ということではないかと思ったのだ。