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周波数研究の果てに

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「二人の間に言葉はいらない。周波数があればいい」
 まさしくその通りなのではないだろうか?
 確か、先輩の書き残した、
「遺産」
 の中には、どうも自分だけにしか分からない暗号めいたものや、何かを暗示させるものなどがちりばめられている。なぜ、そんな書き方をしたのか分からないが、ひょっとすると、その答えが、今回川北氏によって発表された内容に関わってくるものなのかも知れない。
 安易に書き残して、せっかくの博士の身内から発表されるはずのものを他人に発表されては困ると思ったのではないだろうか。
 そのために、わざと暗号のごとくしているのだが、あまり暗号が難しいともらった本人が分からないということになりかねないので、そのあたりはうまく分かるようにしていた。
 ただ、その中で、内容は分かるのだが、なぜ書き残したのかが分からないというものもあったりする。
 例えばその中の一つとして、イヌがところどころで出てくるのだった。そのイヌがいきなり出てきて、何をすることもなく、話から消えているという不思議な登場の仕方なのだ。先輩の遺産の中に、意味のないことが含まれているとは思えず、
――このイヌにも、何か意味があるはずだ――
 と思い、見ていた。
 やはり気になったのは、いきなりという登場の仕方であり、去り際もいきなりであった。先輩のところでは犬を飼っているわけではない。それではこのイヌはどこのイヌだというのか?
 イヌの種類は、小型犬で、フサフサした毛が特徴で、シーズーやパグが混ざっているのではないかと思えるような正面から見ると不細工なのだが、その表情は愛くるしい。どうやら、
「ペキニーズ」
 と呼ばれる種類のイヌで、前述のシーズーやパグの祖先であるということが分かってきているということだ。
 ペキニーズというくらいなので、中国産のイヌである。中国の歴代王朝で門外不出で飼われているという高貴なイヌであり、気位の高さを示している。
 さらに、ペキニーズは、
「一番イヌらしくない」
 と言われているようで、実に勇敢な犬だということだ。
 自分から相手に攻撃を加えるようなことはしないが、決して引き下がることはないという。実に勇猛果敢なイヌと言ってもいいだろう。
 飼い主に忠実ではあるが、独占欲が強かったり、頑固で、気まぐれとも言われていて、イヌというよりも、ネコのようなところがある。
 ペキニーズをペットショップで買った人が、店の人から、
「イヌというよりも、ネコと思って飼ってください」
 と言われたという。
 気まぐれなところは実際にあるようで、忠実な飼い主相手でも、他の犬のように、四六時中飼い主に尻尾を振って媚びるようなマネはしない。それだけ、気位が高いのだろう。
 その証拠に抱かれるのを嫌うところがあるようで、それが飼い主であっても、機嫌の悪い時は、飼い主にも抱かせないほどのようだ。
 だが、上杉記者は、ペキニーズが大好きだった。シーズーやパグも可愛いが、その二種のいいところを掛け合わせ、さらに、気位が高く、気まぐれなところも、ご愛嬌の思わせるほどに憎めないのだ。
 愛玩犬として飼われているペキニーズがどうして、ここに書かれているのかよく分からないが、どうやら、鳴き声が何かを暗示しているかのようである。
「ペキニーズはめったに鳴かない。それを鳴くように躾けておいて、その声で反応させる工夫が取れれば、大いなる研究に役立つのではないか」
 というような話であった。
 確かに周波数の研究をしている研究所を調べている先輩なので鳴き声に何か意味があると思っているのか。人間のように同一種であるから、別人であれば、何を言っているか、あるいは性格的なところまで分かってきて、相性が合う合わないの判断もできるというものだ。
 だが、イヌというのはどうであろうか? イヌという動物はあくまでも総称であって、イヌにもたくさんの種類がある。ペキニーズや、シーズー、パグもそうであるが、大型犬もいれば中型犬もいる。それらは、人間でいえば、「日本人」、「中国人」、「アメリカ人」などと言った種類になるのか、それとも、肌の色で判断する、「黄色人種」、「白色人種」などという種類わけになるのかというのも微妙だ。
 そもそもイヌの種類わけは明らかに、その特性から分けている。だから、人間のように、特徴が皆同じであれば、ペキニーズなどの種類が、人間と同列になるのではないだろうか?
 そのあたりの区別が難しいことから、動物の特性がいまいち分からない気がする。
 イヌの鳴き声でも、種類によってきっと共通性があるのだろう。一匹一匹でも当然違っているが、それは当然のことで、人間が言葉をしゃべり会話しているのも、それと同じことなのだろう。
 公園などにいくと、夕方など、よく犬の散歩を見かけるものだ。毎日のように来ている人たちもいて、イヌも皆顔見知りのはずだ。
 その時に感じたのだが。イヌ派同一種類が相手でも異種のイヌが相手でも、それほど違った態度には見えないのだ。
 人間から見れば、名前をつけられるほど特徴が違って感じるのに、イヌの世界では、同じ国の人種並みの扱いなのかも知れない。
 ただ、人間でも考えてみれば、同じことで、確かに外国人を初めて見た人というのは、恐怖から後ずさりして、声も掛けられないほどになってしまうのではないだろうか。それでも慣れてくると、つまりは言葉が通じるようになり、意思の疎通がうまくいきさえすれば、相手が日本人と遜色のないほどに付き合えるというものだ。
――犬の世界も同じなのだろうか?
 つまりは、意思の疎通をすぐにできるのが同種であって、時間を掛けさえすれば、同種のイヌの仲間として理解するのではないだろうか。そうなると、犬以外にはまた別の対応方法があり、相手が人間であれば、媚びるというのが、生まれつきの性分として宿っているのかも知れない。
 だが、逆もあるかも知れない。同種のイヌに対してだけ、人間が人間として接しているのを同じ感覚で、同じイヌであっても、別の種類であれば、相手が人間だったり猫だったりと違う種類の動物と同じ感覚で見ているのではないかとも思える。
 ただ、公園でのイヌの様子を見ていると、
「イヌというものが一括りにあり、そこから種類ごとに集団を組んでいる。言い方を変えると、ペキニーズの国というものがあり、そこで集団で生活を営んでいるかのように感じているのが同種であり、まわり全体がイヌという世界で形成されているという考えだ。だが、実際にはイヌは、野良犬であっても、同種でつるむことはなく、人間に飼われていれば同種という意識はないだろう。
 だが、それはあくまでも、
「生きていくための術である」
 と考えれば、理屈に適うというものである。
 そんな犬について書かれたその遺産には、
「飼いならして何かをやらせる」
 というニュアンスのようなことが書かれている。
 つまりは、
「研究における実験材料のようなものなのか、特殊な、イヌにしか、いや、ペキニーズにしか分からない周波数を勝沼博士が開発していて、それを匂わせる内容を上杉に書き残したのではあるまいか?
――じゃあ、何のために?
 つまりはそこに行くのだ。
作品名:周波数研究の果てに 作家名:森本晃次