周波数研究の果てに
借金をつかさがどのように考えていたのかまでは分からないが、いくら怪しくても、鉄壁のアリバイがある以上、犯人ではありえないと思うと、それ以上の詮索は、プライバシーの侵害に抵触してしまう。それを考えると、つかさには、捜査の手はほとんど伸びていなかった。
ただ、一つ、鉄壁のアリバイがあるにも関わらず、先輩の調査で分かったこととして、「つかさ夫人は、勝沼博士の死期を知っていた可能性がある」
と書かれていた。
それは、夫である川北よりも詳しいということであり、ここに二人の間にただならぬ関係があったのではないかという邪推も生まれてくる。
しかし、あくまでも邪推であって、何の証拠も裏付けもないのは、前述のとおりであるにも関わらず。先輩がなぜつかさを意識するのかが分からなかった。
つかさも気になるには気になるが、先輩の書いてある中によく出てくる研究材料の、
「共鳴の問題」
ということであった。
今回の川北が発表した内容を、先輩は博士から、ある程度まで聞き出していた。
それは見ている限りでは、先輩が訊き出したというよりも、勝沼博士が自らが語っているかのような書き方だった。
そして、ある日の日記の中に、博士と先輩の間で、
「ミステリー談義」
のようなものがあった。
それを見て、面白かったので、少し話しておこうと思う。
「世の中には、皆周波数を持っていて。その力は、普通であればありえないようなことも実現させるだけの力だってあるんだ。ひょっとすると、人を殺すこともできるかも知れないほどなんだよ」
と、勝沼博士が興奮しながら語っていたという。
「小説家のアリバイトリックに使えそうだね」
というと、
「アリバイトリックだけではなく、密室トリックにも、一人二役だってできるかも知れない。周波数を使いさえすれば、ロボットなんかいらないんだ。人間を一人誰か洗脳する形で、殺害に協力させればいいんだからね」
と言っていたという。
それにしても、恐ろしい会話である。二人ともそれぞれに余命が短いのが分かっているのに、殺人事件のようなおどろおどろしい話をするなど、尋常では考えられないような心理状況であろう。
だが、お互いに覚悟が決まっているからなのか、それとも同じ心境の相手だという意識が働いているのか、どうやら話に異常なまでの盛り上がりを見せているようで、普段は考えることができないような発想が思い浮かんだりしたという。しかし、最後の方で、疲れたのか、話が出尽くしたのか、内容は一度膨張してしまうと、そこから先萎んでいくのも結構早いスピードであったようだ。
「結局は平凡な殺人トリックにしかならないんだよな。何か一本筋が足りないだけなのかな?」
と、博士がいうと、
「そんなことはないと思いますよ。それだけ完全犯罪って難しいということなんでしょうね。特に考え込まれた犯罪の方がボロが出やすかったり、複雑すぎて、シナリオ通りにいかなかったりして、それが問題となって自滅するというパターンが多いのかも知れませんね」
と先輩が言った。
「でもね、ミステリーなどでトリックはほぼ出尽くされているので、これからはそのバリエーションだ」
という。
あれだけミステリーの本が出ているんだから、少しくらいは、
「どこかで見たことがあるような小説だ」
という思いがしてくるのではないだろうか。
「完全犯罪というのは、意外と偶然から成り立つことのできるもので、下手に計画するとどこかに歪が出るものなんじゃないかな?」
と博士がいうと、
「それは加算法、減算法の考え方に似ているんじゃないでしょうかね」
と先輩がいうと、
「うん、その通りだ。なかなか面白いことをいうね」
「完全犯罪を最初から計画すると、計画した時点が百点満点で、そこから少しずつ粗が出てくる。それが減算法というもので、逆に偶然から加算法が積み重ねていくと、徐々に積みあがってくる積み木のように形ができてくると、案外、守りが堅固なだけでなく、攻めにも守りと同じくらいの力が発揮できるだけの能力を有するものではないでしょうかね。それが加算法であり、偶然の積み重ねといえるんじゃないでしょうか?」
「なるほど、偶然というのは、見た目偶然であっても、必然の可能性もあるということだね。私もその可能性には大いに感嘆する気分だね」
と博士も感心していた。
博士は続けた。
「世の中には。目の前にあるのに、誰もその存在に気づかずに、いきなり目の前に現れてビビッてしまい、普通なら避けられるものを、避けることができなくなってしまう場合もあるということを言い出いんだろうね」
「究極はその方向の話になろうかと思います。発想というのも、ある程度までは膨張していくと、そこからはどんどん縮んでくるという、?字とは逆のカーブを描くこともある。どちらにしても、加算法と減算法兼ね備えられたものとして考えることができるのでしょうね」
と二人は話していた。
ところで、少し数学の話になるんだけど、
と、博士が言い出した。
「はい、どういうお話でしょうか?」
「君は、ゼロに何を掛けてもゼロになるということを知っているかね?」
と訊かれて。
「ええ、もちろんですよ。それくらいのことは十分に分かります」
と答えると、
「じゃあ、ゼロという数字をどう考える? ゼロというものは、何もないものだという一般論だけを信じるかね?」
と、博士がまるで禅問答のような話を始めた。
「どういうことですか?」
と聞くと、
「確かに何もないものに、何を掛けても何もないゼロにしかならないというのは、理屈として分かる。じゃあ、何を掛けても同じものになるという発想は、ゼロだけかい?」
と聞かれた。
一であれば、掛けたものと同じ数字になるので、ありえない。ゼロの次の整数は一しかないので(マイナス一であっても、同じことではあるが)、一が違うのであれば、他の数字はありえないように思う。
しかし、教授はニッコリ笑って、してやったりという表情をしているんではないか。
「分からないかね?」
と訊かれて、実は先輩には他に考えていることがあったが、
「実際には同じものであっても、微妙に違うのではないか?」
という発想から、自分の中で違うものだと決めつけていた。
「ええ、降参ですね
というと、博士はまたニコリと笑って、
「それはね。無限大という発想なんだよ」
と言われて、思わず、
「あっ」
と叫んでしまった。
実はこの叫びは、まったく予想もしていなかったことを博士が口にしたからではない。自分も同じ発想を抱いていたにも関わらず、教授がそれを口にしたことで、
「やられた」
というよりも、
「それは最初から考えていたことだったのに」
という悔しさからだったのだ。
周波数と殺人事件
無限大という発想は、元々、先輩にもあった。よく上杉記者と話をする時、数列であったり、数字の魔力が好きな上杉記者は、無限について先輩と話をしたことがあった。
賢明な読者には、この「無限」という言葉を聞いて、前述を思い出す人もいるのではないかと思うがいかがであろうか?
そう、ロボット開発のところで話が出てきた、