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周波数研究の果てに

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 川北氏の中での断捨離は、すでに済んでいると思っている。最初に断捨離した中で、これから少しずつ増やしていくという考えを最初に持っているか、持っていないかで、モノを捨てられない自分が頭の中が混乱しているとは思えない。
「部屋が汚いのは、頭の中が整理できないわけではなく、ただ単に、汚い方が落ち着くんだ」
 と言っている人がいるが、ほとんどの人は、
「そんなのは欺瞞を利かせた言い訳にしか過ぎない」
 というだろうが、川北氏がいうと、どこか信じられるような気がするのは、川北氏の役得のようなものであろうか。
 実は上杉記者も、モノが捨てられない性格だった。彼はどちらかというと、ただ単に頭の整理がつかない方だからだと思われがちなのは、彼の会社のデスクの上が、ひどいことになっているからだった。
 そもそも新聞社や雑誌社の編集部と言うと、机の上が綺麗な方が珍しいくらいで、まるで仕事をしていないのではないかと思われるくらいである。
 それでも彼はその中でも群を抜いて散らかっていて、いつも編集長から、
「たまには片付けろよ」
 と言われていた。
 さすがに大きな声では言わず、静かに耳打ちするくらいなので、却って脅しにはなるかも知れない。
 だが、その時は整理しても(と言っても、無作為に置かれているものを、一か所に纏め、積み重ねただけだが)結局はまた少しして、元の木阿弥だった。
 注意を受けても、よほどその気にならなければ、ここまで散らかってしまうと、片づける気にはならない。自分でも、
「どうせまた散らかるわ」
 と思っている以上、どうしようもないというものだ。
 少々汚くても、汚いという気持ちが湧いてこないのだから、しょうがない。
「掃除くらいしろよ」
 という方は、本人がどのように掃除していいのか分からないから、一度せっつくことで、片づけるという意思が生まれるのではないかと思うのだろうが、本人がその状況を嫌だとは思わないのだから、別に問題ないはずだ。
 しかも、
「机の上が散らかっている方が落ち着くんだ。変に片づけると、落ち着かない」
 というのを一般の人であれば、
「そんなのは、言い訳にしか聞こえない」
 ということになるだろう。
 だが、実際にその通りなのだ。普段から散らかっている中で作業をしていると、散らかっていないと落ち着かない。それがその人のやり方であり、効率がいいのであれば、放っておいてもいいと思うのだが、どうなのだろうか?
 スポーツ選手のように、結果がハッキリと数字に出れば、数字さえ残せば誰にも文句を言わせることはないだろう。
 バッティングフォームが、理論的におかしいということで、コーチからの指示で、直されることが多いが、実際にその人にとっては、今までの打撃フォームが理に適っているようで、コーチの言ったように直してしまうと、数字が伸びないが。元のフォームに戻すと、結果が出るということは往々にしてあるものだ。
 ひょっとすると、コーチが言ったようにフォームを変えて、それでだめで戻したことで、その選手の才能が覚醒したのかも知れないが。
「元に戻して成績が上がってきた」
 ということが数字に出てくれば、選手は、
「名選手」
 そして、直すように指示したコーチは、先見の明がなく。さらには教科書的な凝り固まった指導法しかできないということで、
「ダメコーチ」
 というレッテルが貼られてしまうに違いない。
 実際に今のアスリート界は、そういう選手が多いのかも知れない。
 コーチの中には型に嵌った指導しかできない人もいるのだろうが、本当は、
「選手個々を知ることもコーチの仕事だ」
 ということを知るのも、コーチとしての最初の勉強なのではないだろうか。
 まあ、こんなことを書いている筆者も、プロではない。思ったことをただ書いているだけの野次馬のようなものだ。だが、それが小説のネタになるのだから。世の中というのは面白いもので、小説を書いていると、喉から手が出るほどネタがほしいというものだ。似たような発想であれば、いくらでも使わせてもらうことにしよう。
 さて、余談はこれくらいにして、
「机の上が散らかっていないと落ち着かない」
 と、いうのは、新聞や雑誌の記者にはあるあるではないだろうか。
 上杉も同じようなもので。
「俺たちは記事をいろいろ拾ってきて、拾ってきたピースを積み重ねていくだけだ。整理整頓ができていないと、頭が整理できないという理屈で考えれば。この積み重ねで勝負が別れるはずである。
 しかし、実際に勝負の分け目は、別に机が綺麗だから、早く積み重ねられるというわけでもない、却って、机が散らかっている方が能率が上がる人が多い。
 それはきっと、その人のリズムがそうさせるのだろう。散らかっていることで、妄想により早く入り込むことができ、機械的な作業をしている間でも、妄想の世界に入ることができるのだ。
 普通はそんなことなどできるはずはない。だから、他の人と同じように、整理しないと発想が生まれてこないような世間一般の人間の考え方しかできなければ、頭が回るわけもないのだった。
 科学者というのは、凡人とはまったく頭の構造自体が違っているという話を訊いたことがある。まさか頭を解剖して比較したわけではないだろうから、何を根拠に言っているのか分からないが、根拠のない代わりに、結果としての何か裏付けのようなものがあるに違いない。
 それさえハッキリしていれば、もう、誰も、
「机の上を整理しろ」
 などとは言わない。
 むしろ汚い状態が、いつもと変わりはないかということを見る方が、その人の調子やバロメーターを図る意味ではいいのかも知れない。
 川北助教授の方は、別に汚くないと、頭が回らないというわけではないが、もし汚くても意識がないのだとすれば、それは妄想に入った時、どちらが違和感がないかということになるのだろう。
 そういえば、川北助教授は、亡くなる前に勝沼博士が断捨離をしていたのを見たことがあった。
「どうしたんですか?」
 と訊いた時は、机の上を掃除しているところで、その頃には机の中にはほとんど何もない状態だった。
「そんなに捨ててしまって大丈夫なんですか?」
 と聞くと、
「ああ、大事なことはパソコンに入っているし、ネットの方でも保管をしてある。今はネットもセキュリティの問題などがうるさいので、お金さえ出せば、かなりセキュリティに関しては厳重なところに保管することだってできるんだ。今、佐久間弁護士に相談しながら、研究室の重要資料は、そっちに保管するようにしている。だから、君たち助手であっても、いや、この私であっても、そう簡単に閲覧することはできないようになっている。ネットの世界ではなりすましであったり、侵入などは専門家がいるので、簡単にできるようなんだ」
 と博士は言っていた。
 博士は思ったよりもしっかりしている。さすがに机の上を汚くするようなことはない。川北もそこは感心していた。
――僕も研究が成功するようになるためには、断捨離だったり、整理整頓ができるようにならないといけないんだろうか――
 と考えていた。
作品名:周波数研究の果てに 作家名:森本晃次