周波数研究の果てに
と考えるようになったことで、いきなり彼に深入りするような質問をしてはいけないと思い返した。
川北氏は、上杉記者がどのような質問をしてくるのか、覚悟を決めて待ち構えていたが、そのあと、ごくありきたりの質問を二、三聞いただけで、それ以上は何も聞かずに。
「今日はありがとうございました」
と言って、そそくさと帰っていった。
時間的には数十分ほどであったが、終わってみて、あっけにとられた状態で考えてみると、仲かったのか短かったのか、自分でもよく分かっていないようだった。
研究についての話の時はあっという間だったような気がする。いつもの調子で畳みかけるように話をしたのだが、きっとだいぶ興奮していたことだろう、
このあたりが、貫禄のようなものがまったくなく、勝沼博士とは全然違うところだと思った。
勝沼博士は、決してまくし立てるような言い方はしない。絶えず落ち着いていて、博士の風格を醸し出すに十分だった。
――あの背中をずっと見てきたはずなのに――
と思ったが、まさしくその通りで、いつも、どうして博士のような貫禄が出ないのか悩んでいた。
確かに年齢的なものも大きいだろうが、果たして自分が二十年後、三十年後に勝沼博士のような貫禄が出るかと言われると自信がなかった。
研究者ではない同い年の連中と比べても、自分には貫禄がないような気がして仕方がなかった。
「川北助教授は、なかなかの貫禄を感じたよ。そういう意味で、あの人が人殺しをしたなどというのが信じられないんだ。彼に感じた貫禄というのは、以前にインタビューした勝沼博士にソックリだったんだ。政治家のような、見せかけの貫禄ではないものを、川北助教授には感じましたよ」
と、上杉記者は、ケイタイを使って、誰かに報告していた。
考えられるとすれば、会社の編集長への報告であろうが、どうも少し違うような気がした。インタビューについての話はまったくしていなかったからである。あくまでも川北の性格的なものであったりが考えられた。一体誰にどんな意味でこんな話をしているというのだろう?
これが、この日の川北が受けたインタビューだった。
上杉記者の禊
上杉記者は、五年前の事件に興味を持っていたが、今さら何かを調べても、それが社会的に何かの影響を起こすことはありえない。
まず法律的に、もし、犯人が違っていたとしても、一度起訴され、裁判で刑が確定しているのであるから、よほどの新事実でも出てこない限り、いまさら蒸し返すことは、一歩間違えれば世間全体を敵に回ることになりかねない。
だからと言って、このまま何も知らないというのは、精神的にきついものがあった。気になることをそのままにしておくことができない性格であった。
もし、新たな証拠や新事実が見つかったとしても、それは自分の胸にだけ収めておくことしかできない。ただ、もちろん、そのきっかけがなければ、何もできないのも同じことであり、いまさら警察に聞いて教えてくれるはずもなく、捜査資料もすでに封印されているのではないだろうか。
それに自分は仕事を持っている身である。自分の生活を犠牲にしてまで、いくら気になるとはいえ、そちらに重きを置くというのはできることではなかった。やはりきっかけと事実認定でもなければ調べなおすことなどできるはずもない。
そもそも上杉記者がなぜこの事件に興味を持ったのかというのも曖昧であり、事実としてのものはあるのだが、そこまで入り込む必要性はまったくなかった。
きっかけとして明確なものとしては、上杉記者の先輩で、
「俺が今あるのも、その人がいてくれたおかげだ」
と思っている人が、病気で死んでしまったことが一つの原因であった。
年齢は五十歳くらいになるであろうか。その人が、死ぬ間際まで気になっていることがあると言っていたのだが、ずっとその内容は教えてくれなかった。
今ならどうして教えてくれなかったのか分かる気がする。その時のその人が抱えていたやるせない気持ちを、自分に味合わせたくなかったからであろう。もし、その事実が分かったとしても、いまさらそれを表に出すことはできない。ただどんな事実が待ち受けているのか分からないが、それはすべて自分の胸にしまい込んで、最後まで誰にも言わず、最後は墓場まで持っていくということにしなければならない。そんな消化不良な状態を、他の人に背負わせることはできなかったのであろう。
その人はジャーナリズムの塊りのような人だった。
しかし、人には優しく、人を中心としたものにも優しかった。
「気を遣うという言葉が、これほど似合う人はいない。気を遣うという言葉はこの人のためにこそあるようなものだ」
とまで言われた人であった。
精神的な基本は、
「勧善懲悪」
である。
そのため、いつも温厚で好々爺のような顔をしている人だったが、急に鬼と化す時があった。それは、彼の持っている「勧善懲悪」の気持ちを妨げられたり、刺激された時に起こす行動で、そのほとんどの場合、我に返ると、その時の記憶が残っていなかったりした。それほど勧善懲悪は彼にとって絶対であり、同情や情状酌量などというのは、その次に来るものだったのだ。
そんな彼が気になっている五年前に発生した、
「勝沼博士殺害事件」
刑も確定し、犯人も刑務所で刑に服しているというのに、秘密裏にいろいろ調べていたのだ。
「私にとって、あの事件はまだ終わっていない」
と言い続け、まわりは、何の事件なのかもわからず、
「また始まった」
とばかりに、彼の行動を、
「ほとんど病気」
という目で見ていたのだ。
だから、記者として記事にすることはできないことから、彼は事実が判明しても、それは事実解明ということよりも、研究という程度のものでしかないことは重々に分かっていた。
彼は、自分の死を悟っていた。それは、殺される前の勝沼博士と同じだったのだろう。
「ひょっとすると、自分が長くないということを分かっていて。その気持ちが勝沼博士と共鳴したことで、あの人は事件に興味を持ったのではないだろうか。しかも、博士の助手であった川北氏が研究しているのが共鳴だということも、ただの偶然として片づけられるというのか」
それを思うと、亡くなった先輩記者の気持ちが分かる気がして、研究の後を引き継ごうと思った。そして同じ気持ちを川北氏も持っているとすると、上杉記者は、次第にあの事件の犯人が川北氏ではないように思えてならなかった。
これも、精神的に何かが共鳴したということになるのだろうか。
上杉記者が、インタビューをこの日に合わせたのも、ちょうど上杉記者にとっても、禊を今日だと思っていたからだった。亡くなった先輩記者は、上杉記者を後継者だと考え、それまでの彼が貯めていた日記や、メモをすべて上杉記者への遺産のつもりで残してくれていたようだ。
川北氏も博士から遺産の分配を受けていたというではないか。ますます立場も見ていると言ってもいいだろう。
ただ、彼は博士殺しのレッテルを貼られている。今の川北氏と自分の立場が同じだと考えると、どうしても彼が博士を殺したとは思えないのだ。