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周波数研究の果てに

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 ということになるのだろうが、世間として、この学会での功績を、果たしてどのように受け取るかというのは、判断が別れるところであろう。
 事件は事件として、功績を素直に称えるという人もいるだろうが、いくら刑に服したとしても、一生罪は消えることはないとして考えている人には、せっかく忘れかけていた彼の存在や事件というものを、また思い出させられ、あまり気分のいいものではないと思っている人も少なくはないだろう。
 それを思うと、ここから先の質問に対して、ネットなどでの大炎上は免れないと言えるのではないだろうか。
 川北氏にとっては、ジレンマという苦悩を抱え込むようになるのだが、研究を始めた時点で、
「何があっても、研究はやめない」
 と心に決めた時のことを思い出すのであった。
 川北氏は、
「まあ、妻が最初ですね。その次となると、佐久間弁護士ということになるでしょう。でも、感謝の気持ちは、この研究に携わってくれた皆さんにあると思っています」
 と言った、
 要するに彼は当たり前のことを言ったのだが、最初の二人は当然だすべき名前で、ここで出さなければ薄情者というレベルになるだろう。そして最後に皆という言葉を使ってうまくまとめたという無難な回答だった。
 だが、それだけに聞いた人間の中にはいかにも胡散臭いと感じる人もいるかも知れない。
「こんなの政治家の嘘くさい答弁と変わらないじゃないか」
 と言われればそれまでであった。
 研究者としては政治家の連中と比べられるのをとにかく嫌う。
 研究者にとって一番必要な裏付けを取らずに、好き勝手に言えるからだ。しかし、百歩譲って彼らを擁護するとすれば、
「何も情報がない状態でも、出てきて言わなければいけないのが政治家という立場なのだ。研究者や学者がしっかりとした数字や裏付けを出してくれれば、こっちも自信をもって国民に説明できるのに、それができないのは、誰のせいだと思っているんだ」
 と考えているかも知れない。
 とかく専門家と政治家では、どうしても相いれないところがあり、平行線をたどってしまうことになるに違いなかった。
 上杉記者は、五年前の勝沼博士殺害事件に、何かしらの疑念を抱いていた。
「どこがどのようにおかしいのか?」
 と訊かれると、具体的にどのような理論で考えたのか説明がつかない。
 もし、疑念があるなどと研究者の連中に話をしながらば、彼らにとっての唯一の裏付けという信憑性がなければ、最初から相手にしてもらえず、話にならないことは分かっている。それに彼らのような海千山千の研究者には、少々の言葉でのハッタリが通用するとも思えない。
 それでも、何かを訊かなければいけないという義務感のようなものに駆られて、彼は果敢にインタビューに来たのだった。
 だが、研究者は海千山千と言っても、政治家などのように、口八丁手八丁ではない。
 いい悪いは別にして、苦し紛れの言い訳であっても、堂々と言ってのけられるほどの度胸はないのだ。
 研究に関しては絶対的な自信を持っているのかも知れないが、逆にハッタリのような根拠も裏付けもないものが相手であれば、手の打ちようがないのであった。
 それだけに、どちらにも決定的なものがない状態で探り合いのようになれば、どちらが有利なのか、分かったものではなかった。
 川北氏にとって、出所後のインタビューは初めてではなかった。一度、雑誌の記者か何かが、出所を待っていたかのように、インタビューにやってきた。まだ出所してすぐだったので、インタビューのアポを取るというような段取りすら整っていなかった時期で、まったくの不意打ちのインタビューだった。
 当然のことながら、川北氏は戸惑ってしまった。
 インタビュアーの仕事は、元々責任のある地位についていた人が、何かをやらかして、服役することになり、刑期を終えてからその人に心境を聞くという、インタビューされる方はもちろん、インタビューする方にとっても、やりにくい相手だったのだ。
 ただ、こっちは当然初めてだが、相手はこれを仕事にしているのだから、相手の方が海千山千である。
 分かってはいるが、相手は完全に上から目線で見てくる。こっちは、反省しながら獄中生活を余儀なくされた立場なので、社会復帰できるまでは、おこがましい態度でいなければならないのだった。
 それを見越して相手は、敢えて強い態度に出る。そうでもなければ、相手はムショ帰りなので、逆に舐められかねない。彼らの人権は保障されているので、言いたくないことを言わせようとするならば、それはインタビュアー側が悪い。
 しかし、それはあくまでも建前で、実際には、出所してくれば対等な立場、対等というのは相手になめられないようにするための威嚇は、当然のこととしてありえることであった。
 そのインタビューに対して、最初から最後まで睨みを利かせるだけで、何も言わなかった。
「これが一番効果のあることだ」
 と感じたのだろうが、それは正解だった。
 その男は二度と現れなかったのだが。考え方でいえば、
「さっさと諦めて次なるターゲットに向かった」
 ということなのだろう。
 あの時は、まわりに誰もいない状態だったが、今回は違う。何と言っても衆人監修の見守る中というべきパーティ会場である。逃げ場がなかったと言ってもいいだろう。
 そんな中でなるべく触れられたくないのは、プライベートなことであった。家族のことであったり、研究に携わった人との関係であったり、研究本質についてのインタビューであればいくらでも答えてやるというくらいの気概はあるが、それ以外になると、受けて立つ覚悟はあるつもりであるが、怖いというのが本音だった。
 そもそも怖いと思っていると、何を口走るか分からず。百戦錬磨の連中から見れば、失言と思えるほどの言葉が出てきているのかも知れない。
 それを思うと、何も言えなくなってしまうだろう。だが、今回のインタビューでは幸か不幸か最初に研究の話だったことで、少し度胸がついてきた。少し大胆な気分にもなれる気がした。
 しかし、これは相手の巧妙なテクニックであり、
――研究者にまずは自分たちの専門的な話をさせ、自分たちが饒舌であるということを感じると、調子に乗ってくるというものだ。実際には意識がないだけに、調子に乗ってくると、魔法にかかったかのように、ちょっとした質問でも、警戒心が薄れているだけに、ポロっと何かをこぼすかも知れない。それが我々にとっての思うつぼだというものではないだろうか?
 と感じているようだ。
 ただ、屋脇田助教にはその手が通用しない。
 確かに彼は最初、調子に乗って話をしていたが、話が変わった場面ですぐに我に返った。その時、何か違和感を抱いたのだが、それが最初は何なのか分からなかった。
 元々彼も最初のインタビュアーのように、
「殺人者である助教授が研究を発表したことでパーティを開くなんて」
 という思いから、世間に代わっての糾弾を自分がしようとでも思ったのか、正義感に燃えていたようだ。
 だが、この時に初めて感じた違和感が、何なのか分からずモヤモヤしていたが、そのうちに、このモヤモヤを、
「数年前の真相」
作品名:周波数研究の果てに 作家名:森本晃次