小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

周波数研究の果てに

INDEX|11ページ/28ページ|

次のページ前のページ
 

 つまり、人間でいえば、理性とも言えるこの感覚を組み込んでおかないと、人間並みの判断ができず、ロボットだけに判断を任せられないということになる。
 ただ、もう一つの問題としては、いくら思考能力が備わったとしても、理性がなければ、人間に近づくことはできないという意味と、
「人間が作ったものなので、人間と同じ野望を持ったりすると、人間よりもより強力な力を追っているロボットだけに、制御不能になる」
 ということだ。
 裏を返せば、それだけ、
「人間というものほど恐ろしいものはない」
 ということの証明であると言えるのではないだろうか。
 そのようなタイムマシンや、ロボット開発などと違って、川北助教授の研究は、規模の小さなものなのかも知れない。
 しかし、一足飛びにタイムマシンやロボットを開発するわけではなく、それらの研究に携わるための、途中の段階として考えられた、
「周波数」
 という発想は、今の時代だからこそ、有効なのではないだろうか。
 もっとも、タイムマシンにしても、ロボット開発にしても、その前提となる問題を解決しなければいけないというのも、それだけ人間の考えが、群を抜いて優れたものであるという裏返しなのかも知れない。
 ただ、それだけ人間というのは脆いものであり、それは肉体的にも精神的にもどちらに対してもその脆弱性を表していると言えるのであないだろうか。
 博士が、周波数というものにヒントを得たのは、コウモリの発想と、もう一つは、何かのトリックで見た覚えがあった、
「共鳴振動」
 という発想であった。
 あの話は、この「共鳴振動」という発想を用いて、人を殺すことで、自分のアリバイを作るというものであったが、これは、
「この世のすべては、振動している」
 という発想から来るものだった。
 つまり、音や振動には、モノを動かす力もあれば、振動やその周波数によって、言葉として人間同士が会話できるというものである。
 だから、音が出なかったり、人に知られない特殊な周波数を遣えば、誰に知られることもなく、操ることができる。つまりは、ロボットのような作用をもたらす基礎になるという考えである。
 そう考えると、人間の思考も一種の周波数だとは言えないだろうか?
 ある一定の周波数の組み合わせによって、人間は思考し、次の瞬間、何が起こるのか、そして何をしなければいけないのかということを瞬時に判断できる能力を持っているというのは、この周波数の影響によるものだと考えれば、フレーム問題という鉄壁に見えるロボット開発への障害を打ち砕くことになるであろう一石を投じれることも可能なのではないだろうか。
 人間には言葉がああり、人間同士であれば通用するのは、きっと人間に分かる周波数を用いているからであって、逆にイヌやネコなどと言った。
「ワンワン」であったり、「ニャンニャン」という風にしか聞こえないために、何を言っているか分からないことであっても、相手が同種の動物であれヴば、理解できる周波数なのかも知れない。
 そう考えると、言葉をしゃべったり、鳴き声を出すことのできない動物や昆虫、あるいは植物に至るまで、人間には聞こえないという特殊の周波数を持っているのだとすると、周波数という考え方ひとつで、何でも解釈できることになると考えれば、
「昆虫や植物などの、鳴き声さえない動植物は下等なものでしかない」
 という定説は、まったく覆ることになるのではないだろうか。
 こちらの方が人間中心に考えているから思いつく発想であって、むしろいわゆる一般的に考えると、
「人間には分からない言葉を発しているだけだ」
 という発想はあっても、どうしても最後は、相手を下等なものとして解釈することになってしまう。
「それこそ人間のエゴだ」
 と言えるのではないだろうか。
 この発想は、コウモリの発想にも繋がってくる。
 コウモリという動物は、目が退化してしまっていて、視力がない。そのために、超音波を発して、その反射で、障害物や何かを見分けてぶち当たることなく飛んでいる。それが科学の世界でいう、
「レーダーやソナー」
 というものだと解釈できるのだろうが、コウモリのように、声を発しない動物が超音波を発するのだから、声を出せないと思われている生物は、
「万物は振動している」
 という発想と関連できるのではないかと言えるのではないだろうか。
 また、コウモリには目が見えないという欠点のために、生き残るための知恵を持っているようである。
 もちろん、童話(イソップ童話らしいが)の中に出てくる話であるが、分類学上では哺乳類に属するコウモリには、鳥のような飛行能力が備わっている。そのため、鳥と獣が争う仲、コウモリはどちらにもいい顔をするのだが、結果として、どちらからも嫌われるという、
「卑怯なコウモリ」
 という話もあるが、これも生き残るための手段だと考えれば、十分に理解できるものであり、、
「卑怯」
 と言えるかどうか、難しい解釈を迫られる。
 もっとも、分類学上というものは勝手に人間が線引きしたものであるから、
「哺乳類なのに、鳥のような特性」
 と言っても、違和感があるのは人間だけであり、他の動物は、別におかしな分類であるとは思っていないだろう。
 むしろ人間の方が、自然界の中で特殊なものであり、
「知恵を持っている分、一番の高等動物だ」
 という発想は人間の人間たるゆえんでしかなく、人間にはなく、他の動物には備わっているものがたくさんあることが、知恵というものに匹敵すると言えるのではないだろうか?
 周波数の研究は、そもそも勝沼博士が提唱していたことだった。
「共鳴振動や、弁物がすべて、振動というものを持っているという発想は、私にとって、一生涯の研究材料になるものだ。きっと一つが証明されたとしても、それはあくまでも最初の証明でしかなく、そこから次々と実用化に繋がるものができてくるんだ。だから、私は最初の章名を成し遂げて、パイオニアになりたい。それができれば、ノーベル賞ものなんだろうね」
 と以前、雑誌のインタビューで言っていたことがあった。
 教授は何も、ノーベル賞が欲しいわけではない。ノーベル賞というのは、一種の建前で、それよりも、名声としての「レジェンド」という言葉がほしいのかも知れない。科学者の中で、
「共鳴証明と言えば、『プロフェッショナル勝沼』と言われるようなそんな存在にであった」
 しかし、彼は不幸にも癌になってしまい、余命まで宣告されてしまった。まだハッキリと余命を示される前、勝沼博士は川北助教授を研究室に呼んだことがあった。勝沼博士の研究室は、ある意味少数精鋭であり、教授と呼ばれる人間は勝沼博士しかいなかった。つまり勝沼研究室のナンバーツーは川北氏であり、元々博士に何かあれば、研究室を支えていくのは、川北氏であった。
 川北氏は当時まだ三十歳だった。まだ助手という程度のことしかできず、とても研究所を支えていくだけの力があるわけではない。
作品名:周波数研究の果てに 作家名:森本晃次