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短編集119(過去作品)

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一年という月日



               一年という月日


 日食だったり、月食だったりと、宇宙の軌道が人間世界に影響を与えるものは、太古の昔から恐ろしいことの起こる前触れとして恐れられていた。いきなり丸いと信じられていた太陽が、月の満ち欠けのように消えていくのだから、それは驚いたことだろう。それも一瞬にしてである。
 月の満ち欠けにしても一ヶ月に近い周期で欠けていき、さらに元に戻るのである。悪魔の仕業と思われていたとしても不思議ではない。
 しかも、月の満ち欠けについては、女性の身体と密接な関係にある。子供を産むことができる女性のみに与えられた周期、女性にとってはありがたくないものかも知れないが、女性への神秘性を感じさせるものである。
 男性にしても解明されていないだけで、天体の神秘に密接に結びついているものがあるかも知れない。ただ、それは誰もが持っている共通のものではないことで、あまり信憑性のないことかも知れないが、一人くらい研究している学者がいたとしてもおかしくはないだろう。学会で発表されないのは、個人差が激しいからかも知れない。
 永吉健一郎は、そんな神秘的なこととはあまり関わることのない性格だったが、本を読むのは好きだった。超常現象を信じていないわりに、SF的な話に造詣が深かったりする。
 SF小説を好んで読んだりしたが、タイムマシンやタイムパラドックスの話など友達と話していれば、時間が経つのも忘れてしまうほどだった。
 だが、彼の友達にはさらに詳しい人がいて、その人の前に出れば、ほとんど聞いていることが多い。
 捲くし立てるように話をする人を毛嫌いする人もいるが、永吉は違った。人の話を聞いているだけで贅沢な時間を使っていると思えるような、自分に都合よく考えることができる、ある意味幸せな性格である。
 ただ、話をどの切り口から入っても、いつも結論は同じところに着地しているように思う。まわり道をしながらでも、結局同じところに戻ってくるのは、永吉としては悪くないと思っている。それだけ分かりやすいと思うからだ。しかも考え方に大した差はない。同感するところが多いのだ。
 彼が話している中で一番多いのは、やはりタイムパラドックスに対しての考えだろう。
 過去に行って、歴史を変える。それが現在の自分たちにどのような影響を与えるか。さらに、現在の自分たちに与えた影響を自分がどのようにかぶるかである。
 歴史に影響を与えた自分に、最後影響があれば、影響を与えることができなくなってしまう。それこそがタイムパラドックスである、
 タイムトラベルの発想として、よく用いられるので、「メビウスの輪」というものがある。捩れた時間を一つの輪で表すという発想もいかにも神秘的なのだが、裏と表がハッキリとしない世界を現す「メビウスの輪」は、想像上のものであって、現実に存在するものなのかも定かではない。
「メビウスの輪を発見できれば、タイムトラベルの謎も少しは解明できるかも知れないな」
 友達は話していたが、彼にとってさらに大きな疑問は宇宙との関係であった。
 人間の身体が大きく月の周期に関係しているのも神秘的だが、自然界で起こっていることも月に関係があることが多かったりする。そのいい例が潮の満ち干きで、満潮と干潮の関係が月の引力によるものだということは有名な話である。
 さらに友達は面白い話をしてくれた。
「ワームホールというのを知っているかい?」
 とおもむろに話し始める。
「いや、何かの穴なのかい?」
「いわゆる「時空の歪み」と呼ばれるもので、日食が近づくと現れると言われる。実際に見たという人もいるし、ある意味、ワームホールの話がタイムマシンという発想を作り上げたのかも知れないな」
「ということは、その穴に落ちると、知らない時代に迷い込むということなのかい?」
「そうらしい。だが、未来にいけるかどうかは分からない。未来から過去へ向って行く方が発想としてはしやすいだろう」
「でもそうなると、タイムパラドックスの問題が出てくるよね?」
「案外、タイムパラドックスという発想も、ワームホールから来ているのかも知れないね。ワームホールを抜けた先が実に近い将来であるという考え方が一番無難なのかも知れないですね」
「もし、ワームホールが存在して、近い未来にいけたとすれば、もっと早くタイムパラドックスや、タイムマシンについての研究ができていたかも知れない。それができていないということは、そのヒントもないという考えも出てくるよね」
「逆も言えるんじゃないかな? ある程度まで発想はできてきたけど、開けてはいけない「パンドラの箱」があって、それに気付いたから、それ以上の研究をしなかったという考え方さ。僕はそちらの方の考えに少し陶酔しているかも知れない」
 ある日、夢を見た。本当に夢なんかと疑いたくなるが、夢の中で、
「これは夢なんだ」
 などと考えることもないだろう。
――夢だから何でもできる――
 という発想は、通用しない。夢が潜在意識の成せる業であるという考えは、起きている時も寝ている時も同じだった。
 空を飛ぶ夢を見たとしても、それを実現することはできない。なぜなら人間が空を飛ぶことはできないということを意識しているからだ。所詮は宙に浮くことを想像するくらいである。
 それにしても中途半端に想像するということは、潜在意識の中に、「もしかして」という発想があるからではないだろうか。それでなければ夢を見ている時に、
「今、夢を見ている」
 という意識が鮮明になってもおかしくはないだろう。
 ワームホールの話をしたからだろうか。ワームホールが目の前にある。ワームホールどんなものなのか知らないくせに、どうしてそれがワームホールだと思ったのかというのも不思議だが、これこそ夢の成せる業なのかも知れない。
 夢にしてもそうである。
 ワームホールの話をしてから、どれだけ経っているのか分からない。昨日の話だったのか、数年前だったのか、それすら分からない。
 自分が社会人なのに、学生時代の夢を見ると、社会人だという自覚の下、授業を受けなければならないという意識が強い。卒業しなければいけないという思いが強く、それは就職が決まっていたのに、卒業が危なかったことに由来している。
 もっと、不思議だったのは、その夢を学生時代にも一度見たことだった。就職もしていないのに、卒業しなければならないという気持ちがあった。最初から、卒業が危ういのを予感していたのだろうか。
 しかし、夢というのは忘れるもので、警告の夢だったものを忘れてしまっていた。就職してから夢を見た時に、
「大学時代に一度同じ夢を見た」
 ということを思い出したのだ。
 夢で見たワームホールは、小さな井戸のようだった。湯気が出ているので、何があるのだろうと見に行くと、まるで温泉が湧いたような緑色の液体から煙が出ていたのだ。
 中を覗くと、自分の顔が写っている。普段見ることのない自分の顔だったが、鏡を見ていると、ついつい見入ってしまうくせがあったので、覗き込んでいた。
作品名:短編集119(過去作品) 作家名:森本晃次