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短編集119(過去作品)

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 A型の人たちが人なつっこいというわけではないのだが、お互いに惹き合うところがあるのだろう。人と合わせるところがあるA型の性格もAB型の人は併せ持っている。そのくせ、人と同じことをするのが好きではないAB型の本性がA型の人にバレると、A型の人から嫌われることになる。
 そんな時にB型の性格が表れ、
「やっぱりAB型は変わっている」
 と言われてしまうのだ。
 結構慎重なはずのA型の人から言われると、そうでなくとも意識してしまう。それもAB型の特徴で、一度落ち込むと立ち直るまでに時間が掛かる。
――これもAB型の宿命なんだ――
 と考えている人も多いことだろう。
 人の性格をたった四つの血液型で評するのは愚の骨頂だと思いながらも、無意識に血液型で見てしまうのは、そんな中学時代の思い出が大きく影響しているからだった。
 AB型の性格の中で、ずっと意識してきたことは、
――自分が興味を持つことに対しては一生懸命になるが、それ以外のことには中途半端である――
 ということだ。
 確かに勉強にしてもそうだった。
 好きな科目の成績は群を抜いていいのに、それ以外の科目は明らかに標準以下である。それでもいいと思っている。
「社会に出れば、人間一人一人が社会を動かす歯車になるんだ」
 と小学生の時の先生は離していた。
「そうなんだ。僕らは歯車なんだ」
 と、その時は何ら違和感もなく聞いていた話だったが、血液型を意識するようになってから、「歯車」という言葉が気になっていた。
「本当に歯車でいいのか?」
 自問自答を繰り返す。歯車になるために勉強しているなんて、面白くも何ともないではないか。それならば好きなことに集中して一芸に秀でた人になってしまえば、ただの歯車ではなくなるだろう。誰もがしていることをやっていたのではどうしようもないと思うようになった。
 何の目標もなく人生を生きていると、社会人になる時に道は決まってしまう。というよりも、決められた道しか歩むことができないだろう。それが歯車になっていくゆえんなのだ。
 かといって、何をしたいかなど、中学生ではなかなか見つからなかった。気がつけば高校生になっていて、大学受験を目指している。
「大学に入れば、何かしたいことも見つかるだろう」
 そこまで来ると、他力本願も拭えない。
 大学時代は友達がいとも簡単にできるものだ。自分から話しかけなくても相手から話し掛けてくる。それがありがたかった。
 それでも、友達が増えれば増えるほど、似たような性格の人たちだけで団体を築くようになってくる。そのどれにも浅く参加している平沼は、自分の性格が分からなくなってきていた。
 もっとも、あまりつるむことの好きではない性格なので、浅く広くは願ったり叶ったりのはずなのだが、一抹の寂しさを感じてくる。
「教室の一番前でいつもノートを取っている一団、あれはAB型の連中なんだ」
 と、そんな噂が立った。実際に聞いてみると、
「お前もか? 俺もAB型なんだよ」
 まわりからは、決していい意味で言われていたわけではないのだろうが、そのことに気付かせてくれたまわりに感謝している自分たちは、
「まわりなんてどうでもいいのさ。俺たちがよければな」
 負け惜しみのようにも聞こえるが、そこがAB型のゆえんでもある。
――悪いことといいことは紙一重――
 この考え方もAB型の連中には納得のいくことだった。他の血液型の連中も同じかも知れないが、少なくとも考え方の違いは他の血液型同士よりも大きいことだろう。
 それでいいと思っているからAB型は他の血液型の人から嫌われるのだろう。
 何よりも、
「自分の好きなことには一生懸命になるが、他のことには無頓着だ」
 と思う性格には自分の中で説得力がある。悪いことではないという思いが強く、その思いが表に出てくるので、すぐにまわりから血液型が看破されてしまうのだ。
「自分で自分を利用する感覚になればいいんだ」
 人から言われてやるのは絶対に嫌だった。
 小学生の頃、勉強が嫌いではなかったが、どうしてもやる気が起こらない。その理由は親にあった。
 教育熱心と言えばそれまでだが、
「勉強しなければ立派な大人になれません」
「立派な大人って?」
 そう聞くと、少したじろぎながら、
「そ、それはお父さんのような立派な人間よ」
 明らかに母親は父親を立派な人間だとは思っていないことは子供心にも分かった。ある意味子供だからこそ純粋に分かったのかも知れない。普段の態度を見ていれば分かるからだ。
 判で押したような答えしか返ってこないことに業を煮やしていた。母親のいうことが理解できない以上、素直に従いたくはない。勉強が嫌いではなくとも、好きにはなれないものだ。皮肉にもそれを母親が証明してしまったのだ。
 母親の血液型はB型だった。父親はちなみにA型である。
 見ていて、反対に思えた。それでも時々意味もなく怒り出す父親に対して潜在的な恐怖感を持っていた。それは母親も同じだろう。母親を見ていると、
「世間知らずな人だ」
 と思えてくる。父親のことを崇拝しているところがありながら、一番分かっていないように思えるからだ。世間知らずの人はどこか可愛げがあるが、母親を見ていてそのように感じる人もいるのだろうか? 疑問が残っている。
 才能というのはどこで開花するか分からないものだ。
 平沼の才能は、社会人になってから開花した。しかも、進んだ道が正しかったわけではなく、学校を卒業して就職した後、会社の事情で配属になった部署で、その実力は遺憾なく発揮されることになった。
 大学での専攻は経済学だった。流通関係の会社に就職し、希望職種は営業だった。それも自分から希望したというわけではなく、経済学部出身であれば、配属先は営業になるのは最初から分かっていたからだ。
 時代はなかなか本人の希望通りにも行かない。元々就職した時から転勤は覚悟のうえのことであったが。研修期間中もいろいろな部署を見て回った。
 同期入社は五人だったが、彼らと最初の一ヶ月は同じように研修したものだが、途中からは、研修を受け入れてくれる営業所を転々としたため、一緒になることはなかった。
 研修期間は半年間、その間にいくつまわることになるのだろうと思ったが、三つほどの営業所を回ることになった。
 その中で営業の見習いは一月ほどだっただろうか。それまでは物流や事務の仕事を手伝うことになっていた。
 営業所にいて分かったのだが、同じ事務所にいて、その中の三部門は思ったよりも仲が悪い。それも分からなくはない。
 営業は客のためを思って少し無理を聞いてくる。しかし、それに付き合わされるのは、物流であり、事務である。事務が小言をいうと、物流も同調する。事務にしてみれば、せっかくメーカーと折衝して原価を安く仕入れることに成功しても、売価を下げられれば、自分が見積もっていた利益を食われることになってしまう。営業所全体の利益を任されているのは事務なのだ。いわゆる管理部ということになる。
作品名:短編集119(過去作品) 作家名:森本晃次