短編集119(過去作品)
逃げる相手を追いかけるのは、決して敵対しているからではなく、なるべく仲良くなりたいからだと思うのは発想が突飛すぎるのだろうか。だが、犬と猫を一緒に飼っているのを見ていると、そう思えてならない。犬は猫よりも上に見られたいという気持ちが強いのかも知れない。
では実際にどっちが上なのだろう?
犬は人間にしたがっている。だが、それ以外の動物にしたがうことを本能が許すだろうか。そう考えれば、犬が上でありたいという気持ちはかなり強い。餌を与えてくれる相手に従順だということは実に分かりやすいではないか。
猫も人間に餌をもらっても、媚びるようなことはしない。ペットになると別だが、与えてくれるものに対して、当たり前のような気持ちがあるのではないか。だから人間を見るのではなく、そこに行けば餌があるというだけの発想なのかも知れない。
猫はギリギリまで恐怖心を感じない動物ではないだろうか。車に轢かれて即死しても、自分が死んだことに気付かないかも知れない。犬もまわりを信用するため、最後まで自分が裏切られたことに気付かないかも知れない。だが、気付いた時のショックは、猫には分からないだろう。ある意味、人間にも分からない。
「女性を猫と犬、どちらに喩えるか?」
と聞かれれば、
「猫だ」
と答えてしまう。藤川にはその意味が自分で分かっていた。
人のことはどうでもよく、自分は自分だと考える人間ほど、ネコ型ではないかと思っている。女性蔑視と言ってしまえばそれまでだが、あくまでも、男性と比べてどちらかというと猫に近いと思っている。ある意味、羨ましささえ感じられるのだ。
――自分にないものを相手に求めるから、女性を好きになるのではないか――
これが藤川が考える女性への思いである。
背が高くてスリムな藤川は、小柄で少しポッチャリとした女性を好んでいる。自分にないものを求めるからで、そんな女性の方が可愛らしく、包容力を感じさせると思っているからだ。
男性の方が包容力があって当たり前だが、包容力のある女性への憧れも持っている。何か精神的に辛い時があれば、相手に隠しとおせる自信がないからだ。すぐに気持ちが顔に出てしまう。それも藤川の性格であった。
いい悪いは別にして、正直なところがある。大学時代に、
「友達以上、恋人未満」
だった女性との付き合いで、
「あなたとは、微妙な関係が一番いいのかも知れないわね」
と言われて、
「どうしてなんだい?」
と答えると、
「ふふふ」
と笑っているだけだったが、藤川には理由が分かっていた。すぐに顔に出てしまう性格を見抜いた彼女の含みのある言い方だったのだ。もちろん、藤川が本気で怒るはずはないという考えが根本にあるからだろう。
ショットバーで知り合った彼女は、大学時代に微妙な関係だった彼女に雰囲気が似ていた。似ていたのは雰囲気だけで、性格は若干違っている。それは雰囲気を見て性格を判断する藤川が自分の中で判断した結果よりも違っているというだけで、本当は妥当な線なのかも知れない。比較対象への思い入れがなかったら、性格を最初から読み取れただろうと後から考えればそう思う。
彼女に離婚歴があることは、それほど意識の中で大きなことではなかった。それよりも気になったのは、子供がいるということだった。
名前は小百合というが、最初から彼女を結婚相手として見ていたわけではない。知り合えたことにまず感謝し、大学を卒業してから、女性と知り合うことなどほとんどなかった藤川にとって、知り合えただけでも嬉しいことである。ましてや、知り合ったのが自分が隠れ家のようにしていたお店である。お互いに趣味が合いそうに思うのも無理のないことである。
確かに趣味という面では似ていたかも知れない。好きな色だったり、ファッションだったり、考え方だったり、似ているところは多々あった。だが、付き合っていくうちに、一つどこかに違いを見つけると、そこからほころびが広がっていくように違う彼女が見えてくるのだった。
それは小百合にしても同じだったのかも知れない。
その思いは男性よりも女性の方が現実的だっただろう。藤川にしてみれば、違うところが見えてくるのは、新鮮な気がしてきて、マンネリ化してしまいそうな付き合いに、新しい道が開けたように思え、むしろ嬉しく感じた方だった。
小百合の方はどうだったのだろう。少し趣きが違っていたようだ。次第に二人の関係は落ち着かなくなっていった。
藤川にとって、別れを告げられたのは青天の霹靂だった。付き合い始めて、一年が経っていた。
もちろん身体の関係があったのは当たり前のことだった。付き合い始めて三ヶ月が過ぎようとしていたある春の日のことだった。
桜が咲いていた。いや、そろそろ散ろうとしていた時期だったかも知れない。夜の街を腕を組んで歩きながら、照れ隠しに顔を見ることもできず、桜の花ばかり見ていたような気がする。
「桜が綺麗だね」
「ええ」
会話も続かない。かたや桜の木を見上げていて、かたや俯いている。お互いにその日が特別な日になることを予期していたからだった。
――これならいける――
その日は最初から小百合を抱けるという気持ちで一杯だった。それまでに藤川は女性と身体の関係になったことはなかった。だが童貞ではなかったのは、社会人になって先輩から、
「社会勉強だ」
と言われて、風俗に連れて行かれたからだった。
今から思えば、
「社会勉強だ」
などともっともらしい口ぶりだった先輩だったが、本当は自分が行きたかったに違いない。ちょうど冬の賞与が出た後で、財布の中も潤っていた。先輩も独身、誰に気兼ねする必要もなかったが、何かきっかけがほしかったに違いない。
小心者の先輩らしかった。それでも、精一杯、気を遣ってくれたようで、先輩にとってなじみに近いお店で、店員に耳打ちをしながら、藤川を指差していた。
店員もニ、三回頷いたかと思うと、含み笑いを浮かべながら藤川を見る。本当であれば、気持ち悪く感じるのだろうが、ここまで来ればまるでまな板の鯉である。覚悟を決めれば、却って含み笑いも、気を遣ってくれているように解釈できる。
個室に案内されて、そこに待っていた女性は、藤川の好みの女性というよりも、「お姐さん」と言った感じの女性で、
「すべてを任せてね」
と言わんばかりの笑顔だった。含み笑いと言ってもいいだろう。まな板の鯉である藤川は、彼女の言うとおりにするだけだった。
彼女はしきりに話し掛けてくれる。
――さりげない会話を楽しむところなんだな――
と感じると、一気に気が楽になった。
普段でれば女性と話をするのも緊張するのだが、個室であれば他に聞いている人もいない。相手に合わせるような話でいいのだ。
しかも差し障りのない話をしてくれるところが嬉しい。もちろん、たくさんの客を相手にしているのだから、いちいち一人一人の会話を覚えているはずもないという思いが拍車を掛けた。
だが、実際には覚えているものだった。
実はその日以降、一人で来たことがあった。彼女指名でである。もう一度会いたかったというのが本音で、それ以外に何があるというのだろう。その時に、
作品名:短編集119(過去作品) 作家名:森本晃次