短編集119(過去作品)
森を見ながら音楽を聴いていると、想像力が膨らんでくる。森の深まった緑の奥に、知らない何かが蠢いているのではないかなどというホラーの発想が生まれてくる。一点だけに集中していると、見えている範囲が広がってくるような錯覚に陥る。見えている範囲が広がってくるということは実際の大きさよりも小さく見えていることを意味している。それに気付くと、森の深さが微妙な色の違いを見せることで、実際の立体感をより鮮明に感じることができるだろう。
オーディオルームで落ち着いた気分になると、精神的に余裕が生まれる。生まれた余裕は時間的な余裕へと移行するのか、時間があっという間に過ぎていくようだ。
本来なら余裕ができれば、時間はゆっくり過ぎるものだろうが、無駄な考えをしないで済むという意味では、あっという間に過ぎてくれる方がありがたい。
大学を出てから店までは徒歩で十五分くらいである。徒歩十五分というと、歩き始める前は、着いた時の疲れが少しはあるだろうと考えるが、実際に歩いてみるとそうでもない。適度な距離なのかも知れない。
旅行好きの彼女がカウンターに座っていると、安心感を覚える。一人で呑むのも悪くはないが、旅の話を聞いているだけでも肴にはもってこいである。
一番楽しかったのは尾道の話を聞いた時だっただろうか。
尾道というところは、写真で見たことはあるがいまだに行ったことがない。こじんまりとした漁村で、海の幸が豊富な街に山が迫っていて、詩人や作家が愛して止まない街であることは分かっている。坂が多く、写真も山から海を写したものだった。
藤川は文学に造詣が深かった。実際に詩や小説を読んだりもしているが、実際に街に行ってみたいと思いながら、なかなか機会に恵まれなかった。考えてみれば尾道というところは、瀬戸内地区に点在している観光地の一つでもある。岡山から広島に向かう中にはいろいろな趣きを持った観光地がたくさんある。
倉敷の美観地区、尾道のような芸術の街だったり、福山や三原から船で向かう瀬戸内の島々、視界に広がる光景すべてが芸術である。
尾道の山の上に、千光寺という寺があるが、そこには「玉の岩伝説」というのがあり、光る岩が海に沈んでいるという話だった。
昔話など、結構知られている話でも、ラストまでキチンと把握している人はあまりいない。この「玉の岩伝説」も、話を聞くとおとぎ話のようなハッキリとしたストーリーではない。中途半端にしか教えてもらわなかったのか、それとも記憶が曖昧になっていたのか分からないが、それだけに興味をそそられる。
海を渡ってきた連中も、実際に岩を見つけるまで数年掛かったのだろうが、見つかった瞬間は、それまでの苦労も忘れ、あっという間だったと感じたことだろう。海の底に岩が沈んでいることで、今までに引き上げようと試みた人もいるだろう。伝説に対しての教訓が何を意味しているのか理解しがたいが、神秘な話であることに違いない。
尾道という土地、以前に住んでいた街にどこか似ていた。小さい時に住んでいた街は、尾道のように海と山に囲まれた住める範囲の少ない街だった。山の中に森があるわけでもないので、あまり緑を意識できる街ではなかった。それだけに図書館のオーディオルームから見える森の景色は、大いに興味をそそられるのだ。
「尾道は緑の多い街かも知れないわね。千光寺の横には公園ができていて、その横には天然の森が広がっているの。夏に行けば、結構涼しいかも」
と話していた。
図書館のオーディオルームから見た森のイメージしか湧いてこないが、それだけで十分だった。一度尾道に行ってみたいと思った理由は、森を見てみたいと思ったからかも知れない。
狭いバーで広くて深いイメージを想像するというのは一つの醍醐味だ。彼女のことを意識していなかったと言えばウソになるが、口説こうと思わなかったのは、もしダメな時は、せっかく聞かせてもらっていた旅の話が聞けなくなるという危惧があったからだ。もし、付き合うようになったとしても、男女としての別れが訪れた時、友達のラインに戻れるかどうか自信がなかった。戻れないのなら、友達のままでいいというのも当たり前のことではないだろうか。
もし、女性と付き合うようになって、別れが訪れると、そのまま友達のラインに戻れるかどうか問われれば、
「俺は無理だと思う」
と答えるだろう。
女性と付き合うには、真剣な気持ちにならないといけないと思っている。気持ちが真剣であればあるほど、別れた後、友達に戻れるなど考えられないというものだ。
「そんな中途半端な気持ちで付き合うなんて相手に失礼だ」
と思う。しかも今までに藤川が付き合った女性のほとんどが、同じ気持ちの人が多かった。そういう意味ではスッキリと別れることができた。
かといって、ショックは思ったよりも大きい。半年くらいショックで、他の女性を意識することができなくなってしまったりしたくらいで、友達から見ていればさぞや不思議に思えただろう。それでも、
「それが藤川らしいところだ」
と言ってくれる友達ばかりで、同じような考えを持っている連中が自分のまわりに集まってきたことを今さらながらに感じたものだ。
この春に一人の女性と知り合った。最初年齢を聞いてビックリしたのだが、すでに三十五歳を超えているという。
しかも離婚経験者で、子供が中学生だというではないか。見た目にはまだ大学生にしか見えなかった。
知り合ったのは、やはりショットバーだった。学生時代の店とは違って、会社の近くの店である。たまに学生時代に行っていた店に行くこともあるが、大学生ばかりで、どこか足が遠のいていた。学生時代、自分たちだけで固まる意識があることは分かっていて、しかもそんな連中と話をしたくないという思いが強いことから、会社の近くに店を見つけたこともあって、ほとんど行かなくなってしまった。
会社の近くの店は、雑居ビルの地下にある。学生時代の店は学生街にある洒落た店の二階にあったので、少し雰囲気が違う。雑居ビルの地下というと、アングラバーのイメージがあってなかなか入りにくかったが、看板に記された音符のイメージが藤川を引き付けた。中に入ればジャズが流れていて、それまでほとんど聴くことのなかったジャズだったが、雰囲気一つで奥の深さを感じるところは、クラシックに似ていた。またしても大学図書館の森のイメージを思い起こさせる。
「ここは隠れ家のようなところですよ」
「隠れ家ってバーではよく言いますよね?」
「でも、本当に隠れ家なんですよ」
壁には犬の絵が飾られていた。マスターが犬好きらしい。
藤川の家でも、藤川が高校生になるくらいまで犬が飼われていた。
最初に犬が家にやってきたのは、まだ小学生に上がる前で、子犬だった犬といつも遊んでいた記憶があった。
秋田犬なので、それなりに大きくなるのも早く、藤川の成長と比較されたものだ。元々が忠犬ハチ公も秋田犬だったこともあって、凛々しさは卓越したものがあった。闘犬種としても名高いことから、その凛々しさも裏付けられている。
作品名:短編集119(過去作品) 作家名:森本晃次