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短編集119(過去作品)

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犬のような従順さ



               犬のような従順さ


 その日は風が強かった。春の嵐というには、まだ早いと思っていたが、季節は三月、暖かくなりつつある季節である。
 しかし、数日前には季節はずれの雪が降り、地域限定で積もったところもあったようだ。ちょうど、住んでいるあたりに雪が積もり、翌日の朝にはそのまま凍結していた。高速道路も通行止めの区間があったようで、少し離れた地区で雪を見ていない人たちには不思議だったに違いない。
 この季節になると、何を着ていいか分からない。ダウンジャケットにマフラーの人もいるかと思うと、コートも羽織らず、マフラーも掛けず、普通のスーツ姿で通勤している人も見かける。
 それでも朝はまだまだ寒く、風が吹けば無意識に身体が震え、身を固くしてしまう。狭い歩幅で、急ぎ足のようになるのは、真冬のようだった。
 それから比べると、ここ数日で急に暖かくなった。マフラーは必要なくなり、風も身に沁みるほどではなくなっていた。梅は綺麗に咲きそろい、桜の季節を待つばかり。そんな気分は年度末の忙しさを忘れさせてくれた。
 藤川政治にとって、年度末の仕事は煩わしい感覚が強かった。会社では管理部に所属しているので、年度末になれば忙しいのだが、業務が流れ作業となるので、前の人が資料を纏めてくれないと、自分の仕事ができない。入社して二年目くらいまではきつかったが、三年目くらいからは慣れてきたのか、精神的に辛さはなくなってきた。きっと、仕事に集中できているからかも知れない。
 もう、七年仕事をしていると、年齢的にも三十歳。二年前に主任に昇格した時は、嬉しくて、一人で祝杯を上げたものだ。
 それまでは一人で呑むことなどなかったが、自分で自分を褒めてあげたくなり、主任の辞令をもらったその日、仕事帰りに一人で居酒屋へ入った。
 以前から、会社の帰りに意識していた店だった。まずは焼き鳥の香ばしい匂いに誘われて覗いた横丁にその店はあった。赤提灯が目立っていて、あまり明るくない路地なので、余計に目立つのだろう。
 一人で呑んでいる自分を想像したことがあったが、店に入る勇気がなかった。焼き鳥の香りだけに誘われて一人で呑んでいたが、それも長くは続かなかった。
 その店は常連でもっていて、そのほとんどは、近くの商店街の店主だったり、土建屋さんだったりする。
 最初は話を近くで聞いているだけで面白かったのだが、どうしても近寄りがたい雰囲気がある。話に入ろうとして口を挟むと、胡散臭い顔をされてしまう。
「話の腰を折りやがって」
 と言わんばかりで、それまでのトーンが下がってしまい、話が途切れてしまう。
 話を途切れさせてしまったことに後悔の念を抱いてしまって、自虐的な気持ちになる自分が嫌だった。
「こんなことなら口を挟まなければよかった」
 と感じる。
 それでも店には通った。一人で呑んでいるだけで落ち着けたからだ。まわりの話も耳に入ってくる程度が心地よかったのだが、次第に、耳に入ってくる話が億劫になってくる。
 仕事をしていて一生懸命な時間と、仕事を離れてからの時間が、まったく違う次元に感じられるようになったのもこの頃からだったが、きっとそのせいで呑み屋にいる自分が分からなくなってきたのかも知れない。
 一人で呑んでいる時、まわりを意識するのが嫌になっていた。いろいろなことを考えながら呑んでいるのに、まわりから急に奇声のような笑い声などが聞こえると、集中力が途切れて興ざめしてしまう。特に土建屋や自営業の人たちというのは、自分たちの世界に入り込むと、まわりが見えなくなってくるだろう。
 自分の性格など、それまであまり考えたことがなかったが、ただ、一人で何かを考えるのが好きな性格であることは自覚していた。自分の世界に入っている時に、人から邪魔されるのを一番鬱陶しいと思うからだろう。
 最初は、いろいろな性格の人と仲良くなりたいと思っていたのだが、それは無理であるというのが分かってきた。話をするにしても、相手があるという当たり前のことを忘れがちになっているからだった。
 女性に対してもそうだった。女性に興味を持ち始めてから、自分にないものをたくさん持っている女性に対し、神秘的なイメージを抱くことで、女性を意識し始めた。だが、次第に相手の笑顔や、リアクションを見ていると、自分にも好みがあることに気付き始める。他の男性が女性に興味を持つことがどういうものか分からないが、同じような感覚であると、信じて疑わなかった。
 好きな女性のタイプを聞かれると、何と答えていいか分からない。テレビに出てくる女性タレントやアイドルを見て、
「この人は好みだ」
 と思ってみても、次の日には忘れていたりするものだ。
 八方美人というわけではないのだろうが、相手の顔は表情、雰囲気からその人の性格を判断して自分のタイプかどうか考える藤川だったが、よく考えてみれば、まわりの男性も同じなのかも知れないと思った。
 誰もそのことについては触れない。
「タブーなのだろうか?」
 とも考えるが、いちいちそんなことを口にするのは、相手に聞かれれば答えるかも知れないが、自分から話すようなことでもない些細なことなのかも知れない。
 大学時代にショットバーに興味を持った。友達にそのことを話すと、一軒店を教えてくれたのだ。こじんまりとした店内に、席はカウンターしかない。マスターと対面式なので、話をするにはちょうどいい。博学なマスターで、いろいろなことを知っている。結構話をしているだけで勉強になった。
 常連の女の子に、旅行好きの人がいた。いつも旅行から帰ってきて、店に寄るのがいつものパターンになっている。お土産を持ってきてはマスターに渡すと、その日に来ていた客は、そのおこぼれに預かれるというわけだ。
 藤川は、かなりの確率でおこぼれをいただいている。偶然といえばそれまでなのだが、偶然とは思えない何かを感じていた。
 週に二回くらいは店に来ていた。大学の講義が夕方の五時までの日が週に二回あったからだ。その日は講義が終わると大学図書館のオーディオルームで、CDを聴く。落ち着いた気分になったところで、店に赴くのだ。
 図書館の貸し出しは六時までなのだが、オーディオルームの使用は七時半まで許可されている。六時を過ぎても結構学生がオーディオルームを利用するので、学校側も許可してくれた。もっとも、それまでに要望書を提出したりと、いろいろあったようだが……。
 好きな音楽は洋楽なのだが、図書館のオーディオルームで聴く音楽はクラシックだ。オーディオルームは図書館の端にあって、前面ガラス張りの壁から見える光景は圧巻だった。まるでジャングルのような森が作られていて、夕方になると、ライトアップされる。クラシックを聴くには最高の環境である。
 さすがに講義を五時まで受けていると疲れてくるのか、クラシックを聴いていると眠くなってくる。それでも必ず七時前には目が覚めるので、
「体内時計を正常にするという意味でも、オーディオルームはありがたいな」
 と感じていた。
作品名:短編集119(過去作品) 作家名:森本晃次