短編集119(過去作品)
入社当時の永吉は太っていたわけではなく、どちらかというとスリムな方だったので、少しくらい痩せたとしても、自分では意識がない。だが、ちょうど三日前くらいだったか、会社の女の子が給湯室で話をしているのを聞いてしまった。
「最近の永吉さんって、少し変わりましたよね?」
「そうね、ちょっとしたことでもイライラしているように思えるわね。眉間にしわを寄せて何かを必死に考えているって感じで、ちょっと近寄りがたいって感じかしら」
「本人に意識があるかどうか分からないけど、私たちにとって、近寄りがたくなってしまったのは確かですよ」
その後沈黙が続いたが、それぞれに頷いているようだった。
知らなかった、まわりがそんな意識でいたなんて。だが、自分のことを一番知っているようで、一番知らないのが自分だというのも意識の中にあった。それをなるべく意識しないようにしようと考えていたのも事実である。
夢の中で、見ていた人たちは、それまで自分の知らない人達ばかりだった。少し歩いていると、今度は知っている顔を見ることができた。
それは、会社でちょっと気になっている女の子だった。
小柄でいつも控えめな彼女は、永吉と同じくらいの歳であった。彼女は道の反対側を歩いているためか永吉に気付かない。永吉がじっと見つめると、その視線に気付いたのかこちらを見て、最初は不思議そうな顔でじっと見つめている。
「そういえば、視力が悪いって言ってたな。時々見えにくいからって、相手の顔をじっと見てしまうことを気にしていたっけ」
いつものように見つめられて、少しドキッとしてしまった、だが、いつものドキッとした感覚とは異質なもので、初めて見つめられた時のことを思い出させるものだった。
――かなり若く感じる――
あどけなさが前面に見えている。ドキッとした感覚は、あどけなさに感じたものだった。年齢からすれば二十五歳くらいのはずなのに、見つめているその表情には、まだ十代の表情が滲み出ている。セーラー服を着せれば、そのまま女子高校生と言っても通じるのではないだろうか。
永吉はセーラー服姿の女子高生にドキッとすることがよくある。会社でも、
「ロリコン」
と言われているが、それを隠そうとは思っていない。
「ロリコンだって、立派な個性さ」
と言い切っている。むしろそれくらいの方が企画に幅ができるというもので、他の事務所ならいざ知らず、この部署では誰も、そのことについて言及しようとする者はいない。
――若く見えるのも、ロリコンという性格が、夢の中での想像力を豊かにしているのだろうか――
と感じていた。
確かにそれもあるかも知れないが、若く見えるのは顔の表情だけで、首から下は、グラマーな肉体に似合う服である。少し派手な感じを受ける服装で、このままディナーパーティーに出席するのではないかと思わせるくらいだった。
現実の世界でも彼女を意識していたが、違った意味で、この夢の中でも彼女を意識していた。
首から上と下にアンバランスさを感じる。ギャップと言ってもいいかも知れない。
現実の世界では素朴さだけを感じていたが、ここでは、素朴な表情にはち切れんばかりの肉体。肉体だけを見つめていると、
「抱いてみたい」
という妄想に駆られる。
しかも、ただ抱いてみたいというだけではなく、蹂躙してみたいという異常な性欲を掻き立てられるのであった。その時に彼女の表情がどのようになるかを想像するとゾクゾクしてしまう。きっと、許しを請う表情をしながら、何をされるのかをビクビクしながら怯えと戦っているであろう。
彼女の瞳に映っている自分の表情を想像してみた。さぞや痩せこけた自分の顔が、信じられないほど歪に歪んでいるに違いない。
そこに見える性癖は、決して現実の世界で見せてはいけないもので、見せた瞬間に、自分の考えている未来が崩壊してしまうことを意味していた。
――自分の考えている未来――
特別に意識したことはなかったが、当然のごとく、存在しているものである。未来から現在を見ることも意識の中ではあっただろう。だが、未来から過去である現在を見ることはある程度難しかった。それは理想の未来の過去として、現在を想像することができなかったからだ。
――どこか理想の未来への発想から逆行しているところがある――
という意識の中に、自分が現在を生きる時に、
――その時々に流されている――
という感覚があるからだ。
それは「欲」と呼ばれるものとは逆行しているのかも知れない。
――今がよければそれでいいんだ――
時代に流されていると、欲を呼び寄せることはできない。その両方は必ず人間が欲するものだが、一つの瞬間に共存できない背中合わせのものに見えて仕方がない。欲がないものねだりであるとすれば、今がよければそれでいいという事なかれ主義に走ったとしても仕方がないことなのかも知れない。
だが、夢の世界では共存できるのかも知れない。現実の世界での「欲」というものを、未来への期待だけに感じていたからだ。人間の三大欲と呼ばれる現実的な欲を、あくまでも本能からくるものだと考えているからである。
夢の世界は実に都合のいいものである。気がつけば仲良くなっている。気持ちの中では、
「どこかうまく行き過ぎているな」
と感じてしまうが、うまく行きすぎている話には、今までロクな目に遭っていない。
高校時代までは、相手の話をすべて信じるタイプだった。自分で見たり聞いたことしか信じないわりに、相手が自分だけに対してだけ話してくれたり心を開いてくれたと感じると、そこから先はすべて信じ込んでしまう。
従順だと言ってもいいだろう。それは女性に対してだけではなく、男性に対してもだったが、最近では男性に対して従順であることはなくなった。だが、女性の前に出ると、どうしても従順になってしまう。相手に嫌われたくないという気持ちが働くのだろう。
男性に対しては、嫌われてもいいとさえ思っている。あまり男性との会話が得意ではない永吉は、仕事の話をする時でもいつも一言多い。そのたびに、
「あっ、また余計なことを言ってしまった」
と顔に気持ちを露骨に出していた。相手も最初はあまり表情に出さなかったが、最近では露骨に嫌な顔をする。それが自分の表情に対してであることに、今までなかなか気がつかないでいた。露骨に嫌な顔をしてしまうのは本能的なもので、照れ隠しに近いイメージがあるからである。
社会に出てからの方が相手から気を遣ってもらえるようで、学生時代であれば、至らないところは友達が指摘してくれた。逆にありがたい面もある。社会に出れば何も言われない代わりに、蔑んだ目で見られるのがオチだからである。
学生時代の頃の会話の方が、内容は重たかった。話に責任がないと思うから感じたことをそのまま口に出せるのだろう。社会人になればそうも行かない。何も言われないだけにこちらも下手なことがいえなくなってしまう。
夢を見るのも学生時代のこと、それだけ印象日残っているのだろう。そのくせ、自分が社会人であると理解している。これも都合のいいと言えるのではないだろうか。
作品名:短編集119(過去作品) 作家名:森本晃次