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血の繋がりのない義姉弟と義兄妹

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 そういう意味で、記憶を失ってしまったかも知れないという彼、もし最悪の場合、ほとんどの記憶が消えていたとしても、自分なら彼とともに歩めるかも知れないとまで思うようになった。
 ただ、そこには超えなければならない、大きな壁があった。それが、
「死んでしまった姉の存在」
 なのである。
 恭一がどのように記憶を失っているのかが分からない、自分が自殺をしようとしたという事実を受け止められるようになるまでどれくらいかかるというのだろう。
 教授からは、
「最初の頃は、あまりショックを与えてはいけないと思うので、彼が自殺を図ったということは口にしないでください。ただ、すぐに警察が事情を聴きに来ますので、その時には分かってしまいますが、皆さんからは言わない方がいいと思います。警察への事情聴取も医者としていつくらいgいいかということも示していくつもりです。これも治療の一環だと思って、ご協力ください」
 と言われた。
 由紀子も家族も恭一をどのように扱っていいのか分からず、今は医者の話を訊くしかないと思っていた。とにかく彼の一日も早い回復が、最優先であることに間違いはないのである。
 彼が自分のことを姉だと思っていて話をしていると思った時、
――あの人の頭の中にはまだ姉が生きていて、そこから時間が経過していないんだろうか?
 と思った。
 時間の経過とは、人によってさまざまだという話を訊いたことがあったが、それは心理学的な話でしかなく、実際には誰にでも平等に時間というものが与えられているので、時間の経過がさまざまだなどというのは、幻想にすぎないとしか思えなかった。
 そう、そんなことを考えているのは、彼が表の景色をボーっと見ていて、それを自分が見つめながらに感じていることだった。
 だが、彼が表をボーっと見つめている姿は、今自分が彼の中に乗り移り、そこから表をボーっと見ているような感覚になっているからではないかと思ったが、どうも彼が見ている景色と、自分が彼に乗り移って見るであろうその光景とでは、決定的に何かの違いがあるような気がして仕方がなかった。
「唯子って、こういう時、よく歌を口ずさんでいたね」
 と恭一に言われて、由紀子はハッとした。
 そういえば、子供の頃からそうだったような気がする。
 いつも小さい頃から姉と一緒にいた。三つ年上の姉は、由紀子にとって、小さい頃からのやはり絶対的な存在だった。憧れは姉であり、
「三年経てば、今のお姉ちゃんに追いつけるんだね」
 というと、
「うん、そうだよ。でも、お姉ちゃんも先に進んでいるんだけどね」
 と言って、絶えず姉は背中しか見せてくれていないイメージがあったが、あることを思い出すと、気が付けばいつも姉の横に並んで歩いていたような気がする。
 それが姉が歌を口ずさんでいる時だった。
 その歌は、「赤とんぼ」であり、この歌は、夕焼けをイメージさせる曲であり、夕焼けを見ると、昔から身体にいい意味での倦怠感を感じていたが、この歌を聴いた時もそうであった。
 この曲は三木露風作詞の山田幸作作曲という、巨匠による楽曲であるが、子供の頃にはそこまでは考えない。大学の友達の中にこの歌が好きな人がいて、発祥の地だと言われている兵庫県のたつの市まで行ってきたというのを訊いたことがあった。

                  記憶の断片

「赤とんぼ」を聴いているという恭一の表情は恍惚の表情だった。まるで昨日自殺を企てた人の表情だとは思えない。
――やっぱり、先生の言っている通り、彼の赴くままに今は記憶を紡いであげるのがいいのかも知れないわ――
 と、その表情を見ていると感じるのだった。
「少し疲れたから、寝てもいいかな?」
 と、恭一は言った。
 さっき目覚めてから、まだ一時間くらいしか経っていない。普通であれば、そんなに睡魔に襲われるのは異常なことなのだろうが、先生から、
「彼は精神的な疲労が普通の人よりもかなり激しくなっているだろいから、すぐに眠たくなると思う。そんな時は無理をさせないように眠らせてあげてくれないかな?」
 と言われた。
 だから、分かっていたことであったので、別に違和感を感じることもなく、彼の言う通りにすることができた。
 普段なら、このまま眠らせておいて、自分は帰ろうかと思うのだろうが、この日はもっといることにした。彼の顔を見ながら、何か妄想に入るのもいいと思ったし、どうせなら普段考えないようなことを考えようとも思った。
「せっかくだから、少し病院内を見回ってみようかしら?」
 と考えた。
 何かがなければ病院などは、長居したくないところなので、ゆっくり見て回るなどという感覚が生まれる余地はなかったはずだ。しかし、
「目覚めを待っている」
 という大義名分があることで、気持ちに余裕ができたのか、逆にいえば、気持ちに余裕がなければ、病院など見回ってみようなどと思わないだろう。
 由紀子は、中学時代、看護師になりたいと思っていた時期があった。すぐに挫折したのだが、それを自分の諦めの早い性格によるものだと思っていた。確かにそうなのだが、彼女にはアレルギーがあった。いくつかのアレルギーがあるために、子供の頃は何度か入退院を繰り返していた。看護師になりたいと思ったのは、その時の記憶があったからで、看護師の仕事の何たるかすら分からずに諦めたのは、ある意味、
「知らぬが仏」
 だったのではないかと思うようになった。
 アレルギーの影響があるのか、血の匂いにも拒否反応を示した。そんな状態で、看護師になどなれるわけもないではないか。
 病院を見回っていると、外科病棟から内科病棟、さらに循環器科など、いろいろあるのをいまさらのように感じ、診察室の前の落合室に座っている人の加患者にそれぞれ違いがあるのも分かったような気がしていた。
 新たな発見がいくつかあり、発見をしながら子供の頃を思い出していた。アレルギーに敏感だったことで、食事制限や、環境にも制限があり、退院してからも学校に行っても、体育の授業はほとんどが見学だった。だが、中学に入る頃にアレルギーの特攻う役のようなものが開発され、それが驚異的と思えるほど自分に適用したことで、中学以降は、自分にアレルギーがあったなどということを忘れさせられるくらいになっていた。だから、最初に恭一が自殺を図って病院に運びこまれたと聞かされた時、由紀子をどうしようか、母親も一瞬迷ったかも知れない。いくら小学生の頃のこととはいえ、昔の記憶が戻ってきて、トラウマがよみがえってきても困ると思ったのだろうが、
「私も行く」
 と由紀子が言ったことで、反対する理由もなく、連れていくことにした。
 由紀子が行くと答えたのは、恭一のことを一番に考えたからだ。それに病院の記憶は小学生の頃からそれほどきついものだという意識はなくなっていた。いまさら何も問題などないはずであったが、実際に行ってみると、最初ちょっと足が震えていたのは間違いなかった。
 由紀子が病院にトラウマを持っていることを恭一は知る由もないだろう。だから、何とか頭の中で、
「恭一のため」
 と思ったことで、精神的に持ち直すことができた。