血の繋がりのない義姉弟と義兄妹
教授も少しは人がいるのは分かっていたが、想定外の人出に、教授もビックリしたようだった。そこから先は当初の約束通り、一人で次の逗留先を探した。
ただ、一人というのは、教授を頼らないというだけのことで、途中で知り合った人にはその限りではなかった。
また、恭一が行き詰って、教授を頼りにするのはありだった。あくまでも教授の方からの発信で、恭一の行先を決めるということはしないというルールだったのだ。
今までの逗留先で知り合った人がいないでもなかった。同じようにいろいろな温泉街を巡ったり、ペンションのようなところで、時間を使うという人であった。
その人は一人の女性だった。三軒目の逗留場所で一緒になったことになるのだが、いろいろ話を訊いてみると、
「今まで出会わなかったのがおかしいくらいだね」
というように、恭一が訪れた二軒のペンションにも彼女は逗留していた。
日数的には恭一が最初に逗留した場所には、三日ほど、そして次に逗留した場所では、恭一よりも長い日数を逗留していたのだ。二人が同じペンションにいた時期は重なっているはずなのだが、お互いに気にしていなかったということであろう。
恭一は、一人になることを目指していたし、彼女の方は、自分のことで精いっぱいだった。
彼女が何をしにペンション巡りをしているのかは、その風体を見れば大体分かった。車での移動なのだが、トランクの中から出してきたのは、キャンバスに絵の具の道具、彼女は恰好から入るタイプなのか、いかにも絵描きさんという風体で、ベレー帽などもかぶっていた。
小説を書くために逗留しているという建前なので、同じ芸術に造詣が深いということで、彼女は恭一に興味を持った。
「小説なんてすごいわ。私、想像力がないから、目の前にあるものを忠実に描く絵描きしかできないのよ」
と言っていたが、絵を見せてもらうと、かなり独創的な絵を描く人で、絵具ももったいないくらいにふんだんに使っていて、立体感溢れるその絵は、絵と工作の間のようにさえ見えた。
絵にまったく造詣が深くない恭一は、その絵を見て、
「何て素晴らしい絵なんだ」
とあまりにもベタ過ぎる褒め言葉であったが、彼女は素直に照れ臭く感じてくれたことで、一気に恭一の気持ちが氷解したようだった。
恭一にとって求めていた感覚はこれだったのだ。会社では相手のあざとさに引っかかってしまい、脅迫されることになってしまった。淡々にたぶらかされてしまったわけだ。だが、相手が素直に照れてくれるような雰囲気を感じたこともなかった。だが、俊一にとって初めての感覚ではなかった。
「どこか、懐かしさがあるんだよな」
自分にとっての一部の記憶が欠落していることを知っているはずなのに、この時は欠落している記憶の中に、そんな懐かしさがあるのだとは思ってもみなかった。
このような忘れたくない記憶は、同じ思いを再度した場合に、思い出すものだと勝手に思い込んでいたからだ。
実際には思い出すことはない。そうなると、この記憶は懐かしいと思いながらも、自分の中で、
「本当に思い出したい」
という記憶ではなかったということだ。
それはきっと、唯子のことが忘れられないという思いの中にあるのかも知れない。
「忘れられないと思っている記憶を、シチュエーションによって思い出すというのは、何か理屈が違う気がする」
という勝手な思い込みであった。
だから、この懐かしいという思いと、唯子への思いとは違うのだと考えてしまう。そのおかげで新鮮に感じることができるのだが、危険にも気づかないのだろう。
彼女と仲良くなってから、それまでまったく小説を掛けなかった恭一が書けるようになった。
別に小説家でもなく、ただ気持ちのリフレッシュのために来ているだけなので、書けないことに後ろめたさを感じることもなかった。
――俺は精神疾患があり、そのために会社でいいように利用されたりもした。しょせん人間なんて信用できない。自分だけがよければそれでいい――
という思いを自分にとっての正義だと思いたくて、その気持ちのリフレッシュに、行方府営となってまで、この方法を選んだのだった。
前の世界に戻ったとしても、そこは、まったく違った世界が広がっていることだろう。まっすぐに進むはずの未来を自分から変えてしまったのだ、当然変えてしまったことで、一直線に過去に戻ると、その世界は、自分が歩んできた世界とはまったく違った世界が広がっているに違いない。そうなると、その過去から続く未来も本当に今なのか、疑問が生じてくる。その疑問に何らかの答えを見つけることができるとすれば、今回の絵描きの女性との出会いではないかと思うのだった。
初めて味わうはずの新線な気持ちを、
「懐かしい」
と思った、
いわゆる、
「デジャブ」
と言われる現象なのだろうが、そのデジャブは誰にでもあるという。
ということは、一部の記憶の欠落なるものくらいであれば、特殊な疾患がなかったとしても、誰にでも普通に訪れるものなのだろうか? それとも、普通だと思っている人であっても、疾患があることに気づいていないだけなのか、デジャブという現象を、科学的に解明できていないようなので、そのすべては想像でしかないのだ。
デジャブの話も岡崎教授としたことがあった。
「これは私のまったくの私見でしかないのだが、デジャブという現象についての意見を聞いてくれるかい?」
と教授に言われ、興味があったので、
「ぜひ、お聞かせください」
というと、教授は実にニコニコと、まるで子供が母親に百点を取ったことで自慢したいのをまだ言わずに堪えている時の表情を見るようだった。
「デジャブという現象は、初めて見たり聞いたりしたことのはずなのに、以前にも見たことがあるというものだったね?」
「ええ、そう理解しています」
「まだ、科学的には何んら証明はされていないんだけど、説としてはいくつかあるんだ。だが私の説はそのどれでもないんだけどね。考え方として私の中にあるのは、『辻褄合わせ』のようなものなんだ」
というではないか。
「どういうことですか?」
「過去に似たような経験を、自分の中で過去に見たり聞いたりしたことだということで、何かを納得させたいと考える時、記憶の中の辻褄を合わせようとして、デジャブと言われるような現象を引き起こすと思うんだ。つまり矛盾が存在していれば、普通その矛盾を自分なりに解決していくだろう?」
「ええ」
「その矛盾をすべて解決すると、一つの線が出来上がるはずなんだけど、実は繋がらない部分、見えていない部分があったりする。そこを何とか想像で補おうとする。その意識がデジャブというものではないかと思うんだ。つまりは、点を線で結ぶための最終手段とでもいうべきなのかな? だから、意識としては残らないけど、何か不思議な感覚として気にすることになる。木にはするけど意識としては残らないから、まるで都市伝説のような感覚で、落としどころを見つけているんじゃないかな? それが『辻褄合わせ』ということになる」
と教授は言った。
なるほど、話としては面白いが、正直理解できなかった。
作品名:血の繋がりのない義姉弟と義兄妹 作家名:森本晃次