血の繋がりのない義姉弟と義兄妹
普通であれば、食べられたくない方が必死なので、結構あくどい卑怯な方法を取ってでも免れられれば、それが正義として賞賛を受けることもあるだろう。それが、版画びいきの日本人にはウケるというものではないだろうか。
人間、一人になると、本性が出てくるものであり、下手に人と一緒にいると、気を遣うことから、どうしても、悪いことはしてはいけないという消極的に考えてしまう。それがいざという時に自分にどのように影響してくるか分からないのだ。
「食われてしまってからでは遅い。後悔は先に立たないのだ」
その教訓は、孤独を知っている人間だから言えるのではないかと恭一は感じていた。
追いかけてくる弟
恭一は一人になるために、失踪したと言っても過言ではない、迷惑を描けてしあう人には申し訳ないが、ただ、一人だけ相談したのが、岡崎教授だった。
教授の本来の立場から言えば、自分の患者が、
「失踪を試みたいんだけど」
などというとそれを否定しないといけない立場にあるはずなのに、教授は快く承知してくれた。
「本当は、断じてダメだというべきなんだろうが、今の君なら体力的にも精神的にも失踪しても、何とかなると思うんだ。ほぼ回復しているからね。でも、心情的には、お世話になっている人たちを欺くようにして失踪することは、許されないことなのかも知れない。だが、君の立場や精神状態を考えると、今のまま、トラウマやストレスを抱えたまま、偽りの精神状態で暮らしていると、今ここで失踪するよりも、さらに大きな迷惑を掛けることになって、取り返しのつかないことになるかも知れない。私は取り返しのつかない事態になる前にという意味で、失踪に承諾したと思ってもらいたい」
と言ってくれた。
「ありがとうございます」
というと先生は続けた。
「いいかい? だから余計に君が失踪したことに後ろめたさを感じたり、綾羅木さん一家に悪いと思って、変に躊躇はしてはいけないよ。あくまでも君は自分の意志で失踪するのであって、そこには君の意志を貫くためという覚悟と責任がいるんだ。ただ、後ろめたさを持ってしまうと、その覚悟と責任が、まるで裏切った人への懺悔の気持ちと重なってしまい、決していい方向には向かないんだ。そのことをゆめゆめ忘れないようにしないといけないよ」
と言うのだった。
「覚悟と責任という言葉を伺って、僕も開き直れる気がしてきました。僕は最近、一人でいることを望むようになったんですが、この感情は悪いことなんでしょうか?」
と聞くと、
「そんなことはない。人は一人でいるのが、本当は自然なんだ。だが、人と一緒にいる姿も人間なんだよ。だから、どちらかなどというのを、人間という括りで見てはいけないんだ。孤独がいい人もいれば、人と一緒にいる方が力を発揮できる人もいる。人によっては、人に委ねないと生きていけないような人がいるだろう? 依存症というのか、異性への依存なんかもそうだと思うんだけど、それって結局は自分の中にないものを欲しがっているということなのではないだろうか? ただ、それも自分で分かる人もいれば、人から指摘されて初めて気づく人もいる。どちらが悪いといういうわけではないんだ。どちらもいいこととするならば、どちらも悪いことなんだ。それだけたくさんの考え方があるということさ」
「なるほど」
「特に人からマインドコントロールされた人は、催眠術にかかっているようなものだからね。何か一つにだけ特化して催眠を掛けられているので、その感情に関係のある身近な感情は変わっているわけではないので、きっと矛盾に苦しむはずなんだ。それでも、違和感なくできているということは、催眠状態に陥っているか何かで、かなりの無理を強いられていると思うんだよ。そうなってくると、その状態が積み重なると、感情が崩壊してしまわないとも限らない。麻薬中毒者などが起こす禁断症状などというものは、まさにその通りで、それが進むと廃人同様になり、他の人が、無意識にできていうことすらできなくなってしまって、悲惨なことになってしまう。例えば、一人でトイレができなかったり、食事も摂らなかったり、起きていて、身体も動くんだけど、自分の意志で動いているわけではないから、一種の植物人間のような感じになってしまう」
という、恐ろしい話にまで先生は言及した。
本来ならここまでの話をする必要などないのかも知れないが、、敢えて教授がしてくれたというのは、それだけ覚悟と責任というものが重要なのかということを知らしめるためであろう。
「催眠術というのは、薬などに頼らずに、人の気持ちをコントロールするものなので、ある意味クスリよりも恐ろしい。クスリは計算されて調合ができるが、人間が人間をコントロールする場合、コントロールする側の人間が、自分を本当にコントロールできているのかすら疑問だよね。コントロールできないから、人をコントロールしようなどという大それたことを考えるのかも知れない。悪の組織に操られ、脅迫されて嫌々手下として開発に従事するというのをドラマなどで見るけど、悪の首領も自分にできないくせに、よく他の人にやらせて、威張っていられるなって、子供の頃に感じたものだったよ。勧善懲悪というのは、そういう悪があるから善が目立つんだよね。いくらドラマや特撮で、テレビは視聴率は重要だといっても、これこそ子供を洗脳するものではないかと今では思うよ。本当に本末転倒な気がしてくるよ」
と先生がまた熱弁をふるった。
こういう話を訊くと、先生はこのような話をいつも頭に描いていて、誰かに聞いてもらいたいと思っているというのが本音ではないかと思った。
それは悪いことではなく、ある意味、恭一に対して話している言葉に嘘はない。
それが自分の気持ちからでもあることを言いたかったのではないだろうか。恭一のように、精神疾患からある程度立ち直り、精神的にはまだ生まれたばかりの子供のように無邪気な頭の中に、一番叩きこみたい思いだったのかも知れない。
「それこそ洗脳じゃないか」
と言われるかも知れないが、
「確かに洗脳かも知れない」
という、罪悪感のようなものもあったが、これまで否定してしまうと、精神疾患の医者など、存在自体がありえないのではないかと思えてきたのだった。
だが、教授は臆することなく熱弁をふるう。まるで子供のようなそんな姿はきっと他の誰にも見せないはずだ。
――僕にだけ見せてくれたんだ――
と思うことで、教授に対しての感情移入が間違っていないと思う。
ただ、今は、
「一人になりたい」
と欲しながらも、それに賛同してくれる考えの人もほしいと思っている。
だからと言って矛盾しているわけではない。それだけ精神的に不安定なのであって、それを補ってくれる人を探している。
その相手が教授であるのは、相手の立場からいっても安心だった。
最初に訪れる場所だけは、教授が紹介してくれた。
その場所には一週間ほど逗留したのだが、タイミングが悪かったのか、ちょうど人が多い時期だった。
作品名:血の繋がりのない義姉弟と義兄妹 作家名:森本晃次