血の繋がりのない義姉弟と義兄妹
綾羅木家に対して、どうしても後ろめたい気持ちを持ってしまったのも仕方がないのだろうが、
「君が後ろめたいと思えば思うほど、綾羅木家の人たちは、お姉さんの呪縛から解き放たれることはないんだ。だから、今は無理かも知れないが、後ろめたいという気持ちをいずれは断ち切れるといいんだろうね。そして早く綾羅木家の中に残っている娘さんの魂が成仏できることを私は願っているんだ」
と岡崎教授は言った。
医者であるのに、どこか坊さんのような言い方をする岡崎教授、実は家がお寺ということもあり、頭の中には仏の教えのようなものがあるのかも知れないと、恭一は感じるのだった。
そういえば、岡崎教授と、あの世の話などをしたことがあったっけ、本当であれば、病院内であの世の話などは、ある意味禁句なのかも知れないが、二人だけの話であれば問題ないということで、岡崎教授の研究室に招かれたことがあった。
「ここは君だけでなく、他の患者さんもよく遊びにくるところでもあるので、別に気を遣う必要はない」
と言われ、複雑な心境になった。
というのも、岡崎教授が自分を招いてくれたのは、他の人とは違った特別な意味があると勝手に思いこんだからだ。
人に招かれた時、人はまず最初に自分が特別な存在ではないかと思うものだろうと考えていた。
しかし、すぐにその気持ちを打ち消す自分がいる。その素早さは考えたことがまるで悪いことのように思うので、思い出したということを最初からなかったことにしたいという思いから来ているのではないだろうか。
それは、
「おこがましい」
ということが罪悪のように思うからで、そんなことを考えたということすら、抹殺してしまいたいと思うのであろう。
だが、そのおかげなのか、いつも同じように考えていると、最初からなかったことにできてしまうから恐ろしい。それだけに自分だけが特別だという意識を持ったその時、嬉しい反面、おこがましさから思わず否定してしまう自分もいる。
たまに、自分のことを好きになってくれた相手に対して、その気持ちを素直に受け入れることができず、素直になれずに、相手の申し出を断ってしまうということも起こってしまう。
素直に受け入れさえすれば、幸福になれるにも関わらず、幸福をみすみす逃してしまうそんな人を、皆、
「バカな奴だ」
というに違いないが、一歩間違えれば、そう言った人の、
「明日は我が身」
である。
「あの世というところは、天国と地獄に分かれているらしいんだけど、本当なんだろうか?」
と、教授は言い出した。
「坊さんがそんなこと言っていいんですか? そもそも天国と地獄という発想は、仏教からきているんじゃないですか?」
と恭一がいうと、
「確かにそうなんだけどね、坊さんであっても、その話に信憑性が感じられない人だっていると思うんだよ。坊さんだから、仏教徒。仏教徒だから、仏教の教えを信じなければいけないという理論は違うような気がするんだ」
「というと?」
「誰にだって間違えもあれば、勘違いもある。それらすべてを否定してしまってもいいのだろうかって思うんだよね。勘違いしていることの中にだって真実があるかも知れない。そう思うと、考えさせられることもあるというものだ」
と、かなりの問題発言にも聞こえたが、そこが医者としての意識が入り込んでいるからなのかも知れないと感じた。
「天国と地獄って、皆共通のものではないような気がするんですよ。広い世界ではなく、一人一人の心の中に、天国と地獄がそれぞれあるような感覚ですね」
と恭一がいうと、
「そ、そうそう、私が言いたいのもまさにそのことなんだよ。そういう意味でいくと、今自分たちが生きているこの世界だって、ひょっとすると、その人個人個人が持っているものなのかも知れない。言い方は唐突だけど、自分が存在している世界において、本当に存在しているのは、自分だけであって、他の人は皆虚像なのではないかと思ったことが、子供の頃にあった気がするんだよ」
と教授は言った。
「それは面白い発想ですね。じゃあ、先生の世界の中には僕は幻で存在しているんですね?」
「そう言えるかも知れない。こういう発想がどうしてできるかというと、この発想、誰もが感じているある世界に似てはいないかい?」
と言われて、恭一は考え込んでしまった。
そして少しすると、あることが頭をよぎった。
「なるほど、そういうことですね。確かに夢の世界を解釈しようとする時に今の理屈を考えれば、納得できないわけでもない」
と恭一はいった。
「確かに夢の世界に、自分以外の人が出てきている感覚ってあまりないですよね。目が覚めるにしたがって忘れていく感覚がどこからくるのか考えてみたけど、なるほど、これが、人それぞれ別々に持っている世界だと思うと、都合のいい考えができるのも、分かるというものなんでしょうね」
という教授に対して、自分が今教授に頭の構造が近づいているような感じがして、不思議な気がしていた。
「天国と地獄の二つだけだとすると、世の中の人を皆どちらかに分けなければいけないという理屈になってきますよね。誰がどのように分かるというんでしょうね。お釈迦様なのかな それとも、閻魔大王なのかな?」
という質問に対して、教授は面白いことを言った。
「この発想は確かに今あなたが思い浮かんだこととちょっと違う発想を抱かせてくれます。それについて面白いと言ったわけですが、天国と地獄という発想は、ある意味仏教では矛盾した考えでもあるんですよ」
と教授は言い出した。
「矛盾した考えというと?」
と恭一が訊きなおすと、
「人間死ぬと、生まれ変わるというのが基本的な考えなんです。生まれ変われるのだから、天国と地獄が現実とかけ離れたところにあったのでは、辻褄が合わなくなるわけです。そうなると、天国と地獄という世界は、現実の世界にあることになるわけです。つまりは、現実の世界の中にその人にとっての、天国なのか、地獄なのかがあるということになると、先ほど君が言ったように、人それぞれの天国と地獄が存在していることになる」
「じゃあ、人間は生きている間に、その二つを経験することになるというわけですか? どちらかしか知らない人もうるんでしょうけども」
と恭一がいうと、
「その通りだと言えるでしょうね、また、天国と地獄という発想を次の世に受け継ぐとするならば、死ぬ時に前の世界の因縁が生まれ変わりに影響するという発想もあるでしょうね。現世でいいことをすると、来世でいい環境で生まれてくるが、厳正で悪いことをすると、その因縁が報いて、ろくでもない親から生まれてくることになるのかも知れないという発想ですね」
その後、恭一の中で大きくなってきた発想としての、
「人間は生れながらにして不平等だ」
という考え方に結び付いてくるのではないだろうか。
作品名:血の繋がりのない義姉弟と義兄妹 作家名:森本晃次