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血の繋がりのない義姉弟と義兄妹

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 とにかく、現実逃避には、誰も知られていないところに逃げるに越したことはなかった。仕事を失うことは覚悟の上だが、あんな恐ろしい会社で働くのはまっぴらごめんだ。
「自殺を試みて、精神疾患などを起こさなければ、きっとあんな連中がいたなんて、まったく知らずに今も普通に仕事をしていたんだろうな」
 と、恭一は考えていた。
 恭一は精神疾患ではあったが、モノに対しての判断力や、理解力はほとんどと言っていいほど回復していた。
 しかし、鬱状態だけはどうにもならず、そのために、ネガティブになってしまうと、とことん悪い方に考えてしまい、疾患が回復していることも悪い方に作用し、悪いことへの考え方が増幅してしまうのであった。
 そのために、絶えず被害妄想と自己嫌悪の中で戦うことを余儀なくされ、失踪という形で、皆の前から姿を消したのだった。
 それでもいきなり自殺を試みたわけではないので、まわりはそれほど心配しているわけでもなかった。
「恭一さんに、もし自殺癖のようなものがあったとすれば、失踪する前に、自殺を試みるはず」
 と由紀子の母親は言った。
「そうね、恭一さんのような人は先に失踪してしまうと、自分の気持ちが死に対して揺らいでしまうのではないかと思うんじゃないかな? それにあの人、以前言っていたことがあったの。死ぬ勇気は、そう何度も持つことはできないってね」
 と由紀子も、母親と同意見だった。
 だが、失踪するほどの精神的な問題が発生したのは間違いない。それがどこから来るモノなのか分からないだけに、皆一様に不安でもあった。
 自殺はしないだろうという思いだけで、問題の解決にはまったく至っていない。どこにいるのか分からないだけに不安が募っていたようだ。

 恭一はその時、あるペンションにいた。失踪してから、一か月くらいは、そのペンションでゆっくりと過ごすことを考えていた。ペンションで一か月くらい逗留する人は結構いるようで、何か芸術に親しんでいる人が多いとのこと、中にはプロもいれば、アマチュアもいる。恭一は、
「素人小説家とでも思ってください」
 と言って、ペンションの管理人さんに話していた。
 そのペンションは、冬も万遍なく人が訪れるようで、家族連れも結構いる。ここの管理人はまだ、四十代前半くらいの夫婦で、脱サラ後の第二の人生だということだ。旦那さんも奥さんも料理の腕は確かで、二人ともレストランシェフの経験があった。
 かといって二人が知り合ったのは、レストランのシェフ繋がりではなかった。
 お互いにペンションめぐりが好きで、そこでたまたま知り合った相手が、偶然にもレストランのシェフどうしだったというだけのことだった。
 レストランのシェフと言っても、雇われているのだから、サラリーマンと同じだった。会社の経営方針に従って料理を作るだけの機械の部品の一部に過ぎないことを早くから自覚していて、嫌な思いをしていたにも関わらず、ずっと我慢してきたようだ。
 しかし、二人ともストレスの解消に関しては苦手な方で、蓄積されたストレスがお互いに同じタイミングであったため、ちょうどお互いに相手の気持ちを察することができるという奇跡のような関係で、ほとんど喧嘩などはなく、その分、相手の気持ちが分かることで自分のことを棚に上げて、相手にアドバイスができるまでになっていた。
 元々ペンション経営をしていた老夫婦がいたのだが、もうそろそろ七十歳を迎えるので、引退を考えなければいけない年になっていたという。その話を訊いたこの二人が、
「じゃあ、自分たちがここをやりたい」
 ということで、後継者を名乗り出た。
 数か月、管理人見習いのようなことをやってみて、その仕事ぶりを十分だという思いを持って、二人は晴れて、ペンションのオーナーになることができた。
 二人は見習いとして入った時点で、レストランを休職扱いということにして働いた。そして正式にオーナーと認められたのを機会に、レストランを辞めたのだ。
 人によっては、
「退路を断つくらいの覚悟がないと」
 と言われるかも知れないが、おれほど社会が甘いものではないことくらい二人も分かっていた。
 だから、これは二人が臆病なので保険をかけていたと言われても否定はしないが、
「それのどこが悪い?」
 という開き直りもあり、それが二人の特徴でもあった。
 普通なら、嫌われるタイプなのだろうが、二人を悪く言う人は誰もいない。それだけ二人の意見が一致していたからで、見ていて、まったくの違和感がなかったのだ。
 最初、恭一は、いくつかのペンションを巡って、
「ここならば、少々の逗留をしても、時間を感じることなく過ごすことができるというところを探していたが、三軒目くらいでこのペンションにぶち当たり、逗留を決めた。
 俊一が、
「時間を感じさせない場所」
 を逗留の場所として決めたのは、
「毎日の規則正しい生活を時間で制御されないため」
 という意識があった。
 そもそも規則正しいということの意味が分かっていなかった。
「いつも決まった時間に目を覚まし、同じ時間に食事をして、同じ時間に寝る」
 という人間の基本的なリズムに対しての考え方になるのだが、俗世間で生活をしていれば、規則的な生活は無意識のうちにできてしまうだろう。
 それは決まっている時間があるからだ。
 子供であれば学校に通う。社会人であれば、会社に通うということがある意味決まっているからである。
 学校も会社も、その日の始業時間、休業時間は決まっている。会社の場合は、残業というものがあるので、本当に決まっているとはいいがたいが、普通に生活していれば、その二つの決まった時間から逆算しての生活リズムになるというものだ。
 一週間も同じリズムで生活をしていれば、自然と慣れてきて、自分が時間に支配されているという意識を持つこともなく、決められた時間に溶け込んでいるように思うだろう。
 しかし、毎日の生活が決まった時間に縛られてしまうと、精神状態が同じであれば、
「規則正しい毎日」
 ということで片づけられるのだろうが、精神的に苦痛であったり、鬱状態に入り込んでしまうと、規則正しい生活がいつの間にか苦痛でしかなくなっていることに気づかない。それは毎日の規則正しさを無意識に受け入れているからで、無意識がゆえに、意識することができないのだ。
 そのため、柔軟に考えなければいけない時に、考える力がなくなってしまっていることにも気づかない。つまり、自分が苦痛であるということも、鬱状態にいるということを自覚していたとしても、どこから来るモノなのかが分からない。
 これがすべてだとは言わないが、少なくとも、
「時間に支配されている自分が、無意識であることに違和感を感じていなかったことが原因だ」
 と言えるのではないだろうか。
 だから、
「規則正しい生活がからだのためにはいい」
 とか、
「規則正しい生活をしていないと、精神的にきつくなる」
 などと言われるが、果たしてそうなのかと恭一は考えていた。
 彼は精神疾患が少しずつ治っていく中で、自分なりの理屈を考えていた。