血の繋がりのない義姉弟と義兄妹
そのため、決して忘れないように、記憶のとこかに格納しているのだが、覚えておかなければならないことが多いことで、夢よりも現実を優先するあまり、夢で見たことは忘れてしまうという意識の中で封印されるものなのではないだろうか。
由紀子は、夢というものが意識の中に封印するものなのか、無意識の中に封印するものなのかを考えてみたことがあったが、それを知ったところでどうにかなるものではない。それよりも、
「夢というのは決して忘れ去られたものではない」
という感覚を持つことが大切だと思うのだった。
夢は確かに目が覚めるにしたがって忘れていくものだが、忘れ去ってしまうことのできないものであり、自分の中で必ず近い将来関わってくることになるということを感じさせる大切なものだと考えるようにしていた。
「お兄ちゃんの夢の中に、私が出てきた?」
と由紀子は訊いてみた。
すると、恭一は少し考えて、首を左右に振ってみていた。
普通であれば、片方に頭を傾けて考えている格好をするのだが、この時の恭一の考えている素振りは普通と違っていた。
――やはり、記憶を失っていることで、どこか精神的に疾患でもあるのだろうか?
と思ってはいけないと感じながら、そう考えてしまう自分が怖かった。
「由紀子ちゃんは出てきたんだよね。でも、それ以外の誰かもいたはずなんだけど、それが誰なのか分からないんだよ。自分の顔すら見ることができないんだ」
というではないか。
夢であろうとなかろうと、自分の顔を見ることなどできないと思っている。夢というものを自分から離れて、第三者として見ているという理屈を考えれば、自分の顔を見ることはできるのだろうが、やはり何か理屈に合っていないような気がした。
恭一が他の人を分からないと言ったのは、今目の前にいるのが自分だから、自分しか顔を見ることができないと言っているのだろう。それに関しては理屈が通っているような気がした。
恭一のその時を、精神疾患だと言えるかどうか、恐れおおいことだった。
恭一の見ている夢がどんな夢なのか、由紀子は一人になって考えている時、自分も似たような夢を見ているような気がした。そして、今感じているのと同じ考えを、今の恭一に言われると、誰もが彼の話に共感させられるのではないかとまで感じたのだった。
ペンションへ
恭一は、記憶が完全に戻ることはなかったが、身体の状態もよくなり、仕事をする分には、別に問題もなくなったので、退院を許され、退院後の一か月後に会社への復帰も決まった。ただ、病院には週に一度は顔を出さなければいかないので、週休二日のうちの土曜日を出社日として、それ以外の曜日を通淫靡と決められた。週に一度の通院日は、ほとんど一日検査を行い、それができなければ、会社への復帰も許されないという状態になっていた。
それでも会社に戻ることができたのはよかったことであり、なるべく会社でも、彼が自殺経験があることを口にしてはいけないと言われていた。
今の時代は、コンプライアンスが厳しく、不当解雇はできないようになっているので、会社側も気を遣っての雇用になっているのだった。
しかし、それだけに難しい仕事をさせるわけにもいかず、一番無難な総務部で、雑用に毛が生えた程度の仕事をしていた。幸いにもまだ一人前の業務をこなせるだけの体力も気力も戻っていないということで、一人の人のサポートのような仕事をすることで、仕事を覚えることもできて、一石二鳥だろうと思っていたのだった。
ただ、何と言っても彼には、先の交通事故にて、
「右腕が上がらない」
という障害を受けてしまったことが、ある意味致命的であったが、器用だったこともあって、左でも十分にできていたという認識があったことで、サポートとして仕事をすることも、さほど苦痛なことではなかった。
彼は交通事故で婚約者を失い、自分も障害を受けてしまったということをよほど苦にしていたのか、自殺を図った。警察の調べでも、そのことを裏付けられる内容の遺書が見つかったことから、自殺の原因は、
「世を儚んで」
という、いわゆる、
「一般的な自殺の理由」
として、疑わしいところはないということで、治療後の会社復帰になったのだが、会社に復帰して一年が経った頃、彼が会社に出社しなくなっていた。
最初に彼をサポートをして手伝わせていた総務部員が、出社してこなくなって二、三日は様子をみていたが、さすがに四日目になると、一度は自殺を図ったいる人なだけに心配になり、総務部長に相談した。
「それは問題だな、とりあえず、彼の家に行ってみよう」
と総務部長はその部下を伴って彼の住んでいる部屋に行ってみた:
彼は元々の一人暮らし、コーポのようなところに住んでいて、部屋に行ってみると、部屋のカギは開いていた。
別にオートロックでもないので、簡単に入ることができる。しかし、いきなり入ってはいくら会社の人間とはいえ、住居不法侵入だと言われれば、言い訳もできないこともないが、後々ややこしいことになりかねない。
とりあえず、声をかけてみた。
「坂出君、いるかね?」
と声をかけてみたが、中から返事はない。
どうやら部屋の中の電気はついているようで、それが上司を不安にさせた。
「しょうがない。何かあったら、私が責任を持つので、中に入ってみよう」
と言って入ってみると、そこには誰もいなかった。
別に部屋が散らかっているというわけでもない。かと言って、すべてが綺麗に片づけられているわけでもない。明らかに最近まで誰かが住んでいたという形跡を残したまま、この部屋は放置されてしまったのだ。電気がついているのも、その証拠だった。
ただ、最初に上司の頭をよぎらせたのは、
――彼がまた自殺を試みたのではないか?
という疑念である。
これは人それぞれなのかも知れないが、聞いた話によると、
「一度自殺をした人は、自殺を繰り返す傾向にあるって話だよ」
と言っていたのを思い出した。
だが、他の人の話として、一度自殺を図って、失敗した人は、
「死ぬ勇気なんて、そんなに何度も持てるものではない」
と言っている人がいると言っていたが、恭一がどちらなのか分からないが、この状態を見れば、自殺を試みたという考えは、自分の中でかなりの信憑性を帯びていた。
部下と二人で部屋の中はもちろん、風呂場やトイレまで調べてみたが、いる様子はなかった。
郵便受けに刺さっている新聞を見ると、二日前のが残っていたので、三日前まではここにいたことは分かっている。とりあえず会社に電話をして、彼が行方不明になったということで、捜索願を出すような手配をすることになった。警察や病院にも話が行って、岡崎教授の方から、綾羅木家に知らせがあったのは、その日の夕方だった。
綾羅木家の方では、やっと恭一が退院し、通勤ができるようになったのを自分の家族のことのように喜んでいた。
作品名:血の繋がりのない義姉弟と義兄妹 作家名:森本晃次