短編集118(過去作品)
地下鉄の駅から上に上がると、思っていたよりも暖かい。地下から上がってくる階段に下から冷たさが上がってくるようで、表にでれば、それが解消された。風が強いと思っていたが、それほどでもなかった。地下鉄で二十分ほど乗っただけの場所なのに、まるでさっきまでいたところとは違うところにいるような気分になったのは、錯覚の成せる業なのかも知れない。
駅から県立美術館までは、県立公園を縦断しなければならない。学生時代のことだから四年くらい前に歩いたことがあるが、久しぶりだというのに、最近も立ち寄ったことがあるように思えた。
歩いていると、アベック、親子連れとすれ違う。アベックに対して羨ましいと感じることはあったが、親子連れに対しては今までなら何も感じなかったはずなのに、その日はなぜか羨ましさを感じる。それも親子連れを見る焦点が、以前とは違ってきているのだ。
以前なら、子供の立場から親を見ていた。
子供の頃にはよく親から街に連れてきてもらった記憶がある。毎週日曜日になると恒例だったように思う。それも行き先はいつも百貨店。商店街を歩いたり、個人商店に寄ったりということはなかった。観光地へもたまに連れて行ってくれたが、街の百貨店が一番多かったのは間違いのないことだ。
百貨店に行くようになると、自分がリッチになった気分に陥る。
――今さら、スーパーや、商店街の小さな店に入る気にはなれないな――
と考えていた。
実際に百貨店というと、店員さんも高貴な人が多いし、客層もどこか贅沢な感じの人ばかりに見える。少なくとも庶民が普通に来るところではないと思っていた。
自分の家庭のレベルなど考えたことはなかったが、百貨店に来ることで、リッチな気分になれるのが好きだった。きっと親も同じ気持ちで百貨店に来ているのだろうということは、容易に想像がつく。
父親も母親も結構ブランド志向が高く、
「いいものを長く使う方が、絶対にいいんだ。贅沢な気がするが、その方がゴミを出さなくて済むしな」
と言っていた。
昨今のゴミ問題を考えれば、結果的に両親の話には信憑性があったことを証明している。その頃は、どうしても言い訳っぽくて、その反動からか、今ではなるべく安いものを買おうという考えが強くなっていた。
百貨店は、高貴な客が多かったので、あまりせっかちな人を見ることはなかった。性格的にのんびりしている恭平には、こっちの方が似合っている。
――公園をゆっくりと散歩したい――
と考えるのも、当然といえば、当然の考えであった。
今では親子連れの父親の方に目が行ってしまう。子供どころか、まだ結婚もしていない恭平だったが、それだけ結婚願望があるのだろうか。自分でも信じられない。だが、自分の横に妻がいて、その間に子供を配して手を繋ぎながら歩いている姿を想像してしまっていることもある。
想像しているのは、羨ましいという感覚ではない。逆に、
――どんな目で見られているのだろう――
という感覚が強い。実際に父親を意識して見たこともないくせに、どうしてそんな気分になるのか、想像もつかなかった。
父親になるには、それなりにポリシーがいるのかも知れない。いつも百貨店に行っていた父親にもそれなりに自分のポリシーがあったことは感じていた。納得いく行かないは別にして、影響を受けてしまうのは仕方がないことだ。
恭平も父親の百貨店好きに納得が行っていたわけではないが、多少なりとも影響を受けた。贅沢な気分になれることは心地よかったからだ。
気持ちの中に余裕が持てたかも知れない。
百貨店というところにいると、空気すら違っていた。一週間を一生懸命に頑張ったご 褒美に思えたからだ。父親が同じ気持ちだったと思うように感じるのも、最近になってからのことだった。
これも彼女が早くほしいと思っている証拠かも知れない。
焦っていないつもりでも、無意識というのはあるもので、自然と女性を自分の好みのラインで勝手にランク付けしていることがある自分を恥ずかしく思うこともある。
――いやらしい視線になっていないだろうか――
女性が睨みかえしてくることがある。
――何を睨んでいるんだ――
と不思議に感じていたが、それも、後から思うと勝手なランク付けをしていて、睨みかえしてくる女性に限って、自分の中でのランクは下の方だった。
――お呼びじゃないんだよ――
と心の中で呟きたくなるほどのランクであった。やはり自分のランク付けにはある程度信憑性があるのだろう。ランクが上の女性はきっと皆から見られていることが多いので、見られることに慣れているはずだ。しかも、綺麗に見せることの術を知っているのかも知れない。自分から、見てほしいというオーラが撒き散らされていることだろう。
公園を歩いていると、女性同士の人も見かける。学生だろうか。OLだろうか、ちょっと分からない。だが、落ち着いて見えることから、男性が声を掛けにくい雰囲気であることも事実だ。美術館の方からやってきたので、美術に造詣の深い人たちかも知れない。やはり芸術に携わっていたり愛好している人は、どこか落ち着いた雰囲気を醸し出していて、他人を寄せ付けない雰囲気があるようだ。
まわりを見ながら歩いていると、結構あっという間に目的地に到着するものだ。足の疲れもさほど感じない。時間的にもそれほど経っていないかのようだった。
美術館の入り口は、思ったよりも大きく、正面自体が、小さな公園のようになっていた。そこにはベンチが適度な距離に置かれていて、アベックが数組座っている。すでに拝観した後であろう。パンフレットのようなものを持っている人たちもいた。
――いつの間にこれだけの人が集まってきたのだろう――
美術館に入っていく人は一人の人も結構いる。入り口あたりでもたくさんの人を見ることができるのだ。さっきまで公園を歩いてきて、一人の人はほとんど見ることができなかったのにここでこれだけ単独でいる人が多いというのは本当に不思議だった。
――でも、こんなことをいきなり感じるのは俺くらいだろうな――
恭平はそう感じていた。
入場料を払って中に入ると、懐かしい感覚があった。
高校の頃に学校から美術鑑賞ということで一年に一度、秋の季節にやってきたものだ。その時は現地集合、現地解散だったので、時間が決まっているわけではなかった。全校生徒が同じ時間に集合したのでは、とてもじゃないが、混乱が生じると考えたのだろう。少しずつ時間をずらして班ごとの行動となっていた。
高校時代に絵画に興味などなかった。絵を見ているふりをしながら、サラッとしか見ていなかったのだが、それでもバランス感覚だけは素晴らしいと思っていた。ひょっとして今になって絵を見てみたいと思うのは、その時に感じたものが時間が経ってどのように瞳に映るかということを見てみたいと思ったからなのかも知れない。
ロビーに入ると、表とは完全に違う雰囲気だった。風もなく喧騒とした雰囲気とはまったく無縁の空間、そこには、音を吸収するものが作られている感覚があった。
だが、それは天然のものかも知れない。建物はいたずらにだだっ広く、
――本当にこれだけのスペース、もったいないな――
作品名:短編集118(過去作品) 作家名:森本晃次