短編集118(過去作品)
「今日のご予定は?」
「今日はこれと言って予定がないんだけど、どうしようかな?」
「県立美術館で、ダリを特集しているらしいわよ」
ダリといえば、スペインの画家で、時計が歪んでいる絵が印象的なシュールリアリズムで有名である。絵画だけでなく、彫刻、イラストも有名で、活動は多岐にわたっている。日本でも人気があり、ピカソ、ゴッホなどと並べて遜色がない。
「いいねえ、一緒に行かないかい?」
一応誘ってみた。断られるのは覚悟の上である。
「ごめんなさい。今日はちょっと無理みたい。また今度誘ってくださいね」
素直に額面どおり受け取っていいのか迷っていたが、せっかく教えてくれたのだから、美術館には行くつもりになっていた。嫌味がないのが美咲ちゃんの長所だった。とりあえず額面どおりに受け取っておこう。次の機会はきっとあるに違いないと思っていた。
県立美術館は、県立公園の中にある。県立公園は結構広く、観光地にもなっていて、公園の中心部は大きな池になっていた。
まわりは森に囲まれていて、まるで要塞のような造りだと恭平は学生時代から感じていた。
――デートするならこんな場所だよな――
大学時代に彼女がいたこともあったが、なぜか県立公園でデートした経験はなかった。今から思えば不思議なのだが、どちらかといえば、公園が似合う女性と付き合った経験はあまりなかった。
デートといえば、カラオケだったり、街をショッピングなどが多かった。公園に立ち寄ることはあっても、それは街の中にある公園で、ビルの谷間のオアシスのような佇まい。最初から観光地として知られるような大きな公園とは赴きが違っていた。
ビル風が吹いてくることもあった。公園のベンチには昼間は親子連れが多いが、夕方になればアベックが溢れてくる。そんな中の一組として他のアベックを見ながら座っているのも、ドキドキした緊張感があった。ビルのネオンサインが綺麗だったのを覚えている。中にはキスをしているカップルくらいはいるだろう。人に見られることをあまり恥ずかしいとは感じない恭平も、学生時代に付き合っていた女の子とキスをした経験があるが、あまり興奮しなかったのを覚えている。唇を交わすまでは、胸の鼓動が高鳴っていて、今にも息切れしそうだったのに、いざ唇を重ねると、
――こんなものか――
と拍子抜けしたものだ。
そんなことを思い出していると、美咲ちゃんは、学生時代に付き合っていた女の子と雰囲気が似ている気がしてきた。
――美咲ちゃんを意識するのは、そのせいか――
最初に気になった女の子がそのまま自分の好きなタイプの女の子になるということは珍しいことではない。恭平もそうだった。
あれは小学生の頃だっただろうか。まだ異性に対しての興味が生まれてくる前のことだったので、初恋だったのかと聞かれると頭を傾げてしまうだろう。だが、間違いなく意識していたのは事実で、今の好きな女性のタイプの発祥はその子だったに違いない。
元気のある女の子だった。まわりに苛められている男の子がいれば、助けてあげたりできるような、そんな勇気があって、かつ正義感の強い女の子であった。そのわりに肌が白く、大人びて見えることから、異性への興味がなかった恭平にも、無意識に心の奥に深い印象を残したのかも知れない。
その女の子は小学校卒業とともに、親の転勤の影響で引っ越していった。彼女は男の子からも女の子からも人気があり、最後は盛大な「お別れ会」が催された。しかし、却ってそれが恭平の中で無意識な嫉妬心として浮かび上がり、彼女を意識しないようにしようという気持ちにさせたのだ。
ある意味、それがよかったのかも知れない。
もしそのまま意識したままなら、異性に興味を持つ前に失恋を味わったというおかしな心境になっていたに違いない。
――なぜなんだろう――
とずっと考え込んで、そのままトラウマにでもなっていれば、まさかとは思うが、ずっと女性を気にすることがなかったかも知れない。
しかし、女性に興味を持たずに大人になるということは考えられない。いつかはどこかで興味を持つことになる。遅かれ早かれ興味を持つことになるということになれば、遅ければ遅いほど、異常な精神状態でその気持ちを迎えるのではないかと思えてならなかった。
男性にとって、女性は必要なもので、女性にとっても男性が必要なもの。思春期になれば、そのことは身体が証明してくれる。どうしようもない精神状態が、長く続くか短くて済むかの違いだろうが、遅ければ遅いほど長く続きそうに思えた。
初恋がいつだったか分からないが、女性を意識し始めた中学時代の心境は覚えている。
――俺も、女性と腕を組んで、あんな風に仲良く歩きたいな――
人に見られたいという気持ちも大いにあった。見せ付けたいという気持ちであろうか。その気持ちが女性へのいとおしさになり、自分の中にある男を目覚めさせたのだろう。決して清潔な動機とは言えないが、理屈にかなってはいるはずだ。
――女性とゆっくり公園を散歩でもしながら歩きたい――
と感じるようになったのも、その時の気持ちが大きく影響している。カラオケに行ったり街でショッピングするのも悪いわけではないが、最初の気持ちを忘れそうになっていたのだった。
就職するということは、社会人では一年生、何事も吸収できる時である。大学の四年生は学生としては最高位だという自覚からすぐ、今度は急に一年生という気持ちになるのは、なかなか難しい。学生時代にスポーツをやっていなかったことも影響しているだろう。
その日は、あきらめて一人で出かけることにした。天気がいいというだけで気分的にも晴れやかになるもので、落ち着いて歩くのも、また一興である。公園に出店が出ていることも初めて知った。公園を歩くことが憧れだったわりには、何も知らなかったことを今さらながら実感した。
昼までは、喫茶店で本や新聞を読んだりして過ごした。朝から贅沢な時間の使い方である。それも昔からしてみたかったことだが、学生時代には、もったいないという感覚が支配していた。
せっかく暖かい部屋から出たくないという気持ちがあったのも事実だ。天気がよく、綺麗に晴れ上がっているので、そんな日は放射冷却の影響をもろに受けることは分かりきっていた。
天気はいいが、風邪の強い日は、間違いなく昼頃まで寒い。しかし、いつの間にかポカポカと暖かくなってくるのだから、昼下がりという時間帯には、どこか魔力のようなものがあるのかも知れない。
公園の近くまでは地下鉄を使った。バスの方がいいのかも知れないが、混んでいることが予想されるので、地下鉄なら大丈夫だと踏んだ。思ったとおり、地下鉄は日曜日の昼ともなると空いている。時間的にも信号に引っかかることのない分、予定通りの時間に到着することができる。
かといって、別に予定していた時間があるわけではない。昼下がりを無駄でもいいので有意義に過ごせればいいと思っている。その有意義という言葉のほとんどに、「贅沢」という気持ちが入っていることは明らかである。
作品名:短編集118(過去作品) 作家名:森本晃次