短編集118(過去作品)
しかし、実際には一分もそんな状況は続かない。隆信の体力が続かないからだ。真っ赤な顔がピークに達すると、一気に顔から血の気が失せていく。まるで、カラーテレビからモノクロへと移り変わるようである。まわりの光景までがモノクロに見えてくるほどだった。
「はぁはぁ」
と呼吸の乱れを取り戻すのに必死で、そんな時は何を言っても聞こえない。触ることもできず、ただ見つめているだけなのは最初辛かったが、今では、
――見つめていてあげたい――
という母性本能のようなものが芽生えてくる。
しかも苦しんだ後の隆信は、まるで赤ん坊のように甘えん坊に変わってしまう。それを、
「よしよし」
とばかりに頭を撫でていると、隆信の気持ちは落ち着いてくる。
隆信がこのような状況に陥るのは、さとみと二人きりの時が多かった。表を歩いている時に発作が起こることはまずない。
――二人きりというのが悪いのかしら――
さとみは考えたが、当の隆信は二人きりの時間を切に望んでいる。そういう時の隆信をさとみはたまらなくいとおしく思うのだから、どうしようもなかった。
隆信にとってさとみは、
――都合のいい女性――
と、二人きりではない時にだけ感じている。さとみと一緒にいない時は特にそうで、
「今度はどんな風に甘えようかな」
と考えていた。
紳士でありたいという気持ちが強いくせに、女性に甘えたいという気持ちがどこから来るのか分からなかった。
「二重人格?」
自分に問いただすが、どうも違うようだ。甘えたいと思っていても実際にさとみと一緒にいると甘える自分を許さない自分もいる。だが、結局はわがままを通す時は、
――紳士であるがゆえに許される甘え――
と、自分なりに勝手な解釈をしている次第である。
一緒にいると甘えを許してくれるさとみの表情に、
――これではいけない――
と思う。そこで生まれるジレンマが二人きりになると、一気に支配感として隆信の中で沸騰してくる。
相手を支配したいという気持ちは誰にでもあるものだが、征服感とは違うものだ。支配は相手の気持ちを分かった上で、強制的に支配するもの。征服感とは、相手の気持ちは関係なく、ただ自分の中にある「征服」という欲求を満たしたいと思うものではないだろうか。
確かに征服感も存在している。むしろ隆信の中には征服感の方が強いのかも知れない。
征服してしまうと、考えてこなかった相手の気持ちを今さら考えるわけにはいかない。征服も支配も、してしまうと、そこから先は維持することの方が大切になるからだ。
だからこそ、相手のことを先に考えておかなければならない。支配するために相手を見つめる間に、自分の中の征服感を満たしていこうという気持ちを持てば少しは違うだろう。
さとみはそのことを分かっているようだ。
――征服されてもいいわ――
と言わんばかりの大人の笑みに、隆信は欲情してしまう。
そういう意味でさとみは隆信にとって、
――都合のいい女性――
とも言えるだろう。
――いつもは大人しい女性が、急に反発すると恐ろしい――
というが、隆信の不安はそこにあった。いつも黙ってしたがっているだけの女性は、何を考えているか分からないからだ。
だが、さとみの気持ちは滲み出てくるように見えている。隆信にとってさとみは分かりやすい女性であり、さとみにとっても隆信は分かりやすい男性であった。それはお互いが無意識に認め合っているものだ。
「俺のどこが気に入ったんだい?」
「無意識に相手を気にするところかな?」
「甘えん坊だぜ」
「でも、私を支配したいんでしょう? 見ていて分かるわ」
いきなり言われたこともあった。さすがにギョッとしたが、思わず頷くしかなかった。
もちろん、二人きりの時にである。
ホテルの部屋で二人きりになると、何を話していいか分からなくなる。言葉に詰まると行動に出てしまうのは本能からだろうか。
――相手もそれを望んでいる――
抱きしめると抗うことなどない。自分の考えに間違いはないと思い、さらに強引に引き寄せる。
「あぁ」
息苦しさからか、快感からか、どちらとも取れる声を出す。もちろん、そんなことでひるむはずもない。
腕に力が入る。さとみは身体を硬くするが、一瞬だけで、その後の滑らかさが余計に引き立つというものだ。
――男心をくすぐりやがって――
嫌ではないくせに、どこか気持ちの中で憤りが生まれる。焦りに近いものではないだろうか。決して女には、いや、同じ男でも他の連中には分かるはずのない感覚ではないだろうか。
一度、さとみを蹂躙したことがあった。
普段は普通に愛し合っているのだが、愛撫の中で自分の腕の中で心底着も日よさそうな声を出すさとみを見ていれば、自分の中での憤りが生まれてくる。
次第に頭痛が襲ってきた。
以前にも感じたことのある頭痛だったが、それがどれほどのものか自分でも分からない。眩暈を覚えて、
――このままではいけない――
と感じた。一番いけないのはそのことをさとみに悟られることだった。
ここはさとみに何も悟られることなく、事を運ばなければならない。言葉もいらず、雰囲気の中でだけ無意識にあげる声にお互い興奮を覚えるからである。
里美は隆信の腕の中であがなうこともなく、興奮に身をよじっている。いつものように無言で進む。空気は次第に淫靡になっていき、隆信にも次第に淫靡な空気が襲ってくる。
普段なら高ぶった気持ちをさとみが悦ぶように作り上げるだけなのだが、それがたまらなく辛くなってきた。考えるだけで頭痛が襲ってくるのだ。
――この女――
見ているだけで腕に痺れが走り、衝動的に恐ろしいことをしてしまいそうな自分との葛藤が起こっていた。
――なぜ、俺がそんな葛藤しなければならないんだ――
そのことにも憤りを感じる。痺れた腕を収めるには腕に力を込めるしかない。込めた腕の力はそのままにしていて発散させなければ、結局苦しさから逃れることはできない。
力を込めた腕がさとみの首を抑えていた。隆信は目を瞑って、心の中では、
――すまない。すまない――
と叫び続けている。
目を開けて自分がしていることを見るだけの勇気がない。腕に力が込められて、次第に強くなってくる。
――いけない――
ある一瞬を境に我に返った。目をカッと見開いてさとみを見た。
――こんなことをしてしまった俺を、彼女は許してはくれまい――
やってしまったことの後悔の念は募るばかりだ。しかしやってしまったことには違いない。潔く最後は紳士として振舞うしかないだろう。
そんなことを考えながら目をゆっくりと開けた。一気に開けてしまえば、まるでウソの世界を見てしまうようで、それも恐ろしかったのだ。
目を開けると、予想外の光景が飛び込んできた。
髪の毛は乱れ、身体をよじっていたさとみのその目は真っ赤に充血している。息も絶え絶えなのだが、充血した目は明らかに隆信を見つめている。
――目を逸らさなければ――
と感じたが、できるはずもないほど、熱い視線だった。
瞬き一つせずに見つめている目は、
――まさか、死んでしまったのではあるまいな――
「さとみ」
作品名:短編集118(過去作品) 作家名:森本晃次