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短編集118(過去作品)

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「あれ? これは以前にも考えたことがあったかな?」
 と感じることがあっても、それがいつだったのか思い出せない。昨日のことだったのか、一年前のことだったのか、さらには、ついさっきだったのか、まったく分からない。何しろ、考えていることを意識する時には、すでに忘れているのだから……。
 その日は気がつけば寝ていた。一度起きたのは、まだ夜中の一時だった。妙に尿意を催し、布団から出るのを煩わしいと思いながらトイレに向った。
「寒いな」
 朝方の寒さとは違う真夜中の寒さ。午前一時といえば、まだ宵の口なのに、その日に寝た時間が分かっていないことから、相当な真夜中に感じる。
 真夜中と一口にいうが、どれくらいの時間を言うのだろう。
――草木も眠る丑三つ時――
 昔の人は午後二時をそう表現した。魔物が現れる時間を表したのだろうが、一日のうちに魔物が現れる時間というといくつもある。
 有名な話としては、「逢魔時」と呼ばれる時間帯がある。夕凪の時間帯だと言われているが、確かに微妙な時間である。交通事故が起こりやすい時間とも言われている。科学的には光が限りなく薄くなっている時間であるということから、モノクロに見えるらしい。色が光の屈折によって見えるものであるから、その理屈も当たり前である。
 太郎が自分の中で一番深い睡眠が午後二時くらいではないかといつも思っている。
――夢を見ているとすればそれくらいの時間ではないか――
 と思ったことがあるが、実はそれが間違いであることに最近気がついた。
 本を読んだからである。
 その本は睡眠に関しての本というわけではなく、科学関係の雑誌だった。歴史に興味のある太郎は、歴史を時間として捉えることも嫌いではなかった。実際に歴史を純粋に好きな人は歴史の史実だけに注目するが、太郎はそうではない。
――原因があって結果があるんだ――
 と思うことで、科学への興味を示すのだった。
 その本によれば、
「夢とは、長い睡眠の中で、目が覚める数秒前くらいに見る一時的なものだ」
 というのだ。
 しかも浅い眠りで見るものではなく、四時間以上の眠りの中で完全に深く堕ちていってしまわなければ見ることができないというものだ。
 それは、以前から感じていたことだ。
 睡眠時間が三時間以下であれば、とても夢が見れるほどの深い眠りに就くことはできない。学生時代、受験勉強をしていた頃の名残が残っているのだと、自分では理解していた。受験勉強時代には、浅く短い眠りを何度も繰り返すことで、頭の中に蓄えたものを忘れないようにしようとする我ながらの努力であった。
 それが功を奏したのか分からないが、受験には成功し、事なきを得た。だが、他の人も自分と同じだという気持ちにはどうしてもなれない。だから、受験とは自分との戦いで、他の人を意識しないようにしていた。
――人は人、自分は自分――
 そう思うことで、自分に自信も持てたし、まわりを下手に意識することもなく一石二鳥だった。
 太郎の夢はいつも受験シーズンのものか、就職活動の夢だった。一番気にしていることを夢に見るのも当然だが、最近ではもっと違ったイメージを持つようになっていた。
 夢を見るのは疲れているからで、いつも見れないものだと思っていた。だが、本当は夢は毎日見ていて、ただそれを覚えているか覚えていないかの違いだけではないかと思うようになった。
 目が覚める時ほど億劫なものはない。目が開かず、開けようとするのさえもったいないことがあるくらいだ。
――起きなければならない――
 と自分に言い聞かせれば言い聞かせるほどに目は覚めてくれないものだ。
 横になっている身体を急に起こすのだから当たり前ではあるが、胃がおかしくなっているのを感じる。朝食も気持ち悪いことが多い。最近では朝食を食べない人が多いというが、太郎も同じである。
 家族と住んでいる頃は和食のメニューだった。ご飯に味噌汁、海苔やタマゴ、ちょっとしたお魚。ある程度目が覚めていれば気持ちよく食べれるものばかりなのに、朝の喧騒とした雰囲気の中ではなかなか食べることも難しい。
 その証拠に旅行に行った時はたくさん食べれる。ご飯を何杯もおかわりしたりできるのだ。修学旅行の時などは、
「そんなに食べて大丈夫か?」
 と言われたくらいだ。
 タマゴが一番きついかと思ったが、結構いけるものである。さすがに昼食はあまり食べれずに残念な思いをしたものだ。
 それだけ、目覚めは悪い。夢の世界から現実の世界に戻るための通らなければ道なのかも知れないが、そう考えると、夢というのは実は毎日見ていて、覚えていないだけだという仮説もあながち無理な発想ではない。
 夢で覚えている内容がいつも同じだということは、印象に残らない夢は忘れてしまっていると考えるべきなのか、それともいつも見る夢は決まっていて、その時の体調によって覚えているかいないかだけなのかのどちらかであろう。
 太郎は最初の方だと思っている。自分の身体がそう都合よくできているとは思わないが、覚えていないならいないなりに理由をつけるのに無理がないからだ。
 午前一時に目覚めてから、しばらくは眠くならなった。
――きっと、また気がつけば寝ているさ――
 と思うと、安心してテレビをつけた。
 深夜番組は、若手お笑いがたくさん出ているのが多く、ゴールデンタイムでは考えられないようなトークが展開されている。
「なるほど、学生向けにはいいかも知れないな」
 くだらないと思って見ていると、本当にくだらなくしか見えてこないだろう。だが、企画する方の立場になってみれば、なかなか面白い。
――こんな発想もあるんだな――
 自分ひとりで見ているのがもったいなく感じるほどだった。
 学生時代であれば、友達の下宿に遊びにいって、一緒に見たりすることもあるだろう。そして笑い飛ばしながら朝を迎えるなどというのも面白いかも知れない。
 学生時代にはよく友達の下宿に遊びに行ったものだ。その時、テレビを見ることもあったが、ほとんどはテレビをつけながら話をしていることが多かった。
 好みの女性の話、将来の夢、そして人生観、それぞれにまったく縁もゆかりもない話のようだが、それがさりげなく結びついてくるから、友達との深夜の会話はやめられない。お互いのことを主張しても相手が頷きながら聞いてくれるのは学生時代の友達ならではであろう。冬の寒い時期、夏の暑い時期、思い出すとそれぞれが懐かしい。時期にあった話もしたが、どちらを思い浮かべても思い出そうとして、話の内容は同じことだけを思い出しそうに思えた。
 友達と深夜よく話をしたことも夢で見ることもあった。いつも同じ夢であっても、夢に時系列がないのと一緒で、何の脈絡もなく話が変わっていることがある。そんな時に友達の顔が浮かんできそうで消えてしまうことが多いので、夢として完全に覚えているわけではない。そういうこともあって、
――夢は毎日見るもので、一定のことし覚えていない――
 ということを裏付けるものとなってしまったのも皮肉なことかも知れない。
 太郎は夢が好きだった。
 夢の中で、学生時代に好きだった女の子に告白する夢を見ることもあった。
作品名:短編集118(過去作品) 作家名:森本晃次