短編集118(過去作品)
昨日という時間
昨日という時間
今朝の目覚めは最近になくあっさりしたものだった。
夢を見ていたという意識はあるが、目が覚めるにしたがって、夢の内容がぼやけてくる。それはいつものことだった。
ぼやけてくる中でも、何か気になっていることがあれば頭の中に残っていて、それが次の夢を見るまでは、何かの拍子に思い出すことがある。その日のうちであれば、思い出すこともあるだろう。
夢は見ていないつもりでも、実際に見ているものではないだろうか。完全に忘れてしまうことなどできないかも知れないが、見ていなかったと思うことで、忘れられない部分をカバーしている。要するに自己暗示に掛けてしまうのだ。それが無意識ではあるが本能から来るものなのか、それとも、人間誰しもが持っている意識の中にあるものなのかは分からない。他の人に聞いてみたりしたことがないからだ。
夢の内容を覚えていることがあるが、いつも似たような内容である。いつも同じような夢しか見ないのか、それとも、覚えている夢に共通性があるのか分からない。どうやら夢というのが、意識の中で、二者択一させるものを大いに含んでいるように思えてならない。
目が覚めて布団から出るまでに、それほど時間が掛かる方ではない。低血圧の人はこの瞬間がきついらしいが、横溝太郎には、その感覚はない。寒い時に布団から出るのが辛いくらいで、そんな時はテレビもつけない。テレビをつけるのは服を着替えてからになる。
テレビをつけて、ちょうど天気予報などをやっていて、北国の雪景色などを見たとすれば、それは辛いものだ。前の日からタイマーで起きる三十分前には暖房が入るようにしていて、せっかく部屋が暖まっているのに、気持ちが冷たくなってしまっては効果もなくなってくる。
部屋は暖房でだいぶ暖まっている。リビングには日差しが入り込むようになっているので、顔を洗う前に最初にカーテンを開けておくことで、朝食は暖かく迎えることができる。
トーストにコーヒーという香りのコラボレーションは、まさしく朝の時間である。朝からあまり進まない食欲だが、香りだけで満足できる。目玉焼きを作った時など、贅沢な気分にもなれる。これも最初の目覚めの良し悪しに掛かっているといっても過言ではない。
最初の目覚めが中途半端であれば、目玉焼きまで作ろうとは思わない。とりあえず朝食を食べないと昼までもたないという一種の義務感のようなものに苛まれるだけである。
トーストのサクッとした歯ざわりを感じながら、やっとテレビをつける。朝見る番組は決まっていて、バラエティ色豊かな番組や、地元中心の番組は苦手なので、どうしてもニュース中心の番組になってしまう。かといって、NHKは嫌いなので、民放の番組になるのだが、最近ではコメンテーターと司会の人とのやり取りが面白く、政治や経済の話題にも十分についていけるようになっていた。
学生時代、ニュース番組は毛嫌いしていた。
父親が厳格な人なので、いつも朝はNHKと決まっていた。一人メインキャスターが淡々とニュースを読む姿は、明るさを感じさせない。キャスターが男性ということが一番の原因なのだが、NHKの方針なのか、どうしても朝から淡々と抑揚もなく番組を進行されては、眠気覚ましにはならない。
朝のテレビ番組を見る目的の一つには、目覚ましの役目もあるだろう。父親にしてみれば、
「朝のテレビ番組を見る時は、ちゃんと目を覚ましておかなければならない」
という考えなのだろうが、子供にはそんな理屈は分からない。
――朝の目覚めは億劫なものだ――
という感覚しかなくなってしまう。
今から思えば父親のそんな考えのせいで、朝が好きだった時代が短かった。高校に入る頃には自分の部屋にテレビをつけてくれたので、やっと民放の番組を見ることができた。
だが、最初は違和感があった。父親の影響なのか、バラエティ番組は好きになれない。どこか人をバカにしているように見えるのは、自分だけだろうか。かといって、地元の番組も、狭い範囲しか見ていないようで好きになれない。高校生くらいになると、視線はまわりに向くようになり、地元だけを中心に見ている番組にも違和感を感じる。そうなると、少し不本意ではあるが、ニュース関係の番組に目が行ってしまうのだった。
朝食を自分の部屋に運んで食べるようになったからだが、それも父親が単身赴任で、家に母親と二人きりになったからだ。反抗期など経験のなかった太郎は、母親に対して悪たれをつくことはなかったが、あまり話をすることもなかった。母親自身が太郎に気を遣っているのだった。気を遣われてしまっては、太郎としても何を話していいか分からない。会話が少ないのも仕方がないことだった。
朝の番組は、テレビをつけているだけで、それほど真剣に見ているわけではない。それは年を重ねるごとにそうなっていった。
考え事が多くなってきたからだ。
考え事をしていると、時間が経つのが早い。性格的に、その日の行動を朝のうちから考えておかないと気がすまない対応で、学校まではそれほど遠くなかったこともあって、学校に着くまでにはある程度頭の中に描いておかなければならなかった。そのために、朝の時間は貴重であった。
「行ってきます」
と言って家を出る時にはあらかた頭の中で纏まっていたものだ。
中学時代までは朝食を食べていたが、高校生になってからは夜更かしをするようになって、朝食を抜く事が多くなった。
「朝くらいは食べて行きなさい」
と言われるが、それも無視するようになった。高校生になる頃には体格もよくなってきたこともあってか、父親もそれほど厳格な態度を押し付けることもなくなってきた。
それまでの反動があったのだろう。生活gある程度一変していった。夜更かしにしても、朝食を抜くことにしても中学時代まで殻考えれば信じられないことだった。特に父親からの呪縛を考えれば、我ながら驚いている。
考え事をするのは、ある意味遺伝かも知れない。厳格な父親は見ていると、いつも考え事ばかりしているように思えた。そんな時、話しかけたりすると大変なことになりそうで、太郎も母親も決して話しかけたりすることはなかった。
今さらのように父親の性格が分かってきた。今の自分を顧みればいいのである。
――自分のリズムを狂わせるようなことには、絶対の反発があるんだ――
誰しもが持っている自分のリズム、それを狂わされれば文句の一つも言いたいだろうが、特に横溝家の血筋はそのことに関しては敏感だった。
他の人であれば、リズムを狂わされても、それを何とか戻す術を知っているのだろうが、不器用なのか、最初に考えていたことが絶対だと思ってしまうのか、人に狂わされたリズムを元に戻すのは至難の技だった。
だからこそ、一日の行動をいつも最初に考えてしまうのである。
学校生活では一日は完全にカリキュラムされているが、卒業して社会人になると、そんなことはない。特に最初に社会人になった時は、何が不思議といって、
――よく、これだけの社員がいながら、毎日やることがあるな――
というのが素朴な疑問だった。
作品名:短編集118(過去作品) 作家名:森本晃次