間隔がありすぎる連鎖
「今日は昨夜に比べて疲れているのと、昨日の印象がセンセーショナルだったので、また今日も見えるんじゃないかと勝手に思い込んでいたことが、幻を見せたんじゃないだろうか?」
と感じたのだ。
少し頭を整理するかのようにその場に立ち尽くした木下課長だったが、妙にその日はプレハブ倉庫を見ていたいという衝動に駆られていた。
木下課長が入社した時は、もう昔の倉庫は使われておらず、今の会社になっていたので、正直、プレハブに入ったことはなかった。
営業書類の古いもので、法的に保存期間を過ぎた書類の一時保管に、ここを使っていた時期があったので、本部の管理部員がやってきて中に入ることはあったが、支店には支店で回さなければならない日々の業務があるので、手伝うこともなかった。そのため、中に入ることはなく、カギは保管しているが、一種の、
「開かずの扉」
のようになっていた。
そのカギは、別に厳重に保管されているわけではなく、事務所に入出できる人であれば、誰でもが触ることができるもので、しかも、毎日、カギがあることを確認することもなかった。
つまりなくなっていても、何かがない限り、紛失したことを知らないままということになるだろう。
倉庫の中には、別になくなって困るものがあるわけではない。昔の書類の束が段ボールに収められているだけで、盗み出すにしても、相当の重さなので、人知れずというのは難しいのではないだろうか。
ただ、防犯カメラが設置してあるわけでもないし、真夜中には、ほぼ人通りもないので、盗み出すことは可能だろう。もちろん、その必要があればの話ではあるが……。
その日も、
「まるでキツネにつままれたようだ」
と思いながらも、証拠があるわけではないので、誰にも言わずに、いよいよ、松川と定岡の研修十日目を迎えたのである。
十日目というと、社長がやってくる日だった。
社長は毎年、創立記念日になるとやってくるので、ほぼ皆顔も分かっているし、社長からねぎらいの言葉を貰う社員も結構いた。そういう意味では慣れているはずなのだが、研修の立ち合いというのは、当然初めてなので、ちょっとした緊張がK支店の中には漂っていた。
研修の二人は社長のご子息であった。そのことは最初の日から分かっていたことだが、二人ともまだ大学生で、新入社員の研修とは勝手が違う。そういう意味で、ついつい二人の若者を社長のご子息だということを忘れがちになり、ため口で話をしている社員も結構いたくらいなのだが、さすがに社長が直々に来るというのであれば、勝手が違う。
本部長クラスであると、却って、気さくな雰囲気が会社の印象をよくするという意味で、大目に見られていたし、歓迎もされていたようだが、社長を相手にさすがにため口もまずいだろう。
二人の息子も、その日会社にきてすぐに、いつもと雰囲気が違っていることを悟ったのだが、その理由が父親である社長の来訪によるものだということに、すぐには気付けなかったのだ。
それでも、何とか一日目を無事にこなした二人は、その日、仕事が終わって、社長が予約をした高級レストランでの会食を行った。そこには支店長も招かれて、名目は、
「二人の息子の研修の進捗報告」
ということであったが、研修前半の慰労を兼ねていると言っていいだろう。
何しろ、まだ二人は大学生のアルバイトなのだ。あまりかしこまったことをする必要もない。ざっくばらんに話してもらえればそれでよかったのだが、二人は緊張してか、ほとんど喋れなかった。それでも、食欲旺盛な二人は、すっかりご馳走を平らげ、社長もその食欲に満足したようだった。きっと社長としては、
――研修をやらせて正解だったな――
と感じているに違いない。
食事を終えたのが、午後九時を過ぎたくらいになっていた。哲郎は未成年なので、まだ酒を呑ませる店に連れて行くわけにもいかず、その日はお開きになった。
「明日もまた頑張って研修してくれ」
という社長の一言に、二人は。
「はい」
と言って挨拶をした、
それが今生の別れになろうとは、その当人は夢にも思っていなかったことだろう。
その日、プレハブ倉庫が火事になったと社長に連絡がきたのは、二人と別れてから支店長と一緒に飲みに出かけて、それから宿に帰って、シャワーを浴びてすぐのことだった。
真夜中なのに、スマホが呼び出していた。時間は午前一時を過ぎていた。
「一体何事なんだ?」
と思い、スマホを見ると、それはK支店長からの電話であった。
――先ほど別れたばかりなのにどうしたことだ?
と思い電話を取ると、支店長の声は完全に上ずっている。先ほどまでの支店長とはまるで別人のようだった。
「どうしたんだい?」
と聞くと、
「社長、K支店の近くにある旧倉庫なんですが、先ほど警察から連絡があり、昨夜から火事になったようで、そのまま焼失したという連絡を先ほど受けました」
というではないか。
「あの倉庫には何か大切なものはなかったはずだが?」
と聞くと、
「ええ、どうしても必要なものはなかったんです」
という支店長に対して、
「じゃあ、明日一番で駆けつけることにしよう」
というと、支店長は困ったような声で、
「それがそうもいかないんですよ」
というではないか。
「ん? どういうことだい?」
と社長が聞くと、
「どうやら、倉庫のまわりにガソリンが撒かれていたという消防署からの連絡がありました」
「何? 放火の疑いがあると?}
「ええ、しかもですね、その焼け残った後から、二つの焼死体が出てきたということなんです」
と支店長がいうではないか。
これを聞いた社長は、完全に酔いが冷めはしたが、逆に頭が回らなくなってしまった。なまじ酔っている方が、頭の回転がキレたかのように思えたのだ。
「分かった。じゃあ、すぐに現場に行ってみることにしよう」
ということで、支店長と現場で待ち合わせることになった。
社長は先ほど脱いだばかりのスーツをまた着なければならなくなったことに、まだ状況が把握できない自分を感じていたのだった……。
焼死体の正体
時間が遡り、夕方の定時前に社長が二人の息子を連れて、支店長と会食に向かったことで、K支店の中ではいつもの雰囲気が戻ってきて、木下課長も自分のペースを取り戻したことで、ホッとした気分になっていた。
すでに、昨夜までの不思議な影のことを忘れているくらいになっていたが、やはりその日も八時を過ぎてしまい、事務所を閉めて表に出ると、今日も影が蠢いているのを感じた。
だが、昨日とは違い、最初の日のように、同じようなパーカーにフードの二人の人物が佇んでいるのを見かけたのだ。
断っておくが、まさかその後火事になるなど想像もしていなかった木下課長だったので、その二人が佇んでいるだけで何もしていなかったことで、二人を咎めるつもりはなく、ただ、どうしてそこにいるのか聞いてみたかったという意味で、
「おい、何をしているんだ?」
と、軽く声をかけたつもりだった。
しかし、二人は慌てて、クモの子を散らすように、それぞれ反対の方向へ逃げ出した。木下課長は、
「何も逃げなくてもいいのに」
作品名:間隔がありすぎる連鎖 作家名:森本晃次