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間隔がありすぎる連鎖

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 つまり、松川に対しては、研修的な意味合いが強く、定岡は研修だけではなく、実務にも精通するものであった。どちらの方にやりがいがあるかというと、もちろん、その人の感じ方であろうが、松川としては、定岡を意識しているせいもあってか、少々面白くない気分になっていた。
 だが、それは松川が決して劣っているというわけではなく、定岡の実力がハッキリしているだけのことだった。だが、松川にはそれが許せない。しかも、自分が次期社長ということもあり、そんな思いを表に出すわけにもいかず、いかに気持ちを押し殺すか、それが次第に苦痛となってきていたのだった。
 定岡は、そのうちに新人賞受賞が決定し、学校でももてはやされ、会社でも宣伝部では、祝賀会まで開いてくれた。
 松川に対しては、社員が皆、
「次期社長」
 という意識を持ち、腫れ物に触るような態度を取っていたが、定岡に対しては、いくら社長の息子とはいえ、
「妾の息子」
 という意識もあって、松川のように腫れ物に触るような態度で接することはなかった。
 しかも、彼の端麗な容姿に惚れる女性はたくさんあった。
 これも一種の玉の輿なのかも知れないと思っている女性もいるようで、中には邪な気持ちを持っている女性もいたが、定岡は勘も鋭いところがあるので、そんな女性に対しては敏感だった。
 邪な考えを持った女性が、定岡の考えているよりも多い気がしたのは、それだけ甘い考えを持っていたからではない。それは大学でも同じことだったが、相手が誰であろうと、自分を見ているのは、容姿だけに見える人も邪に感じるからだった。
 本当は自分の才能の方を重視して見てもらいたいのに、容姿だけを見ている女性を邪と考えるのは、少し極端であろう。
 兄である松川には、そんな弟の考え方が分かる気がした。
――自分だったら、そんなことは思わない――
 と感じるのだ。
 せっかく好きになってくれるのだから、容姿だけでもいいというのが兄の考えで、これは兄の方が、英才教育を受けてきた影響なのかも知れない。弟とは同じ英才教育と言っても立場の違いから別の英才境域であり、その違いがこの感覚の違いに結び付いているのは間違いのないことだった。
 松川は、自分が少々のことは寛大に考える人間であることに気づいたのは、弟に対して嫉妬を抱くようになってからだった。それまでは、
「これは誰にでもある考えなんだ」
 と、英才教育を当たり前のこととして受けていたが、どこかで疑念を抱いていたというのも分かっていた気がする。
 それに比べて、弟は英才教育が兄とは違っていること、そして一般の人とも違っていることで、
「俺って、中途半端な人間なんじゃないのかな?」
 という疑念を抱いたこともあったが、すぐに打ち消していた。
 打ち消すことができるような英才教育が施されているのであって、それがナンバーツーたるゆえんである。
「その他大勢の人は、頑張ればナンバーワンになれるかも知れないが、ナンバーツーとして運命を決められた人は、どうあがいても、ナンバーワンになることはできないんだ」
 と教えられてきた。
 もし、ナンバーワンが失脚したとしても、ナンバーツーが繰り上がり昇格をするこということは、他の会社ではあり得ることなのだろうが、ここのような同族会社ではありえない。
 いや、他の同族会社ならありえるのかも知れないが、松川コーポレーションとしては、最初から、そういうシステムで運営されるように、初代の社長がそれを社訓としていたのだ。
 二代目もそれを踏襲し、三代目の父親も従った。もうここまでくれば、この体制は盤石で、この体制が崩れるということは、会社の存続の危機は免れないということでもあったのだ。
 会社というものがどれほど大変なものなのか、大学生であり、会社で仕事に従事すると言っても、アルバイトであれば、まだまだ甘い考えであることはしょうがないとしても、このアルバイトという仕組みが本当に二人のためになるのかどうか、実は二人ともそれなりに疑問に感じていたのだった。
 特に腫れ物にでも触るように接せられるまわりを見ていると、どこか自分たち松川一家が失脚するのを待っているかのように思えて、そんなことを考える自分が嫌だった。
 特に女性社員は、意識としては弟を意識しながらも、次期社長である自分に、色目を使っているようにも思える。それは、自己保身のためなのか、それとも、社長夫人に収まるという玉の輿を狙ってのことであろうかと思えたのだ。
 しかし、実際には、弟に対してであれば、いくら容姿端麗と言っても、あくまでも妾の子であり、恋愛にはいいかも知れないが、結婚は考えられないという思いを持つ人も多いだろう。
 下手をすれば、
「付き合っている間に、せいぜいお金を使わせて、結婚の手前でやめればいいんだ」
 と思っている人もいるだろう。
 もちろん、社長に乗り換えるなどできるはずもなく、いざとなれば転職してもいいと思うだろう。
 結婚して家庭に収まってもいいかも知れない。それまでにたっぷりと定岡にお金を出させればいい。
 何とも恐ろしい考えであるため、ここまで考えている人がどれほどいるか、甚だ疑問ではあったが、まったくいないとも言えなかった。
 松川に対してアプローチを仕掛ける女性も数人はいたが、こちらの方がまだ正統派の恋愛から、結婚という玉の輿をリアルに夢見ている女性たちだ。
 松川は、弟を見ていて、モテている女性の中に、邪な、しかも悪意のある女性が存在していることが分かった。
 それは、松川が定岡のことを、弟であり、他人であり、さらには客観的に見ることができる相手だと感じているからであった。
 だが、実際に定岡に自由にできるお金というのは限られていた。
 それはきっと先代が、妾の子に対しての他の女性がちょっかいを掛けることで、松川コーポレーションの存続が危うくなることを危惧してのことであったのだろう。
 それだけ、三代目にもなると、会社の組織としての規範はしっかりとしたものがあり、だからこそ、社会不安も乗り越えられる体力を持った会社に成長できたのであろう。
 そんな松川家を安泰だと思うようになっていると、大きな間違いだった。
 危険がすぐそばに迫っていることを、それまで危険がないことを予見しながら、あわりに目を光らせていたにも関わらず、危険が迫る時というのは、えてして、安心している時であった。
 静かに迫りくる恐怖ほど恐ろしいものはない。どこからやってくるのか分からないので、全体を見渡していると、一度見逃してしまうと、もう一度同じ位置に戻ってくるまでに、結構時間が掛かった仕舞ったりもするだろう。
「その時、すでに遅し」
 などということも結構あったりする。
 それはまるで船舶に供えられたソナーと呼ばれるレーダーのようではないか、アンテナがあって張り巡らせる人間のレーダーは、なかなか機械のようにうまくいかないものなのではないだろうか。
作品名:間隔がありすぎる連鎖 作家名:森本晃次