間隔がありすぎる連鎖
「ええ、それがいつ、どこでだったのか覚えていないんですが、そんな気持ちは記憶の奥にあるようなんです。その時は死体を見たとハッキリと感じたのですが、その場からちょっと離れている間に、その場から死体が消えていたんです。あの時は脈まで図った気がしたんですが、その死体がまったく最初からなかったかのように消え去っていたので、まるで夢でも見たのかと思ったんです。冷静になって考えると、夢を見た方がどれほど気が楽かということですよね。理由は疲れていたとか、何とでもつければいいわけですからね。私もその時は、それでやり過ごしたつもりでいました」
と、警官に話をした。
警官の方も、今回の事件に直接関係のあることではないと思ったのか、その話にはさほど興味を示していないようだった。そのうちに、県警の方から見たことのある人たちが続々とやってきて、北川副主任に声をかける。
「いやぁ、これは大変なことになってきましたな」
と言って、一番の馴染みの横山警部補が北川副主任をねぎらったのだ、
「やはり、殺人事件なんでしょうか?」
「ええ、そうでしょうね、胸を刺されて倒れています。出血量も結構なまのですので、出血多量化も知れませんね」
「即死じゃないんですか?」
「違うと思います」
それを聞いて、北川副主任は少し驚いた。
確かに現場を見る限り殺人事件にほぼ間違いはないだろうが、即死かどうかをすぐに判断できるのかと思ったからだ。
「理由は?」
と聞くと、
「あなたは、あれに気が付かなかったんですか?」
と言われて、横山警部補が差し示したその先には、被害者の右手の先に人差し指で何か赤い文字が書かれているのがあったからだ、
――どうして最初に気づかなかったんだろう?
と思ったが、その指の先に見えている文字は、
「さだお」
と書かれたところから先、事キレてしまったのか、流れるように手前、つまり平面的には下の方に流れていたのであった。
横山警部補と北川副主任
そもそもダイイングメッセージなどというものは、
「小説の中などでしかありえない」
と思っているのは、横山警部補だけではなく、北川副主任も思っていた。
今回北川副主任が書かれている文字を見逃したのも、ひょっとするとこの思いがあったからなのかも知れないが、以前死体を発見したはずの意識があるのに、その死体が忽然と消えてしまい、それを自分が夢でも見ていたとして、強引に自分の中だけで解決してしまったことで感じたことだった。
普通であれば、あんなにハッキリとした文字を見逃すはずがない。そう思うと、犯人も同じような思いがあるのかも知れないと、一瞬感じたが、
――同じような思いをそんなに身近な人が感じるというのも、偶然が過ぎる気がするな――
と思い、すぐに気持ちを打ち消したのだ。
「それにしても、あの文字をまともに読めば、『さだお』と読めますね? この事件の関係者で、『さだお』に関連する人は、今のところ二人です。一人は松川社長のご子息の松川貞夫さん、そして、もう一人は異母弟である定岡哲郎さんということになりましょうか? 二人は同じようにこちらに現在一緒に研修に来ている間柄であり、社長がこの間から本来であれば、二人の研修に立ち会うことになっていたという矢先、誘拐されてしまった。しかも、同じ日の朝に、二人も失踪して行方が分からない。そんな状態ですよね。関連があるかどうか分からないが、その日に偶然というにはあまりにもと思うような放火事件に、黒焦げの死体まで発見されている。見るからに実に複雑な事件であるような感じですよね」
と横山警部補は、事件のおさらいをしながら、北川副主任に話をした。
さらに続ける。
「そして今回の死体は、木下課長。彼は放火の最初の発見者であり、ある意味、このK支店では、支店長に次ぐナンバーツーでもある。そんな人が他殺死体で発見されたということは、今度の事件がまた動き始めたと考えていいのかも知れませんね」
と言った。
それを聞いて北川副主任が今度は訊ねた。
「ところで捜査の方はどうなっているんでしょうか? 例えば、松川社長の誘拐事件などで、その後の進展は何かあったんですか?」
と訊かれて、
「一応、本社の社長室、ご自宅、そして、ここの事務所と、それぞれに逆探知の装置を取り付けておいたり、捜査員が張り付いていたりしますが、今のところ犯人から何も要求はありませんね」
と横山警部補は言った。
「そもそも犯人は金銭的な要求はしないという話ではなかったんでしょうか? そうなると犯人の目的がどこにあるのか、どうお考えですか?」
と訊かれて、
「これはあくまでも私の個人的な考えなんですが、犯人にとって、何かの時間稼ぎではないかと思っているんです。だとすれば、事件がここで終わるわけはないと思っていたわけなんですが、そう思いながら発生したのが、今回のこの事件だったわけですよ」
と横山警部補は言った。
「じゃあ、横山さんは誘拐事件と今回の殺人には、何か繋がりがあるとお考えですか?」
と訊かれて、
「ええ、そうではないかと、私は思っています」
と横山警部補は答えた。
「でも、何を時間稼ぎしているというんでしょう?」
と聞くと、
「これも私の考えなんですが、社長が今回の事件において彼が普通に行動することが何か犯人にとって困ることがあるので拘束する必要があり、その犯行の本来の目的がどこにあるのか何とも言えませんがそれが終わるまでは大人しくしてもらっていてほしいという考えですね。ただ私には、今回の事件がそうだとは思えないような気がするんですけどね」
と横山警部補はいう。
「どういうことですか?」
「今回の事件には、どこか計画性が感じられないんですよ。言い方に問題があるかも知れませんが、間抜けなところがある。どういうことかというと、もしこれが計画された殺人であるならば、なぜ、この場所だったのか、そして何よりも、ダイイングメッセージと思しきものを、普通に現場に残していくというのは、おかしいじゃありませんか? そもそもダイイングメッセージというのは、犯人にとっては残されて一番困るものですよね。しかも被害者が苦労して残そうとしても、犯人に見つかれば、消されてしまう可能性が大きいことで、ダイイングメッセージは小説の中だけのことで、実際の犯罪ではありえない気がする。それを思うと、どうして被害者があんなに簡単に残せたのかということですよ。中途半端にはなっているけど、読めない字でもないですよね。だから私が思ったのは、被害者がまだ虫の息だった時、すでに犯人は逃走していたと思うんです。犯人は、早く現場から立ち去りたかった。誰だって、死体の、しかも自分が殺した相手のそばにいつまでも痛くはないですよね。それでも普通なら絶命するところまでは見るはずだと思うんです。被害者は、犯人が逃走したと思ったから、あれを書いた。そうなると犯人は犯罪者としては実に素人で小心者ということになる。犯罪も陳腐なので、とても計画的だったとは思えない。そうなると、犯人が社長を誘拐してまでやりたかったことではないような気がするんです」
と横山警部補は力説した。
作品名:間隔がありすぎる連鎖 作家名:森本晃次