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短編集117(過去作品)

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 今村の部屋にあった彼女の写真、非常に印象に残っていた。三宅の好みのタイプというわけではないのだが、どこか気になる雰囲気である。カメラ目線が気になってしまう要因ではあるだろうが、どうもそれだけではない。
――どこかで見たことがあったのかな――
 と思えてくるほど気になっている。
 一度気になると、本当に今までに見たことがあったかのように思えてくる。
――誰だったんだろう――
 完全に、頭の中では、以前に見たことのある女性になってしまっていた。そうなると覚えていないことが無性に気になる。思い出そうとするが、意識すればするほど思い出せるものではない。部屋の中の壁と同じく、しばらく気になってしまって、今度は却って今村の部屋へは足が遠のいてしまった。
 幸いというべきか、仕事が忙しくなり、それどころではなかった時期が数ヶ月続いた。部屋と会社の往復ばかりで、完全に不規則な生活になっていた。食事もインスタントものばかりで、栄養もまともに摂れていない。脳の働きもある程度鈍っていたかも知れない。
 馴染みの喫茶店にもしばらく顔を出せないでいたが、仕事が落ち着いて出かけてみると、
「あら、お久しぶりですね。仕事がお忙しかったの? 心配していたんですよ」
 アルバイトの女の子の満面の笑みを見た時、まるで昨日もこの店に来ていたような気がした。懐かしさはあったが、違和感はなかったのだ。
 その表情を見た時、どこかで見たような気がした。それは今村の部屋の中にあった彼女の写真だった。まったくの別人なのに、同一人物のように見えるのは、自然に振舞っている彼女を見たからだ。
 あの表情だって、自然なもの生んだ最高の芸術なのかも知れない。今村があの写真を選んだことに繋がっているのだ。違和感はないと思っていたが、却って今喫茶店での彼女を見ると、少しずつ違和感が募ってきた。それはきっと三宅が彼女を写真の女性にダブらせて見てしまっているからかも知れない。
 今村から久しぶりに連絡を貰った時、少し戸惑いがあった。以前は月に一度くらいは遊びに行っていたのに急に行かなくなると敷居が高くなるというのは本当で、お互いに遠慮しているとなかなか話もできないもので、どちらかが助け舟を出さなければならないだった。
 考えてみれば学生時代から均衡を破る一言を発するのは今村の方だった。今村には臨機応変に対応できるところがある。しかも三宅は相手の対応をうまく引き出すところがあるようだ。お互いにいいところを引き出すことができるから、ずっと友達でいられたに違いない。
「実は相談があるんだが、今度うちに遊びに来ないか?」
 今までに今村が改まって相談があるなどということはなかった。ビックリしたが、
「ああ、久しぶりだもんな。一度お邪魔しないといけないと思っていたんだ」
 こういう言い方をすれば、相談する方も気が楽になるだろう。いつもと立場が少し逆転したようだったが、それでよかったのだ。
 そう言われての訪問だったが、実に久しぶりであった。
 夜の帳が下りてから訪れるのは初めてだった。以前はまだ夏だったので、まだ七時過ぎくらいまで明るかった。そんな時は喫茶店にも寄らずに行くのだが、今日は今村の方に用事ができたとのことで、少しゆっくりでよかった。
 夜道を歩いていると、今村が言っていた部屋が鏡に見えてしまうという言葉を思い出す。鏡は光があってこそ鏡の役目を果たすのであって、イルミネーションや、車のヘッドライトを見ていると、ビルのガラス窓に反射して、倍のイルミネーションを浮かび上がらせているように見えてくる。
 足元の影も街路樹の間を自分の足元を中心に縁を描いている。ワルツを踊っているように思えるのはイルミネーションが綺麗だからだ。実際に暗いところで見ていれば、これほど気持ち悪いものはない。
 目指すマンションはすでに近づいていた。
 大通りから少し入り込んで小さな丘になったところにそのマンションはある。昼間大通りから見ると聳え立っているように見えるが、それも丘のせいである。
 イルミネーションを尻目に路地に入り込むと、明かりは一転、何者も呑み込むかのような暗黒が迫ってくる。
 以前本で読んだことがあったが、「暗黒星」というのを創造した学者がいるという。すべてのものは光を反射するか、自らが光を発することで、自分を表しているが、その星は、いかなる光も吸収するというのだ。
 そばにいても誰も気付かない。そんな恐ろしい星が存在するということは、気がつけば衝突して、破壊されていたということになりかねないのだ。
 暗闇の中には何が潜んでいるか分からない。だから、人間は暗闇を恐れる。
 太古の昔から日食を恐れるのもそのせいだ。急に消える明かりにも驚かされるし、太陽という唯一全体に光を提供する物体が一瞬にして消えるのである。これほど恐ろしいものはないであろう。
 しかし、この世界に本当の暗闇は存在しない。どんなに暗くとも、影はどこかに存在している。じっと自分を見ているのだ。
 それが怖いという人もいるかも知れない。暗闇に対しての考え方は人それぞれだろうが、暗闇を恐怖と感じない人は、まずいないだろう。
 暗闇を越えて、一つ角を曲がると明かりが戻ってきた。暗闇に目が慣れかけていた時だったので、かなり明るく感じられた。
 街灯の色が白に近かったので、目にチカチカしたのかも知れない。
 それを思えばマンションに入ると、ロビーの明かりはそれほど明るく感じられない。
 オートロックのマンションではないので、管理人室が設けられているが、この時間はカーテンを閉めて、中には誰もいないようだった。
 ロビーは思ったよりも広い。一段ほど段を上がるとカーペットが敷いてあって、赤色が少し褪せてしまって、ワインカラーに彩られている。却ってその方が落ち着いて見えるのは三宅だけだろうか。
 エレベーターは二基ある。二基とも一階で止まっていて、ボタンを押すと右側のエレベーターが、
「チーン」
 という乾いた音とともに扉を開けた。
 エレベーターの照明も明るくはない。中に入るとそれほどでもないのだろうが、表の暗さが全体的なイメージを植えつけるので、暗く見えているのかも知れない。
 エレベーターで五階を押す。ゆっくりと扉は閉まったが、あまりゆっくり過ぎてスローモーションでも見ているようだ。
 エレベーターに乗る時は、いつもちょっとした冒険心が宿っている。
「途中で止まってしまったらどうしよう」
 という思いが一番強い。さすがに落ちることまでは考えないのは、密室であるがゆえにそこまでイメージが湧かないのだ。
 エレベーターの空気は表とは完全に違っている。窓があるわけでもなく、上に上っているのに、動く時は下に引っ張られる思い、止まる時は身体が中に浮く思い、これは錯覚という慣性である。
 エスカレーターに乗る時は意識していないが、止まっているエスカレーターに足を踏み入れると、次第に高くなっていく段に身体がつんのめりそうになることがある。また、お湯の入っていない浴槽に入る時、水の抵抗を無意識に感じてしまうが、そんな感覚に似ている。
作品名:短編集117(過去作品) 作家名:森本晃次